なじみの飲み屋で
卯月 5
黄金週間が始まった。
善光寺門前も、この時期は観光客で混雑する。
人混みの中、わざわざ訪ねてくるお客もなく、
いつもにも増してひまになるのだった。
おまけに今年は10連休という。
ひと月の三分の一もひまになるかと思うと、
酒でも飲まなきゃやっていられない。
日銭が入らぬというのに、馴染みの飲み屋で散財はする。
まことに困ったことだった。
その、馴染みの飲み屋のご主人がたが、
そろいもそろって、この4月はお客が来ないとこぼしていた。
世の酒飲みのお父さんたちが、
10連休に備えて、
出費を控えてしまったのかもしれない。
4月は花粉症がひどくて、飲みに出かける気になれなかった。
売り上げに貢献せず、申し訳ないことをした。
先日、久しぶりの店におじゃまをした。
カウンターの奥に先客の二人組がいて、
その若いほうが、やたらとでかい声でご主人に話しかけている。
静かに酒を飲みたいのに、いやでも話し声が入ってくる。
話の中身もくだらないことで、
長野市の飲み屋の名前をちらほら出しては、
俺はいろんな店の味を知っているぞとひけらかしているのだった。
御主人の卵焼きはどんな味なの?
へえ、それなら駅前のどこそこと同じ味だね。
長野の人は卵焼きは甘くないとだめだよね。
などと決めつけたことをいう。
アホか。この店の卵焼きはこの店の味。
こちとら、砂糖の入っていないだし巻きが大好きだわと
腹の中で毒づいた。
こいつら、卵焼きを注文してまだ居座るのかとイラっとしたら、
幸いじきに勘定を済ませて出て行った。
ようやく、静かな店内で酒を味わえたのだった。
ご主人に、どこのどいつですかと尋ねたら、
千曲市の、老舗の料理屋の跡取り息子だった。
上から目線の偉そうぶった物言いに、
生意気な若造だねえとあきれた。
老舗の当主というだけで、
なにか勘ちがいをしているのが見て取れた。
世話になっている店では、行儀よく控えめに、
酒と肴を楽しんで酩酊するように。
我が身にもよくよく言い聞かせて、
卵焼きと日本酒をいただいた。

黄金週間が始まった。
善光寺門前も、この時期は観光客で混雑する。
人混みの中、わざわざ訪ねてくるお客もなく、
いつもにも増してひまになるのだった。
おまけに今年は10連休という。
ひと月の三分の一もひまになるかと思うと、
酒でも飲まなきゃやっていられない。
日銭が入らぬというのに、馴染みの飲み屋で散財はする。
まことに困ったことだった。
その、馴染みの飲み屋のご主人がたが、
そろいもそろって、この4月はお客が来ないとこぼしていた。
世の酒飲みのお父さんたちが、
10連休に備えて、
出費を控えてしまったのかもしれない。
4月は花粉症がひどくて、飲みに出かける気になれなかった。
売り上げに貢献せず、申し訳ないことをした。
先日、久しぶりの店におじゃまをした。
カウンターの奥に先客の二人組がいて、
その若いほうが、やたらとでかい声でご主人に話しかけている。
静かに酒を飲みたいのに、いやでも話し声が入ってくる。
話の中身もくだらないことで、
長野市の飲み屋の名前をちらほら出しては、
俺はいろんな店の味を知っているぞとひけらかしているのだった。
御主人の卵焼きはどんな味なの?
へえ、それなら駅前のどこそこと同じ味だね。
長野の人は卵焼きは甘くないとだめだよね。
などと決めつけたことをいう。
アホか。この店の卵焼きはこの店の味。
こちとら、砂糖の入っていないだし巻きが大好きだわと
腹の中で毒づいた。
こいつら、卵焼きを注文してまだ居座るのかとイラっとしたら、
幸いじきに勘定を済ませて出て行った。
ようやく、静かな店内で酒を味わえたのだった。
ご主人に、どこのどいつですかと尋ねたら、
千曲市の、老舗の料理屋の跡取り息子だった。
上から目線の偉そうぶった物言いに、
生意気な若造だねえとあきれた。
老舗の当主というだけで、
なにか勘ちがいをしているのが見て取れた。
世話になっている店では、行儀よく控えめに、
酒と肴を楽しんで酩酊するように。
我が身にもよくよく言い聞かせて、
卵焼きと日本酒をいただいた。
ハリー・K・シゲタ展へ
卯月 4
上田市立美術館で、
写真家、ハリー・K・シゲタの作品展が始まった。
先月美術館でチラシを見て、気になっていた。
本名は重田欣二。明治20年に、上田市の原町に生まれた。
15歳のときに、現在の上田高校を中退して渡米した。
技術を身に着け、
商業写真家としてシカゴにスタジオを構え、
多くの企業の広告写真を手掛けたかただった。
没後同館に、遺族や友人から1200枚のネガが寄贈されたといい、
当時の技法でネガをプリントするという、
地道な作業をしてきたという。
その写真の特徴は、自らの意図する魅力を出すために、
抜かりない構図で撮った写真に、
丹念に手を加えることという。
光の加減を変えたり、余分なものを消したり、
今ならパソコンを開いてちゃちゃっとできることを、
どれだけの労力と技術を駆使したのか、
計り知れないことだった。
拝見した作品たちは、モノクロの濃淡が柔らかで、
まるで丁寧に描かれた鉛筆画のような作品だった。
そこはかとない、幻想的な気配を覚えたのだった。
美術館を出れば、日中の夏日のような暑さも和らいでいる。
城跡公園の石段を上がっていけば、
花見のときのにぎやかさも去って、
薄暮のしずけさが戻っている。
さんざん堪能した桜も散って、お堀の水面のあちこちに、
うす紅色の花びらが、いくえにも重なって浮いていた。
稼ぎどきを終えたテキ屋のおじさんおばさんが、
にぎやかにおしゃべりをしながら、屋台の片づけをしていた。
もうしばらくすれば、公園も新緑の爽やかさに包まれる。
その前の、葉桜と褪せた緑の景色も
風情があって好いものだった。
緑の季節にもう一度、美術館を訪ねてみたいことだった。
そう思えるほどの、本日の素敵な写真展だった。

上田市立美術館で、
写真家、ハリー・K・シゲタの作品展が始まった。
先月美術館でチラシを見て、気になっていた。
本名は重田欣二。明治20年に、上田市の原町に生まれた。
15歳のときに、現在の上田高校を中退して渡米した。
技術を身に着け、
商業写真家としてシカゴにスタジオを構え、
多くの企業の広告写真を手掛けたかただった。
没後同館に、遺族や友人から1200枚のネガが寄贈されたといい、
当時の技法でネガをプリントするという、
地道な作業をしてきたという。
その写真の特徴は、自らの意図する魅力を出すために、
抜かりない構図で撮った写真に、
丹念に手を加えることという。
光の加減を変えたり、余分なものを消したり、
今ならパソコンを開いてちゃちゃっとできることを、
どれだけの労力と技術を駆使したのか、
計り知れないことだった。
拝見した作品たちは、モノクロの濃淡が柔らかで、
まるで丁寧に描かれた鉛筆画のような作品だった。
そこはかとない、幻想的な気配を覚えたのだった。
美術館を出れば、日中の夏日のような暑さも和らいでいる。
城跡公園の石段を上がっていけば、
花見のときのにぎやかさも去って、
薄暮のしずけさが戻っている。
さんざん堪能した桜も散って、お堀の水面のあちこちに、
うす紅色の花びらが、いくえにも重なって浮いていた。
稼ぎどきを終えたテキ屋のおじさんおばさんが、
にぎやかにおしゃべりをしながら、屋台の片づけをしていた。
もうしばらくすれば、公園も新緑の爽やかさに包まれる。
その前の、葉桜と褪せた緑の景色も
風情があって好いものだった。
緑の季節にもう一度、美術館を訪ねてみたいことだった。
そう思えるほどの、本日の素敵な写真展だった。
夜桜見物に
卯月 3
この春も、花見に出かけている。
あちこちの桜だよりを目にするものの、
桜に酒はつきものだから、
電車と徒歩の場所しか行けない。
毎年おなじところばかりを訪ねている。
先週は、上田城跡公園に2回おじゃました。
週の初めに満開のしだれ桜を見て、
週の終わりに満開のソメイヨシノを見た。
自宅の先に映える氏神さんの桜が、
そろそろ散りかけている。
玄関先にまで、花びらが舞ってくるのだった。
連日花見客の絶えない城山公園の桜も、
この週末で盛りがすぎる。
近くなのに、なんだか花粉症がひどくて、
あまり行かなかったのは意気地のないことだった。
桜の名所100選の、須坂の臥竜公園も、
晴天つづきに、見ごろが早いと見当をつけた。
須坂市観光協会に電話をかけて確かめたら、
まさに本日満開になりましたという。
予定を急遽変更して、須坂詣でと相成った。
電車に揺られて20分。
駅を出て通りを上がっていくと、
いつものように須坂高校の敷地から、
吹奏楽のラッパの音が聞こえてくる。
音色を聞きながら、
校舎の前の桜を見上げていたら、
ジャージ姿の男の子たちが、
ものすごいいきおいでわきを駆け抜けていった。
小山小学校の金網越しには、りっぱな桜の木が2本。
男の子たちが、満開の桜の下でボールを蹴っていた。
つぎつぎと人と車が吸い込まれる公園に入っていくと、
池のまわりの桜が、まさに見ごろと咲き誇っていた。
はるか彼方の夕焼け空が暮れると、
小高い山の斜面から、ぼんやり月が顔を出す。
桜が明かりに照らされて、花見客のざわめきの中、
しずかな気配の夜桜を楽しんだのだった。

この春も、花見に出かけている。
あちこちの桜だよりを目にするものの、
桜に酒はつきものだから、
電車と徒歩の場所しか行けない。
毎年おなじところばかりを訪ねている。
先週は、上田城跡公園に2回おじゃました。
週の初めに満開のしだれ桜を見て、
週の終わりに満開のソメイヨシノを見た。
自宅の先に映える氏神さんの桜が、
そろそろ散りかけている。
玄関先にまで、花びらが舞ってくるのだった。
連日花見客の絶えない城山公園の桜も、
この週末で盛りがすぎる。
近くなのに、なんだか花粉症がひどくて、
あまり行かなかったのは意気地のないことだった。
桜の名所100選の、須坂の臥竜公園も、
晴天つづきに、見ごろが早いと見当をつけた。
須坂市観光協会に電話をかけて確かめたら、
まさに本日満開になりましたという。
予定を急遽変更して、須坂詣でと相成った。
電車に揺られて20分。
駅を出て通りを上がっていくと、
いつものように須坂高校の敷地から、
吹奏楽のラッパの音が聞こえてくる。
音色を聞きながら、
校舎の前の桜を見上げていたら、
ジャージ姿の男の子たちが、
ものすごいいきおいでわきを駆け抜けていった。
小山小学校の金網越しには、りっぱな桜の木が2本。
男の子たちが、満開の桜の下でボールを蹴っていた。
つぎつぎと人と車が吸い込まれる公園に入っていくと、
池のまわりの桜が、まさに見ごろと咲き誇っていた。
はるか彼方の夕焼け空が暮れると、
小高い山の斜面から、ぼんやり月が顔を出す。
桜が明かりに照らされて、花見客のざわめきの中、
しずかな気配の夜桜を楽しんだのだった。
上田の桜詣でに
卯月 2
上田城跡公園のしだれ桜が、見ごろを迎えたという。
この春最初の桜詣でに出かけた。
花冷えの日がつづく合間の、暖かな日で、
たくさんの人が城門前のおおきなしだれ桜を、
見上げたり写真に収めている。
ゆったりと薄紅色に満ちて、背後の櫓を彩っていた。
門をくぐれば、学校帰りの子供たちや、
子連れの若いお母さんに、犬の散歩に来た人が、
お堀のまわりの桜を眺めて行く。
日が暮れて辺りが暗くなってくると、
光の中に柔らかく、
桜が浮かび上がってくるのだった。
翌朝、町なかを散歩に出た。
ひと気のない通りを抜けていくと、
ちいさな毘沙門堂の境内に、桜の木が2本ある。
まだ3分程度の咲きぐあいだった。
しずかな住宅街にさまよい行くと、
日当たりのいい公園に、満開の桜が並んでいた。
ここで花見もわるくない。
缶ビールを持参してこなかったのが悔やまれた。
上田の町なかは、
ところどころに昔ながらの建物が残っていて、
軒先に、梅や桜が咲いて、
歩いていると気分が和む。
城下町らしく古刹が多く、
海禅寺の参道をつつむ桜はまだ早かった。
矢出沢川沿いの遊歩道へ降りて、
城跡公園へ歩いていく。
川沿いにぽつりぽつりとしだれ桜があって、
こちらも見ごろにはもう少し。
城跡公園の堂々としたしだれ桜が、
先陣切って満開になってから、
ちいさな城下町の桜たちは、
思い思いに満ちていくのだった。
城跡公園に戻ってくると、
すでに駐車場には車の列ができている。
午前から、
たくさんのちびっこや観光客がやってきて、
芝生では、車座で宴を始めたおじさんたちに、
場所取りの番をしているスーツ姿のお兄さんに、
桜の下で見つめあうカップルもいる。
お堀のまわりのソメイヨシノは5分の咲きぐあい。
今週末あたりがよろしかろうと、
狙いをつけているのだった。

上田城跡公園のしだれ桜が、見ごろを迎えたという。
この春最初の桜詣でに出かけた。
花冷えの日がつづく合間の、暖かな日で、
たくさんの人が城門前のおおきなしだれ桜を、
見上げたり写真に収めている。
ゆったりと薄紅色に満ちて、背後の櫓を彩っていた。
門をくぐれば、学校帰りの子供たちや、
子連れの若いお母さんに、犬の散歩に来た人が、
お堀のまわりの桜を眺めて行く。
日が暮れて辺りが暗くなってくると、
光の中に柔らかく、
桜が浮かび上がってくるのだった。
翌朝、町なかを散歩に出た。
ひと気のない通りを抜けていくと、
ちいさな毘沙門堂の境内に、桜の木が2本ある。
まだ3分程度の咲きぐあいだった。
しずかな住宅街にさまよい行くと、
日当たりのいい公園に、満開の桜が並んでいた。
ここで花見もわるくない。
缶ビールを持参してこなかったのが悔やまれた。
上田の町なかは、
ところどころに昔ながらの建物が残っていて、
軒先に、梅や桜が咲いて、
歩いていると気分が和む。
城下町らしく古刹が多く、
海禅寺の参道をつつむ桜はまだ早かった。
矢出沢川沿いの遊歩道へ降りて、
城跡公園へ歩いていく。
川沿いにぽつりぽつりとしだれ桜があって、
こちらも見ごろにはもう少し。
城跡公園の堂々としたしだれ桜が、
先陣切って満開になってから、
ちいさな城下町の桜たちは、
思い思いに満ちていくのだった。
城跡公園に戻ってくると、
すでに駐車場には車の列ができている。
午前から、
たくさんのちびっこや観光客がやってきて、
芝生では、車座で宴を始めたおじさんたちに、
場所取りの番をしているスーツ姿のお兄さんに、
桜の下で見つめあうカップルもいる。
お堀のまわりのソメイヨシノは5分の咲きぐあい。
今週末あたりがよろしかろうと、
狙いをつけているのだった。
新年度に
卯月 1
城山小学校の前を通ったら、
正門に男の先生が、入学式の看板をしばりつけていた。
ほどなく仕事場の前を、黄色い帽子の女の子が、
真新しい水色のランドセルを背負って、
お母さんと歩いて行った。
門出にふさわしい、暖かな陽の降り注ぐ朝だった。
大きな組織で働く友だちは、転勤を命ぜられた。
思いのほか遠い赴任地に、
早起きをしなくてはいけないとこぼしていた。
会社を辞めて独立した知人がいる。
起業の際に、以前の職場から、
嫌がらせを受けたりしたものの、
すこしづつ、波に乗りつつあるのがうかがえる。
新婚生活を始めたのは、
友だち家族の娘さんだった。先だって、
わざわざ結婚の報告に来てくれたのだった。
そばかす顔のちっちゃな子が、
いつのまにやらすっかりきれいになって、
もうそんな歳になっていた。
子供のころから見知っている身には、
感慨深いことだった。
東の町の小学生の友だちは、2年生に進級した。
昨年1年生になったときは、新しい環境に戸惑って、
学校に行きたくないと、泣いてお母さんを困らせていた。
仲良しの友だちができて、
楽しく学校生活を送るようになったと聞いて、
ほっとしたものだった。
新しい居場所に立つ人も、変わらぬ居場所に立つ人も、
無事に、新年度からの生活を過ごせるようにと
よくよく願うのだった。
この4月は、平成さいごの春になる。
5月から天皇陛下がお代わりになって、
元号も、平成から令和に代わる。
霊感のつよい知人がいる。
先日訪ねてきたときに、
令和、どうですかね?と聞いてみたら、
だめですね。れいわと聞いた瞬間に、
暗い霊気におそわれたという。
景気のわるい時代になりますよと、
お先真っ暗なことをいうのだった。
どんな時世になろうとも、
我が身のことは成るようにしか成らない。
中途半端な見聞に右往左往せず、
歩幅乱さず歩いていく。
それだけを心がけたいと思う、新年度の始まりだった。

城山小学校の前を通ったら、
正門に男の先生が、入学式の看板をしばりつけていた。
ほどなく仕事場の前を、黄色い帽子の女の子が、
真新しい水色のランドセルを背負って、
お母さんと歩いて行った。
門出にふさわしい、暖かな陽の降り注ぐ朝だった。
大きな組織で働く友だちは、転勤を命ぜられた。
思いのほか遠い赴任地に、
早起きをしなくてはいけないとこぼしていた。
会社を辞めて独立した知人がいる。
起業の際に、以前の職場から、
嫌がらせを受けたりしたものの、
すこしづつ、波に乗りつつあるのがうかがえる。
新婚生活を始めたのは、
友だち家族の娘さんだった。先だって、
わざわざ結婚の報告に来てくれたのだった。
そばかす顔のちっちゃな子が、
いつのまにやらすっかりきれいになって、
もうそんな歳になっていた。
子供のころから見知っている身には、
感慨深いことだった。
東の町の小学生の友だちは、2年生に進級した。
昨年1年生になったときは、新しい環境に戸惑って、
学校に行きたくないと、泣いてお母さんを困らせていた。
仲良しの友だちができて、
楽しく学校生活を送るようになったと聞いて、
ほっとしたものだった。
新しい居場所に立つ人も、変わらぬ居場所に立つ人も、
無事に、新年度からの生活を過ごせるようにと
よくよく願うのだった。
この4月は、平成さいごの春になる。
5月から天皇陛下がお代わりになって、
元号も、平成から令和に代わる。
霊感のつよい知人がいる。
先日訪ねてきたときに、
令和、どうですかね?と聞いてみたら、
だめですね。れいわと聞いた瞬間に、
暗い霊気におそわれたという。
景気のわるい時代になりますよと、
お先真っ暗なことをいうのだった。
どんな時世になろうとも、
我が身のことは成るようにしか成らない。
中途半端な見聞に右往左往せず、
歩幅乱さず歩いていく。
それだけを心がけたいと思う、新年度の始まりだった。