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カメラを買って

2020年01月26日

 へこりと at 11:32  | Comments(0)
睦月 5

年明け元旦の夜、
甥っ子から電話がかかってきた。
函館に暮らす兄夫婦の子で、
血筋よろしく酒好きな身になったのは、
喜ばしいことだった。長野に来た折りは、
だらしのないおじさんと一緒に、
だらしなく酔っ払ってくれるのだった。
写真を撮るのが好きな子で、
ふだん、ちょいとふるいデジタルカメラに、
広角のレンズをつけて、
身の回りの景色を撮っている。
こちらも日々、写真を撮るのが好きだから、
しばしカメラ談義に花が咲く。
それにしても、めでたい新年、
おじさんの夕方からの祝い酒は、
このときすでに、4合の上をこえていた。
酔って気分も上々、
よし、カメラを買ってやると、
つい、口走ってしまったのだった。
年明け早々の散財も、
かわいい甥っ子のためなら痛くもない。
馴染みのカメラ屋さんに手配をお願いした。
函館の兄夫婦とは、距離が遠いこともあり、
めったに会わない。
3年前に父が亡くなったとき、
告別式に四十九日に一周忌と、
ばたばたと会ったのが、
かなり久しぶりのことだった。
残った母が介護施設に入居してからも、
気遣いの電話や手紙をよこすこともなく、
まあ、さっぱりとしたものだった。
年老いた母にしてみても、すっかり縁遠い身に
いそがしく会いに来られても、
うれしさよりも
気疲れのほうが大きい。
会わないほうが気が楽というのだった。
そんな母も、孫にあたる甥っ子はかわいくて
しかたがないという。
素直でやさしい性格で、会える機会は少なくても、
子供のころからよく母になついてくれていた。
甥っ子のブログを覗いたら、
さっそく届いたカメラで、
暮らしている、東京の景色を切り取っていた。
またのカメラ談議が、楽しみなこととなるのだった。









  


この暖冬に。

2020年01月17日

 へこりと at 16:30  | Comments(0)
睦月 4

この冬、雪の降らない日がつづいている。
朝の気温が低くても、
日中になれば、うすく張った雲のすきまから、
陽がそそいでくるのだった。
路地をはさんだ、向かいのお宅の奥さんは、
いつも早起きなかただった。
早朝から、玄関先を掃いたり窓ふきをしたり、
年季の入ったお住まいをこぎれいにされている。
雪が降ったともなれば、その早起きに
ますます拍車がかかる。
毎晩の深酒に惰眠をむさぼっている身は、
目覚まし時計より先に、
奥さんの雪かきの音で目が覚めるのだった。
のこのこ外へ出るころには、
こちら側に申しわけていどの雪を残して、
路地の雪がすっかり片付けられている。
そのたびに、
いやはやなんともすみませんと、
なさけなく、お詫びを繰り返しているのだった。
この冬は、そんな後ろめたさも持たずに済んで、
なにやら、ほっとしているありさまだった。
しかし、喜んでばかりもいられない。
スキー場にスケートリンク、
除雪や、冷えこみが味を深める特産品など、
まともな寒さで生計を立てているかたがたには、
ここまでの暖冬は、
死活問題にかかわることだった。
ここ最近、猛暑や台風と、1年を通して
空の様子が乱れている。
昨年の台風19号で、
御両親の住む実家が被災した友だちがいる。
2階建ての建物の、1階が水にやられた。
ごみの撤去がようやく終わり、
大工さんに、改修の手はずをつけたという。
直して再び住み始めても、
御両親が親しくしていた近所の人が、
皆戻ってくるとは限らないという。
大きな災害は、馴染んだ暮らしを一変させる。
おかしなまでの暖冬が、春以降、
おおきなつけを運んでくるんじゃないか、
気になってしまうのだった。







  


大森食堂さん、何処。

2020年01月11日

 へこりと at 13:36  | Comments(0)
睦月 3

昨年の暮れに訪ねて来たかたに、
大森食堂さん、やめちゃったよ~とうかがった。
青天の霹靂とおどろいたのだった。
3年前、善光寺の裏手にできた食堂だった。
昼は定食、夜は寿司と、煮物焼き物揚げ物で
一杯できる店だった。
カウンター8席だけのちいさな店は、
イチロー似の寡黙なご主人と、
華奢でかわいい奥さんが営んでいた。
それまで、
ドイツの寿司屋で働いていたというご主人は、
善光寺門前の雰囲気に惹かれて、
やって来たという。
生まれ育ちは、高知のかただから、
高知なら、魚も野菜も酒も良い。
なにもわざわざ長野に来なくてもと、
笑ったものだった。
飲み仲間と連れ立っておじゃましたり、
気が向いたときに、ふらりと訪ねては
刺身をちょろっと、握りをちょろっとで、
ご主人の地元の、
酔鯨や美丈夫や司牡丹を酌んでいた。
気のおけない寿司屋が、
近所にできてと喜んでいたのだった。
ところが開店して1年あまりを過ぎたころ、
営業のかたちが、
昼と夜、それぞれコース料理の予約のみに
変わってしまった。
そうなると、
ふらりとおじゃまするわけにもいかない。
以来、すっかり足が遠のいていた。
そういえばと思い出し、奥さんがつづっていた、
大森食堂のブログを開いてみた。
すると、昨年の11月までは、
3周年を迎える思いや、
この年末年始の、営業の予定が書いてある。
12月になって、
突然閉店の知らせが載っていた。
なにか不測の事態があったのかと、
お二人の身を案じてしまった。
先日、久しぶりに店の前を通ってみた。
ガラス越しに覗いた店内は、
すっかり片付いて、
住まいにしていた隣の平屋も,
もぬけのからだった。
どうしちゃったのかなあ。
たいした常連でもなかったくせに、
短い縁を思い出し、寂しくなってしまった。





  


別所温泉まで

2020年01月08日

 へこりと at 11:40  | Comments(0)
睦月 2

別所温泉にある、北向観音へお参りに出かけた。
しなの鉄道、上田駅の温泉口から歩いていくと、
先の台風で折れたままの、別所線の赤い鉄橋が見える。
そのすぐ先の城下駅から電車に乗って、
別所温泉へと向かった。暖かな日で、
おなじくお参りに向かう人がちらほらと乗っている。
車窓に広がる枯れた田んぼに、柔らかな陽射しが
そそいでいた。
車内には、別所線を応援する中吊り広告が
ぶら下がっていた。
沿線の、長野大学の学生たちの企画で、
善意のみなさんからメッセージと募金を集め、
作られた広告だった。
学生たちの、地域を思う取りくみに感心して、
ひとつひとつ、
のんびりと揺られながら読んだ。
別所温泉駅を出て、年季の入った参道を行くと、
場ちがいな,タピオカの店ができていた。
ちいさな境内には、家族連れに恋人同士、
たこ焼きをほおばる子供たちがいて、
正月の余韻の、和やかな雰囲気が漂っている。
身近なかたがたの今年の無事と、
鉄橋の1日も早い復旧を、よくよくお願いをした。
参拝後、参道沿いの蕎麦屋で食べた肉そばは、
悲しいくらいに出汁の味がしなかった。
別所温泉駅の構内には、
地元の塩田中学校の子供たちの
応援メッセージが貼ってあった。

いつも授業のときに電車の音が
ガタンゴトンと聞こえてきます。
3年間たくさん聞いて、
あの音が好きになりました。

胸温かな、故郷の音がある。
いつまでも走りつづけてもらいたいと、
願うのだった。








  


新年に

2020年01月05日

 へこりと at 14:17  | Comments(0)
睦月 1

雪のない、令和2年の始まりだった。
初詣では、近所の寺と神社をめぐり歩いた。
菩提寺の寛慶寺に行き、祖母と父の墓前で、
年老いた母と、
遠くに暮らす身うちの、今年の無事をお願いした。
氏神さんの伊勢社と善光寺では、
遠く近くの友だちが、
今年を無事に過ごせますようお願いして、
商売繁盛の神様、西宮神社では、
みんなが良い仕事ができますよう、お願いした。
善光寺門前からすこし下りた西方寺には、
おととし亡くなった友だちが眠っている。
生前親しくしていた友だちを見守ってくれるよう、
のどかな笑顔を思い出しながら、
お願いしたのだった。
新年初の飲み会は3日の夕方、
馴染みのべじた坊さんにて。
正月9連休でひまを持て余している、
中学校の同級生からのお誘いだった。
地元の友だちに帰省してきた友だちに、
男女合わせて7人。
鍋を囲んで杯を交わした。
かつて会いたいとなれば、
いちいちみんなの家に電話をしていたのが
懐かしい。
今はスマホでいちどに連絡がつくご時世だった。
「柳中3年7組集まれ!」
その場でグループラインを作ってもらい、
遠くの友だちをお誘いした。
同級生の好いところは、
顔に染みやしわが増えたって、老眼になって、
おそろしいほどスマホの文字をでかくしていたって、
顔を合わせれば、
木造校舎の廊下を雑巾がけしていた頃と、
変わらぬ親しみに触れられる。
すでに鬼籍に入った友だちもいて、
元気な身も、年相応に体の不具合を抱えている。
会えるうちが花。つくづく思ったのだった。
昨年末、酩酊して迷惑をかけた友だちがいる。
届いた年賀状には、
本当に、本当に、本‐当‐に、
飲みすぎに注意してください!と、
本当に3連発の注意が添えてあった。
心から身を案じてくれる人がいて、
気のおけない時間を共に過ごせる。
それだって長い目で見れば、
いつかはなくなることだった
会えるうちが花。ありがたいことと胸に置いて、
身を慎んで淡淡と。
新年の誓いとしたのだった。