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寿司をつまみながら。

2017年06月30日

 へこりと at 14:30  | Comments(0)
水無月 7

毎日酒を飲んでいる。
この歳になると、宴をご一緒してくれるかたも、
年下のかたが多くなる。
そろいもそろって、うわばみのようなかたがたばかりで、
たいていこちらが先につぶれては、
すみません、お先に失礼しますとなっている。
男性も女性も皆さん好人物で、
よくもまあ、
こんな、あくのつよいじじいに付き合ってくれることと、
感謝をしているのだった。
半年前、善光寺の裏手に大森食堂さんが出来て、
ときどき世話になっている。
旨い肴と寿司を提供してくれて、
御主人の故郷の、高知の酒を飲みながらつまんでいる。
昔は、どこの町にも寿司屋が在ったものだった。
入学式や卒業式のハレのときや、
はるばるお客が来たときは、
足を運んだり、出前を取ったりの覚えがある。
料理をおまかせで、じっくり腰を据えて飲むのも良し、
巻きずし一本で、さらっと飲むのも良し。
使い勝手のいい寿司屋が近所に出来て、ありがたいことだった。
先日久しぶりに、飲み仲間のかたがたとお邪魔をした。
ずらりと5人、カウンターに陣取って、
御主人の包丁さばきに見惚れながら酌み交わした。
酌みながら、
大人エレベーター、
それは大人を旅する不思議なエレベーター、
ふと思いつく。
みんなにとって、大人とは?
端から答えを聞いていけば、
子供や友人、他の人のために何かをできる人。
愚痴らず絡まず、ちゃんとお酒に酔える人。
他人を許すことのできる人。
親に感謝できる人。
自らが親になって、その大変さがわかるから。
ひとまわりも年下のみんなの御意見に、
なるほどなあとうなづいて、
地に足着いた良いことを言うと感心したのだった。
気持ちよく酔えた楽しいひとときだった。
皆さんにとって大人ってなんですかあ?







  


岐阜散歩に

2017年06月29日

 へこりと at 13:25  | Comments(0)
水無月 6

年下の友だちがいて、御両親が、
岐阜の萩原町で民宿を営んでいる。
仕事をさぼって、初めての岐阜詣でをしたのだった。
朝いちばんのあさまに乗って、富山で降りる。
駅下の蕎麦屋でゆですぎた蕎麦を食べてから、
高山本線に乗り換えた。
飛騨古川駅で降りると、9時過ぎの駅前に人の姿がなく、
閑散としている。
飲み屋とスナックの看板を眺めながら歩いていくと、
りっぱな本堂の円光寺が在った。
境内を抜けていくと、白壁造りの土蔵が並ぶ小道に出た。
道に沿ってほそい川が流れていて、
赤黒おおきな鯉がゆうゆうと泳いでいる。
ステテコ姿のおばちゃんが、しきりにパンをちぎっては、
川に放り投げていた。
白壁に茶色の柱に格子、
趣きのある街並みを眺めながら歩いていれば、
真宋寺に本光寺と、また大きな寺にぶち当たる。
三つのお寺はどれも浄土真宗で、
古川の町は親鸞さんに守られているのだった。
町なかをおおきな宮川が流れ、
河川敷で、おじいさんたちがマレットゴルフにいそしんでいる。
茶店のある公園で、
飛騨牛の串焼きと飛騨牛コロッケと一番搾りでひと息ついて、
電車に乗って高山へ向かった。
高山の町は古川よりもにぎやかで、
観光客の姿が多い。
昼飯にと物色しながら歩いていたら、
唐草模様のカブが停めてある蕎麦屋があった。
蕎麦みそでビールを飲んで、冷たいもりを頼んだら、
蕎麦の風味の濃い、旨い味だった。
英語と中国語の飛び交う古い街並みを徘徊して、
高台の城山公園に上がれば、鶯が澄んだ声で鳴いている。
汗を拭きふき、町を見下ろしたのだった。
宿の在る上呂駅に降りたら、杉林の山並みが近い。
あちこち家々の合間に用水路があって、
山からの水がごぼごぼと流れている。
古川も高山も町なかを用水路が流れていて、
水の勢いがよかった。
高い山に囲まれ、大きな川が流れて。
飛騨の町は緑と水が豊かなところとわかるのだった。
民宿赤かぶさんは駅から徒歩10分。
古民家を移築した宿は落ち着いた雰囲気がある。
友だちの御両親に挨拶をして、テラスでお茶を頂けば、
眼下の飛騨川からの風が気持ちいい。
ひと風呂浴びて汗を流したら、
いちばんのお楽しみ、旨い手料理をつまみに、
天領、白真弓、蓬莱と、飛騨の銘酒に酔ったのだった。





  


暮らしつづけて

2017年06月21日

 へこりと at 15:18  | Comments(0)
水無月 5

毎朝、氏神さんにお参りをして、今日の無事を願っている。
ラヂオ体操をしてから、ランニングに出る日もあれば、
ひとまわり散歩をする日もある。
この季節、界隈の緑に、ほんとに癒されている。
生まれてからこんにちまで、
大学の4年間、離れていた時を除けば、
ずっとこの界隈に暮らしている。
すっかり見慣れた景色なのに、いまさらながらに
好いところと思ってしまうのだった。
先日、長野商業高校の先にある、
里島発電所まで散歩をした。
その奥に、春、カタクリが群生する林があって、
柔らかく冴えた緑に、しばし癒された。
そういえばと思いつく。
昨年の秋、
上松の昌禅寺へ、初めて紅葉を眺めに出かけた。
この時期の境内の塩梅はどんなものかと
出かけてみたのだった。
降りそうな気配の空を眺めながら、
広い通りを上がっていく。
長野高校の五差路をすぎたら、一本左側の道を行く。
道端で、犬を連れたお姉さんと、
白髪のおじいさんが立ち話をしていた。
すれちがいざま、KDDIは応対がわるくてと聞こえてきた。
かつてauを使っていた身には、それは少々覚えがある。
ひさしぶりの昌禅寺に着くと、
秋、赤や朱に見事な色づきを見せていたもみじは、
すっかり爽やかな緑になって、境内をおおっていた。
ご家族の声が聞こえる庫裏の前を通って、
高い杉木立の向こうに行くと、
広い敷地に檀家さんのお墓がずらっと並んでいた。
りっぱなお寺さんだなあ。
感心しながら行き来して、境内の緑を楽しんだのだった。
緑の季節が染み入ってくると、
なんだか人恋しい気持ちになってくる。
だから、紛らわすために毎晩酔っぱらってばかりいる。
いたし方のないことと言い訳ぶっているのだった。







  


宮城県の日本酒は

2017年06月16日

 へこりと at 09:32  | Comments(2)
水無月 4

宮城県で酒屋を営む知り合いがいる。
先日、長野で行われた地酒のイベントに、
はるばる視察に訪れたのだった。
昼さなかから酒を利き、夕方腰を落ち着けた居酒屋で、
こちらが先につぶれてしまった。
支払いまでさせてしまい、申しわけなく思っていたら、
後日、宮城の銘酒の戦勝政宗まで送ってきてくれて、
ますます恐縮至極となった。
ほんとに有り難い縁に感謝なのだった。
宮城の酒には思い入れがあって、
飲んで旨いと思った初めての銘柄が、
宮城の一ノ蔵だった。
あまりの旨さに感動してお蔵さんに手紙を書いたら、
当時の専務さんから、
便せん4枚に、造りへの思いがつづられた返事が来た。
それもまた嬉しいことだった。
宮城には、25のお蔵さんがある。
そのうちの半分ほどの銘柄を飲んだことがあって、
どれも、うなるほど旨い。
一ノ蔵と浦霞を醸す、ふたつの大きなお蔵さんが
県全体の売り上げの半分を稼いでいて、どちらも味が良い。
残りのちいさなお蔵さんがたは、
それ以上の味を造らないと売れないから、
レベルが上がるのだった。
純米や吟醸といった高価な酒が、製造量の8割を占めるという。
全国平均が3割だから、ずぬけて高い。
先の全国新酒品評会では、23蔵が出品して、
20蔵が金賞をとったという。
酒質の高さへの意識がすごいとうかがえるのだった。
宮城の銘柄は、
一ノ蔵は近所のモンマート冨屋さんで扱っている。
ここ15年ほどいちばん酌んでいるのは、
信濃町のミネムラ酒店さんが扱っている、
新澤醸造さんの伯楽星と愛宕の松で、
県外の銘柄ではもっとも気に入っている。
須坂の新崎酒店さんは日高見と山和を扱っていて、
これもまた良い。
馴染みの飲み屋のべじた坊さんには宮寒梅が置いてあり、
これもまた良い。
飲み疲れたけどまだ飲みたい。
そんなときは、あか抜けた味の宮城の酒。
まちがいないと思う。





  


東飯田酒造さんへ

2017年06月14日

 へこりと at 15:03  | Comments(0)
水無月 3

毎日日本酒を飲んでいる。
ときどきお蔵さんを訪ねて、造りの現場を見せてもらうことがある。
話を聞きながらひと回り、それぞれ独自の工夫があって、
酒屋万流と面白い。
初めてのお蔵さんを訪ねたのだった。
篠ノ井の小松原に在る東飯田酒造さんで、
本老いの松という銘柄を造っている。
国道19号から小市橋をわたって、昔の面影のこる街道を行くと、
左手に見えてくる。
迎えてくれたのは社長さんと娘さんで、
娘さんは、なんどか酒のイベントでお会いしたことがあった。
アニメオタクで、イベントのときは、派手なコスプレ姿で来るから、
そこのブースだけ、ひときわ異彩を放っているのだった。
創業は幕末の慶応元年。150年の歴史がある。
造りは社長さんと息子さんが行っていて、
娘さんもただいま勉強中という。
米に恵まれた土地で、
江戸時代は、ひとつの村にひとつの酒蔵が在ったのに、
弘化4年の善光寺地震の犀川の洪水で、
ほとんどの村が水没してしまったという。
目の前の街道は、かつてはお蔵の前までだった。
昔は物資の輸送を舟で行っていたから、
犀川から街道へ、人の行き来が盛んだった。
商いをするにはもってこいの場所だったという。
昔の蔵がそのまま残っていて、
すこし傾いた太い柱と梁に囲まれて、タンクが並んでいる。
この頃は外人の見物客も増えたといい、
Wi-Fiは使えるかと、かならず聞いてくるという。
古びたタンクの上にちょこんとアンテナが乗っていた。
別棟の当時の客室は、入り口の上に、
見事な松と鶴の彫り物が飾ってある。
室内の柱や天井はすべて松を使っていて、
おごそかな書に、衣装や家財道具が飾ってある。
かつての隆盛ぶりがよくよく想像できたのだった。
この頃は、アニメのラベルを使ったり、
日本酒仕込みのリキュールも出していて、
娘さんのアイデアが反映されている。
酒質の向上も含めて、これからが楽しみなのだった。







  


男は黙ってサッポロビール

2017年06月13日

 へこりと at 09:59  | Comments(2)
水無月 2

毎日ビールを飲んでいる。
サッポロビールが気に入りで、いつも黒ラベル、
ときどきエビス、みたいに買っている。
それは大人を旅する不思議なエレベーター、
で始まる黒ラベルのCMは、
妻夫木聡が、
毎回いろんなゲストと、黒ラベルを飲みながら語り合う。
このたび本になったというから買ってみたのだった。
故中村勘三郎から中村俊輔まで、12人のかたの
生きてきた上の思いが語られている。
大人になったと思ったのは、ビールをうまいと感じたとき。
うむ、それは言える。
仕事も大事だけど、休みも大事。
休んで飲んでばかりいるなあ・・・
大人になると、自分も他人も許せるようになる。
自分はかなり許しちゃってるが、他人にはまだ心が狭いぞ。
生きざまとは、恥を恐れないこと。
たしかに、恥をかいて学んだことはたくさんある。
スガシカオは、焼肉屋で、なんかエプロンみたいなのを
抵抗なくかけられたら大人だと思うといい、
あれはかっこわるいしねとうなづける。
しばられないために、やることはちゃんとやる。
地に足付けて、気持ちを軽くということか。
斉藤和義は、大人とは、
サンマの内臓を食える人しかイメージがないといい、
そこかよ!と突っ込みそうになる。
大人になったら、もっと強くなれると思ったのになれなかった。
ほんとに。弱いままずるずる年をかさねてしまった。
恥ずかしいという気持ちのある人が品のある人だと思う。
品、大事だよなあ。足りないなあ。
責任をもって、
自分のためだけじゃない生き方をするのが大人。
そこはぜんぜんだめでしたとうしろめたい・・・
多くのかたが出会いが大切だと語っていて、
良い出会いがあっての今だから、
若いころに戻りたいとは思わないという。
子供のころは、よもや、こんな駄目なおっさんになるとは
夢にも思わなかった。
もうすこしまともに歩きたかった気持ちもあるが、
あらためて見つめれば、けっこう幸せなこの歳と思う。
それもこれも、ほんとに良い縁があるからこそ。
乾杯をもっと美味しくサッポロ。
次の乾杯が待ち遠しいのだった。







  


痛風に

2017年06月07日

 へこりと at 11:56  | Comments(2)
水無月 1

毎日酒ばかり飲んでいる。
50歳も半ばになると、
飲み仲間も、年下の友だちがほとんどとなる。
先につぶれたり、話したことを覚えていなかったり、
だらしのないおっさんによく付き合ってくれることと、
よくよく感謝をしているのだった。
ひさしぶりの友だちが訪ねてきた。
ホテルのサービスを生業にしていて、
今は蓼科のリゾートホテルで働いている。
ホンダのCBR1000に乗っていて、
今日も国道を230キロで飛ばしてきたというから、
聞いているこちらのほうがビビった。
知り合ったのは25年前のことだった。
その頃はぜんぜん酒が飲めなかったのに、
居酒屋でバイトをして味を覚えてから、才能が開花した。
今ではいくら飲んでも酔わない、りっぱな酒豪になっている。
ところがここ2週間、まったく酒を飲んでいないという。
痛風になってしまったのだった。
仕事中に、突然足の親指に激痛が走った。
その日はがまんして、なんとか仕事をしたものの、
痛みが増して、ひと晩中眠れなかったという。
歩くのもままならず、
次の日、這うように部屋を出てお医者に行ったら、
あっさりと痛風ですねと言われたのだった。
毎晩の酒量を聞かれたから、
缶ビール6本にワイン一本に焼酎5,6杯と答えたら、
今まで出なかったのが不思議なくらいだと、
あきれられたという。
昔、バイクで転んでくるぶしを骨折したことがある。
痛風の痛みに比べたら、
そちらの痛みのほうがぜんぜんやさしいと、恐ろしいことをいう。
宮入さんも気を付けてくださいといわれ、
またまたビビったのだった。
それでも友だちとのひとときに酒は欠かせない。
症状が落ち着いたらまたやろう。懲りない言葉を交わし、
爆音とどろかせて帰る姿を見送った。
痛風・・・縁がありませんように・・・