年末の善意に
師走 6
先日の夜、所用を済ませた帰り道で、
財布とスマホと自宅の鍵が入った巾着袋を落とした。
気がついて、あわてて探したものの見当たらない。
以前、酔っぱらって自宅の鍵を落としたことがある。
それに懲りて、合い鍵を友だち宅に預けてあった。
とりあえず自宅には入れたものの、
スマホと、現金やキャッシュカードの入った財布を
無くしたのは手痛いことで途方に暮れた。
しばらくしたら、
合い鍵を預けてあった友だちから電話が来た。
念のために、こちらのスマホに電話をしたら、
男の人が出たという。
交番のおまわりさんだった。
折りしも、善光寺でライトアップのイベントをやっていた。
観に来た人が、巾着袋に気がついて、
イベントの本部に届けてくれたという。
本部のかたがすみやかに、
交番へ持ってきてくれたのだった。
秋の終わりにバイクを盗まれた。
新聞を広げれば、
窃盗に横領にオレオレ詐欺にあおり運転と、
不愉快な記事が後を絶たない。
世の中には、ほんとに悪い人がたくさんいる。
そんな中、顔も知らないかたの善意に救われたのは、
感謝し尽くせぬほどありがたいことだった。
それにしてもいい年をして、
気のゆるみがすべての結果につながって、
まわりの人に心配と迷惑をかけている。
身の在りかたをよく考えないといけないのだった。
あっという間に過ぎたつもりでも、
振り返れば、つらいことに悲しいこと、
嬉しいことに楽しいこと、
めりはりの有った1年だった。
酌み交わす縁に支えられ、
今年も好いひとときをたくさん頂いた。
来年も、みなさんと一緒の時間が持てますよう。
穏やかに新年を迎えられますよう願っています。
1年間ありがとうございました。

先日の夜、所用を済ませた帰り道で、
財布とスマホと自宅の鍵が入った巾着袋を落とした。
気がついて、あわてて探したものの見当たらない。
以前、酔っぱらって自宅の鍵を落としたことがある。
それに懲りて、合い鍵を友だち宅に預けてあった。
とりあえず自宅には入れたものの、
スマホと、現金やキャッシュカードの入った財布を
無くしたのは手痛いことで途方に暮れた。
しばらくしたら、
合い鍵を預けてあった友だちから電話が来た。
念のために、こちらのスマホに電話をしたら、
男の人が出たという。
交番のおまわりさんだった。
折りしも、善光寺でライトアップのイベントをやっていた。
観に来た人が、巾着袋に気がついて、
イベントの本部に届けてくれたという。
本部のかたがすみやかに、
交番へ持ってきてくれたのだった。
秋の終わりにバイクを盗まれた。
新聞を広げれば、
窃盗に横領にオレオレ詐欺にあおり運転と、
不愉快な記事が後を絶たない。
世の中には、ほんとに悪い人がたくさんいる。
そんな中、顔も知らないかたの善意に救われたのは、
感謝し尽くせぬほどありがたいことだった。
それにしてもいい年をして、
気のゆるみがすべての結果につながって、
まわりの人に心配と迷惑をかけている。
身の在りかたをよく考えないといけないのだった。
あっという間に過ぎたつもりでも、
振り返れば、つらいことに悲しいこと、
嬉しいことに楽しいこと、
めりはりの有った1年だった。
酌み交わす縁に支えられ、
今年も好いひとときをたくさん頂いた。
来年も、みなさんと一緒の時間が持てますよう。
穏やかに新年を迎えられますよう願っています。
1年間ありがとうございました。
肉まん屋が出来て
師走 5
このところ毎日、工事の音を聞いている。
近所に在った古い屋敷が取り壊されて、
整地をしているのだった。
かつて、善光寺門前、東之門町栄えしころ、
料理屋だった建物だった。
廃業したあとに、近所の仏壇屋が買い取って、
長らく暮らしていた。
どういう事情かわからぬが、
家、土地共に売りに出して買い手がついた。
整地したあとはアパートが建つというのだった。
変わりばえのしない身近な場所に、
ときどきこういう変化がある。
ここ数年目を引くのは、
門前町の風情に魅かれて住みつく、
若い人が増えたことだった。
町内にも若い人たちが引っ越してきて、
空き家を利用して、それぞれ
和菓子屋に素泊まりの宿にレストランを営んでいる。
あたらしい人の流れが出来て、
すこし活気が生まれたのだった。
自宅を出て、川沿いの路地を抜けた先に八百屋が在る。
八百屋の上隣りの空き家に、
このごろ肉まん屋が出来た。
一個160円。
またどこぞの若者が始めたのかなと、買いに行ったら、
調理場にいたのは、初老のおじさんだった。
お顔を拝見してすぐに思い出す。
以前、長野高校の東側、
SBC通りの脇に暮らしていたときに、
近所でラーメン屋をしていたかただった。
ラーメンも焼きそばもチャーハンも、
料理は何でも美味しくて、しばしば足を運んでいた。
今の自宅に引っ越してから、しばらく足が遠のいた。
ひさしぶりに訪ねたら、もう店をたたんだあとだった。
そののち、どこかへ勤めていたものか、
余生を、肉まんを売りながら過ごすのかな。
そんなことを思いながらほおばったら、
実に美味しい味わいで、
古い町に、良い店が出来て好いことだった。

このところ毎日、工事の音を聞いている。
近所に在った古い屋敷が取り壊されて、
整地をしているのだった。
かつて、善光寺門前、東之門町栄えしころ、
料理屋だった建物だった。
廃業したあとに、近所の仏壇屋が買い取って、
長らく暮らしていた。
どういう事情かわからぬが、
家、土地共に売りに出して買い手がついた。
整地したあとはアパートが建つというのだった。
変わりばえのしない身近な場所に、
ときどきこういう変化がある。
ここ数年目を引くのは、
門前町の風情に魅かれて住みつく、
若い人が増えたことだった。
町内にも若い人たちが引っ越してきて、
空き家を利用して、それぞれ
和菓子屋に素泊まりの宿にレストランを営んでいる。
あたらしい人の流れが出来て、
すこし活気が生まれたのだった。
自宅を出て、川沿いの路地を抜けた先に八百屋が在る。
八百屋の上隣りの空き家に、
このごろ肉まん屋が出来た。
一個160円。
またどこぞの若者が始めたのかなと、買いに行ったら、
調理場にいたのは、初老のおじさんだった。
お顔を拝見してすぐに思い出す。
以前、長野高校の東側、
SBC通りの脇に暮らしていたときに、
近所でラーメン屋をしていたかただった。
ラーメンも焼きそばもチャーハンも、
料理は何でも美味しくて、しばしば足を運んでいた。
今の自宅に引っ越してから、しばらく足が遠のいた。
ひさしぶりに訪ねたら、もう店をたたんだあとだった。
そののち、どこかへ勤めていたものか、
余生を、肉まんを売りながら過ごすのかな。
そんなことを思いながらほおばったら、
実に美味しい味わいで、
古い町に、良い店が出来て好いことだった。
友を思い出しながら
師走 4
師走も半ばになるというのに、
この冬は過ごしやすい。
ニュースを見れば、北海道や東北は、
大雪の荒れた天気だというのに、
ここ長野は、ようやくちらちら舞うくらいだった。
これから年末に向けて、
少しづつ年越しの気配が増してくる。
まだ、ひと気も雪もない、
殺風景な善光寺門前の景色だった。
休日、午前中に急ぎの用事を済ませた昼どき、
門前の蕎麦屋、かどの大丸さんへ出かけた。
店に入ると、観光客の少ないこの時期に、
そこそこ席が埋まっている。隅っこの
畳の入れ込みに落ち着いて、
キリンのラガーを注文した。
野沢菜をつまみにグラスを傾けていれば、
もう半年過ぎたのだと思い出す。
夏のはじめに、
この店の、跡取り息子さんを見送ったのだった。
知り合っておよそ10年。
ずっと気もちの好い付き合いをしていただいた。
お酒の飲めない人なのに、宴の席にいつも来てくれた。
人の顔さえ見れば、
みやいりさん、酒の飲みすぎに注意してくださいと、
こっちの世話を焼いていたくせに、
さっさと先に逝かれたのでは、
しゃれにならんではないかと思うのだった。
さだまさしの大ファンで、
長野でライブがあるときは必ず足を運んでいた。
先日お母さんにお会いしたら、
この間息子の代わりに、
さだまさしのライブに行ってきたという。
子を偲ぶ親の気持ちが切なくて、しんみりとしてしまった。
息子さん亡きあとは、御両親と美しいお姉さんふたりが、
職人さんを抱えて、老舗の暖簾を守っている。
来るたびに、働くさまを眺めながら、
息子さんを思い出し酒を酌んでいる。
ちょっと悲しく温かいひとときなのだった。
師走も半ばになるというのに、
この冬は過ごしやすい。
ニュースを見れば、北海道や東北は、
大雪の荒れた天気だというのに、
ここ長野は、ようやくちらちら舞うくらいだった。
これから年末に向けて、
少しづつ年越しの気配が増してくる。
まだ、ひと気も雪もない、
殺風景な善光寺門前の景色だった。
休日、午前中に急ぎの用事を済ませた昼どき、
門前の蕎麦屋、かどの大丸さんへ出かけた。
店に入ると、観光客の少ないこの時期に、
そこそこ席が埋まっている。隅っこの
畳の入れ込みに落ち着いて、
キリンのラガーを注文した。
野沢菜をつまみにグラスを傾けていれば、
もう半年過ぎたのだと思い出す。
夏のはじめに、
この店の、跡取り息子さんを見送ったのだった。
知り合っておよそ10年。
ずっと気もちの好い付き合いをしていただいた。
お酒の飲めない人なのに、宴の席にいつも来てくれた。
人の顔さえ見れば、
みやいりさん、酒の飲みすぎに注意してくださいと、
こっちの世話を焼いていたくせに、
さっさと先に逝かれたのでは、
しゃれにならんではないかと思うのだった。
さだまさしの大ファンで、
長野でライブがあるときは必ず足を運んでいた。
先日お母さんにお会いしたら、
この間息子の代わりに、
さだまさしのライブに行ってきたという。
子を偲ぶ親の気持ちが切なくて、しんみりとしてしまった。
息子さん亡きあとは、御両親と美しいお姉さんふたりが、
職人さんを抱えて、老舗の暖簾を守っている。
来るたびに、働くさまを眺めながら、
息子さんを思い出し酒を酌んでいる。
ちょっと悲しく温かいひとときなのだった。
須坂へ出かけて
師走 3
須坂へ出かけた。
県内4ヶ所の美術館で、シンビズム展という、
長野ゆかりの若手作家たちの作品展が始まった。
須坂版画美術館で、知り合いの,
山上晃葉さんの作品が展示されると聞いて,
足を運んだのだった。
作品は、版画を施した布を、
立体的なオブジェにしたもので、
子供のころから興味のあった、
人の体の、外側と内側の存在を現わしたものという。
ひとつひとつの作品を前にすると、
受け入れられるようなそうでないような、
なんともいえない
包まれ感のようなものを感じたのだった。
その他に、中村真美子さんの、
信濃町の冬枯れの景色の銅版画に、
高木こずえさんの、
自ら撮った写真をもとにした木版画が有って、
三者三様の作品を眺めた。
美術館を出て、百々川の河川敷から、
閑散とした町なかを行く。
須坂は、養蚕で栄えていたころの、
名残りの蔵やお屋敷に、
おおきな神社やお寺がそこかしこに在って、
落ちついた佇まいが好い。
おまけに旨い蕎麦屋が在るのも
蕎麦好きにはたまらない。
夜ともなれば、
いくつか旨い酒と肴を出す店も有る。
電車で20分。酒を飲むためだけに,
ときどき来たくなる。
蔵を活かした洋食店や、素泊まりの宿も出来ていて、
ちいさな蔵の町を愛する人もいて、
好いことだった。
昼飯どころを思案しながらさまよっていたら、
窓際に、写楽と大那と〆張り鶴の空き瓶を
並べてある店に遭遇した。
馴染みの、
須坂の新崎酒店さんが卸している店とわかり、
それでは入らなくてはいけない。
旬彩・八寸さんで、ランチのにぎりをつまみに、
一献かたむけたのだった。

須坂へ出かけた。
県内4ヶ所の美術館で、シンビズム展という、
長野ゆかりの若手作家たちの作品展が始まった。
須坂版画美術館で、知り合いの,
山上晃葉さんの作品が展示されると聞いて,
足を運んだのだった。
作品は、版画を施した布を、
立体的なオブジェにしたもので、
子供のころから興味のあった、
人の体の、外側と内側の存在を現わしたものという。
ひとつひとつの作品を前にすると、
受け入れられるようなそうでないような、
なんともいえない
包まれ感のようなものを感じたのだった。
その他に、中村真美子さんの、
信濃町の冬枯れの景色の銅版画に、
高木こずえさんの、
自ら撮った写真をもとにした木版画が有って、
三者三様の作品を眺めた。
美術館を出て、百々川の河川敷から、
閑散とした町なかを行く。
須坂は、養蚕で栄えていたころの、
名残りの蔵やお屋敷に、
おおきな神社やお寺がそこかしこに在って、
落ちついた佇まいが好い。
おまけに旨い蕎麦屋が在るのも
蕎麦好きにはたまらない。
夜ともなれば、
いくつか旨い酒と肴を出す店も有る。
電車で20分。酒を飲むためだけに,
ときどき来たくなる。
蔵を活かした洋食店や、素泊まりの宿も出来ていて、
ちいさな蔵の町を愛する人もいて、
好いことだった。
昼飯どころを思案しながらさまよっていたら、
窓際に、写楽と大那と〆張り鶴の空き瓶を
並べてある店に遭遇した。
馴染みの、
須坂の新崎酒店さんが卸している店とわかり、
それでは入らなくてはいけない。
旬彩・八寸さんで、ランチのにぎりをつまみに、
一献かたむけたのだった。
鼓童を感じて
師走 2
師走最初の土曜日、
佐渡島を拠点に活動する太鼓芸能集団、
鼓童のライブに出かけた。
これまで特にファンというわけではなかった。
長野へ来ると知って、ちょいとそそられたのだった。
仕事を早じまいして、長野市芸術館に行くと、
すでにたくさんの人が開演を待っていた。
その名はずいぶん前から知っていたから、
てっきり、ベテランのおじさんたちの集団かと思っていたら、
入り口を飾る大きなポスターには、
美男美女の若者たちが写っていて、
見当ちがいに面食らった。
演奏が始まると、
篠笛やパーカッションの音色も織り交ぜながら、
ときにきっと前を向き、ときに笑顔を浮かべ合い、
大中小の、さまざまな太鼓の音を響き合わせて
つぎつぎと曲を繰り出していく。
えんえんと体を包むような太鼓の音と、
若者たちの、切れのいいばちさばきを目の前に、
自然と涙が流れたのだった。
次の日、ホームページを覗いてみたら、
佐渡島に鼓童村という研修所が在って、
全国から若者が集まってくるという。
テレビや携帯電話から離れて、共同生活をしながら、
2年間の修行をする。
地元の人と交流して伝統文化を学び、
豊かな佐渡の自然の中の暮らしを通じて、
技術を支える体を作り、感性を磨いていくという。
一心不乱に太鼓を叩く姿を見て、
なにが彼らを太鼓の世界に導いたのかと
思いを向けたのだった。
佐渡島の風の中でひびく音色はどんなさまなのか。
心地よい余韻に浸りながら、思った次第だった。

師走最初の土曜日、
佐渡島を拠点に活動する太鼓芸能集団、
鼓童のライブに出かけた。
これまで特にファンというわけではなかった。
長野へ来ると知って、ちょいとそそられたのだった。
仕事を早じまいして、長野市芸術館に行くと、
すでにたくさんの人が開演を待っていた。
その名はずいぶん前から知っていたから、
てっきり、ベテランのおじさんたちの集団かと思っていたら、
入り口を飾る大きなポスターには、
美男美女の若者たちが写っていて、
見当ちがいに面食らった。
演奏が始まると、
篠笛やパーカッションの音色も織り交ぜながら、
ときにきっと前を向き、ときに笑顔を浮かべ合い、
大中小の、さまざまな太鼓の音を響き合わせて
つぎつぎと曲を繰り出していく。
えんえんと体を包むような太鼓の音と、
若者たちの、切れのいいばちさばきを目の前に、
自然と涙が流れたのだった。
次の日、ホームページを覗いてみたら、
佐渡島に鼓童村という研修所が在って、
全国から若者が集まってくるという。
テレビや携帯電話から離れて、共同生活をしながら、
2年間の修行をする。
地元の人と交流して伝統文化を学び、
豊かな佐渡の自然の中の暮らしを通じて、
技術を支える体を作り、感性を磨いていくという。
一心不乱に太鼓を叩く姿を見て、
なにが彼らを太鼓の世界に導いたのかと
思いを向けたのだった。
佐渡島の風の中でひびく音色はどんなさまなのか。
心地よい余韻に浸りながら、思った次第だった。

秋が去り
師走 1
11月最後の休日、ぽっかりと用事がない。
ひとまわり散歩に出た。
善光寺の境内は、連休が過ぎてから、
観光客の姿がぱたりとなくなった。
これから師走の下旬まで、
しずかな空気に包まれるのだった。
善光寺保育園の庭では、
ちびっこたちが軽快な音楽に合わせて
元気いっぱいに朝の体操をしていた。
微笑ましく眺めながら過ぎて、
雲上殿までの坂道を上がる。
この秋、紅葉が始まる頃に、
天気の具合がすぐれなかった。
色づきの盛りを迎える前に、
雨風に打たれて葉が落ちた。
あっけなく、朽ちてしまうかと思っていたら、
そこから天気が持ちなおした。
毎年、西宮神社のえびす講が終わると、
日中にも冬の気配が漂いはじめる。
ところが暖かな日がつづき、ゆるゆると、
紅葉黄葉の色合いが残ってくれたのだった。
今日とて、散歩日和の好い陽気で、
木々の彩りを眺めながら、雲上殿に着いたときは
けっこうな汗をかいていた。
駐車場から望んだら、
市街地も、彼方の山々も、
まるで春のような、ぼやけた空気におおわれていた。
雲上殿の霊園には、さんざん世話になった、
親戚のおじさんが眠っている。
立ち寄ってお参りをした。
霊園を出て上がっていくと、
レストラン・青い銀河が在る。
かつて母の知り合いが始めた店で、
子供のころに、ときどき連れてきてもらった。
あれから何十年。
すっかり店じまいしたものとばかり思っていたら、
今も営業をしていると知っておどろいた。
懐かしさも相まって、
また来てみたいものと通りすぎた。
往生地までくると、
すこし前、たわわに赤い実が映えていたりんご畑は、
すでに収穫が済んでいる。
畑の向かいの納屋で、おばさんがふたり、
せっせとりんごを箱に詰めていた。
善光寺まで戻ってきたら、うまい具合のお昼どき。
さいごの秋を楽しんで、蕎麦屋酒へと足早になる。

11月最後の休日、ぽっかりと用事がない。
ひとまわり散歩に出た。
善光寺の境内は、連休が過ぎてから、
観光客の姿がぱたりとなくなった。
これから師走の下旬まで、
しずかな空気に包まれるのだった。
善光寺保育園の庭では、
ちびっこたちが軽快な音楽に合わせて
元気いっぱいに朝の体操をしていた。
微笑ましく眺めながら過ぎて、
雲上殿までの坂道を上がる。
この秋、紅葉が始まる頃に、
天気の具合がすぐれなかった。
色づきの盛りを迎える前に、
雨風に打たれて葉が落ちた。
あっけなく、朽ちてしまうかと思っていたら、
そこから天気が持ちなおした。
毎年、西宮神社のえびす講が終わると、
日中にも冬の気配が漂いはじめる。
ところが暖かな日がつづき、ゆるゆると、
紅葉黄葉の色合いが残ってくれたのだった。
今日とて、散歩日和の好い陽気で、
木々の彩りを眺めながら、雲上殿に着いたときは
けっこうな汗をかいていた。
駐車場から望んだら、
市街地も、彼方の山々も、
まるで春のような、ぼやけた空気におおわれていた。
雲上殿の霊園には、さんざん世話になった、
親戚のおじさんが眠っている。
立ち寄ってお参りをした。
霊園を出て上がっていくと、
レストラン・青い銀河が在る。
かつて母の知り合いが始めた店で、
子供のころに、ときどき連れてきてもらった。
あれから何十年。
すっかり店じまいしたものとばかり思っていたら、
今も営業をしていると知っておどろいた。
懐かしさも相まって、
また来てみたいものと通りすぎた。
往生地までくると、
すこし前、たわわに赤い実が映えていたりんご畑は、
すでに収穫が済んでいる。
畑の向かいの納屋で、おばさんがふたり、
せっせとりんごを箱に詰めていた。
善光寺まで戻ってきたら、うまい具合のお昼どき。
さいごの秋を楽しんで、蕎麦屋酒へと足早になる。