日脚がすこし
睦月 8
しかし寒いのお。
冬は寒いと決まっているけれど、
この冬はことのほか身に染みるのだった。
1月19,20日は、近所の西宮神社の
初恵比寿が開かれた。
初日の朝、お参りに行くと、すでにぽつぽつ客の姿があった。
境内のお稲荷さんと拝殿の神様に、
今年一年、親しいかたがたが無事に生業できますよう
お願いをした。
帰り道、氏神さんの伊勢社にまわってお参りをすれば、
背中に感じる陽射しに暖かさが増している。
夜明けも早くなり、夕方の日脚も伸びている。
すこし春の訪れが感じられると、
気持ちもいくぶん癒されるのだった。
仕事場に戻って朝刊を広げていたら、玄関先に
タクシーが停まり、久しぶりのかたが訪ねてきた。
遅まきながら、新年のあいさつを交わすと、
これよかったらと紙袋を渡された。
お歳暮で頂いた佃煮と缶詰を、食べきれないからと
持ってきてくれたのだった。
三年前にご主人を亡くされて、ひとりで自宅で
暮らしている。
この頃になって、ようやく主人の遺品を
片づけ始めたものの、なかなか終わらないという。
私もいつ主人のもとに逝くかわからない。
残された遺産をどうするか、毎日気に病んでいる。
子供がいないから、遺産は甥と姪に分ける
つもりでいる。
ところがそれぞれ遠くの地にいるから、
なかなか相談にのってもらえない。
コロナ禍で、こちらに来てもらうこともかなわず、
ほんとに困りますと、ほんとに困った顔をするのだった。
早いうちに遺言書を作ることにしたといい、
来週、司法書士の先生に相談するという。
話を聞きながら、後々の面倒ごとを、
老いたひとりの身でやるのは、大変なことと
伝わってくる。
長生きするのも楽ではないですのお言葉が、
しみじみ身に染みる、冬の朝なのだった。
遺言をつづる背中や日脚伸ぶ。

しかし寒いのお。
冬は寒いと決まっているけれど、
この冬はことのほか身に染みるのだった。
1月19,20日は、近所の西宮神社の
初恵比寿が開かれた。
初日の朝、お参りに行くと、すでにぽつぽつ客の姿があった。
境内のお稲荷さんと拝殿の神様に、
今年一年、親しいかたがたが無事に生業できますよう
お願いをした。
帰り道、氏神さんの伊勢社にまわってお参りをすれば、
背中に感じる陽射しに暖かさが増している。
夜明けも早くなり、夕方の日脚も伸びている。
すこし春の訪れが感じられると、
気持ちもいくぶん癒されるのだった。
仕事場に戻って朝刊を広げていたら、玄関先に
タクシーが停まり、久しぶりのかたが訪ねてきた。
遅まきながら、新年のあいさつを交わすと、
これよかったらと紙袋を渡された。
お歳暮で頂いた佃煮と缶詰を、食べきれないからと
持ってきてくれたのだった。
三年前にご主人を亡くされて、ひとりで自宅で
暮らしている。
この頃になって、ようやく主人の遺品を
片づけ始めたものの、なかなか終わらないという。
私もいつ主人のもとに逝くかわからない。
残された遺産をどうするか、毎日気に病んでいる。
子供がいないから、遺産は甥と姪に分ける
つもりでいる。
ところがそれぞれ遠くの地にいるから、
なかなか相談にのってもらえない。
コロナ禍で、こちらに来てもらうこともかなわず、
ほんとに困りますと、ほんとに困った顔をするのだった。
早いうちに遺言書を作ることにしたといい、
来週、司法書士の先生に相談するという。
話を聞きながら、後々の面倒ごとを、
老いたひとりの身でやるのは、大変なことと
伝わってくる。
長生きするのも楽ではないですのお言葉が、
しみじみ身に染みる、冬の朝なのだった。
遺言をつづる背中や日脚伸ぶ。
蕎麦屋のんびり
睦月 7
休日の月曜日、
施設で暮らす母を定期検診に連れていった。
世話になっている女医先生は、いつも気さくに
話しかけてくれ、
おぼつかない母の話にも、根気よく耳を傾けてくれるから、
ありがたい。
診察を終えて、母を施設に送り届けたら、
今日の予定はなにもない。
自宅に帰ってきたら、東の町の友だちからラインが届く。
はじめての蕎麦屋で、
焼き味噌をつまみにお銚子を空けていますときたのだった。
おっ、いいねえ。こちらも負けじと、
蕎麦屋酒にいそしむことにする。
雪が降り止まぬ天気に、本日は近所の丸清に
おじゃました。
あいにくの天気にも関わらず、善光寺参道に
参拝客の姿が多い。仲見世通りの
丸清もお客で埋まっていた。
折りよく空いた一席に落ちついて、ビールセットを
注文した。
休日の昼は、たいていどこぞの蕎麦屋でくつろいでいる。
贔屓にしている店が四件有る。
丸清は子供のころから世話になっていた。
両親が共働きだったから、母の帰りが遅いときは、
夕飯に、丸清のかつ丼を出前してもらっていたのだった。
蕎麦も旨いがかつ丼も名物で、
両方食べられる、丸清弁当がおすすめです。
権堂アーケードわきに在る、かんだたは、開店当初から
お世話になっている。
酒の品ぞろえ好く、やさしい味のつまみも好い。
とり皮のうま煮は、来ればかならず頼んでしまう。
糊の効いた白衣のご主人の、きびきびした動きを眺めながら、
カウンターのはしっこで、ビール一杯にお銚子二本やって、
角の立った蕎麦で締めている。
県町、味噌屋のすや亀のはす向かい、さがやは、
信濃町生まれのご主人が、地元のそば粉を使った
蕎麦を提供している。
ここもまた、酒と肴の品ぞろえ好く、毎回なにをつまみに
酌もうか迷う。やっこに天ぷら、自家製の厚揚げに
イワナや鯉の刺身やら、行くたびに品書きの黒板を、
穴が開くほどにらんでいる。
油揚げの甘辛煮、いつも頼んでおりまする。
善光寺の仁王門入口、かどの大丸は、
創業三百年あまりの老舗で、店内の落ちついた風格が
歴史を感じさせる。
親しくしていた若旦那が亡くなって今年で四年。
足を運べば、おおきな体の穏やかな人柄を偲んでは、
西之門の吟醸を酌んでいる。現在は、
若旦那のお姉さんが、職人さんとともに店を営んでいる。
若旦那の告別式の翌朝、
店の入り口に白い暖簾がかかげられ、
もう営業を始めていた。気持ちを継いで店を守る。
ご家族の想いがうかがえて、涙が出たのだった。
蕎麦屋で酒のひとときは、居酒屋とまたちがった
趣きがある。
蕎麦屋酒のひとときをすごしていると、
人生はこれぐらいの贅沢でじゅうぶんと
思えてくるのだった。
燗酒を二本酌んで、かけ蕎麦で締めて、
帰ったらひと風呂浴びて、初場所観ながら晩酌だな。
つまみのカツを揚げてもらい、腰を上げたのだった。
燗酒や蕎麦屋の出前引ききらず。

休日の月曜日、
施設で暮らす母を定期検診に連れていった。
世話になっている女医先生は、いつも気さくに
話しかけてくれ、
おぼつかない母の話にも、根気よく耳を傾けてくれるから、
ありがたい。
診察を終えて、母を施設に送り届けたら、
今日の予定はなにもない。
自宅に帰ってきたら、東の町の友だちからラインが届く。
はじめての蕎麦屋で、
焼き味噌をつまみにお銚子を空けていますときたのだった。
おっ、いいねえ。こちらも負けじと、
蕎麦屋酒にいそしむことにする。
雪が降り止まぬ天気に、本日は近所の丸清に
おじゃました。
あいにくの天気にも関わらず、善光寺参道に
参拝客の姿が多い。仲見世通りの
丸清もお客で埋まっていた。
折りよく空いた一席に落ちついて、ビールセットを
注文した。
休日の昼は、たいていどこぞの蕎麦屋でくつろいでいる。
贔屓にしている店が四件有る。
丸清は子供のころから世話になっていた。
両親が共働きだったから、母の帰りが遅いときは、
夕飯に、丸清のかつ丼を出前してもらっていたのだった。
蕎麦も旨いがかつ丼も名物で、
両方食べられる、丸清弁当がおすすめです。
権堂アーケードわきに在る、かんだたは、開店当初から
お世話になっている。
酒の品ぞろえ好く、やさしい味のつまみも好い。
とり皮のうま煮は、来ればかならず頼んでしまう。
糊の効いた白衣のご主人の、きびきびした動きを眺めながら、
カウンターのはしっこで、ビール一杯にお銚子二本やって、
角の立った蕎麦で締めている。
県町、味噌屋のすや亀のはす向かい、さがやは、
信濃町生まれのご主人が、地元のそば粉を使った
蕎麦を提供している。
ここもまた、酒と肴の品ぞろえ好く、毎回なにをつまみに
酌もうか迷う。やっこに天ぷら、自家製の厚揚げに
イワナや鯉の刺身やら、行くたびに品書きの黒板を、
穴が開くほどにらんでいる。
油揚げの甘辛煮、いつも頼んでおりまする。
善光寺の仁王門入口、かどの大丸は、
創業三百年あまりの老舗で、店内の落ちついた風格が
歴史を感じさせる。
親しくしていた若旦那が亡くなって今年で四年。
足を運べば、おおきな体の穏やかな人柄を偲んでは、
西之門の吟醸を酌んでいる。現在は、
若旦那のお姉さんが、職人さんとともに店を営んでいる。
若旦那の告別式の翌朝、
店の入り口に白い暖簾がかかげられ、
もう営業を始めていた。気持ちを継いで店を守る。
ご家族の想いがうかがえて、涙が出たのだった。
蕎麦屋で酒のひとときは、居酒屋とまたちがった
趣きがある。
蕎麦屋酒のひとときをすごしていると、
人生はこれぐらいの贅沢でじゅうぶんと
思えてくるのだった。
燗酒を二本酌んで、かけ蕎麦で締めて、
帰ったらひと風呂浴びて、初場所観ながら晩酌だな。
つまみのカツを揚げてもらい、腰を上げたのだった。
燗酒や蕎麦屋の出前引ききらず。
醬油豆があれば
睦月 6
自宅の近所に仕出し屋がある。
愛想の好いご夫婦が営んでいて、
毎年、正月のおせち料理をお願いしている。
父が元気だったころは、実家に配達してもらい、
おせちを突っつきながら、晦日と新年の宴を、
家族で交わしたものだった。
父が亡くなって、母が施設に入ってからは、
母に届けてから、ひとりおせちで過ごしている。
親が老いていくと、家族との付き合いも昔と
変わってくるのだった。
先日、散歩の帰りに仕出し屋の前を通ったら、
「美味しい醤油豆ができました。
量り売りします」の貼り紙が目に留まった。
おっ、醬油豆。
そのままおじゃまして、空き瓶に詰めて頂いた。
酒飲みで豆のきらいな人はいない。
というか、
豆さえあれば、いくらでも酌める。
ピーナッツに、枝豆そら豆ひたし豆、
醤油豆ならそれだけで
ご飯も食べられるし、豆腐にのせても好い。
豆は食べすぎると腹をこわすから、
それだけ困ることだった。
以前、善光寺門前の蕎麦屋、かどの大丸は、
冬になると、醤油豆を仕込んで売っていた。
残念ながら、ここ最近は作っていないのか、
店内に張り紙がない。
自宅から西へ行った先の味噌屋でも、
醬油豆を売っている。
甘さしょっぱさが店それぞれなのも
個性があって好い。
仕出し屋の醤油豆は、糀が多いやや甘口の、
やさしい味だった。
施設に暮らす母は、松代の成田屋がひいきで、
ときどき買ってきてくれと頼まれる。
休日になると松代まで飛んでいったのに、
すこし前に、車で五分のスーパーへ行ったら、
売っていた。
灯台下暗し、ぜんぜん気づかなかったぞ。
わざわざ松代まで行かずに済んで、
ありがたいことだった。
県町の蕎麦屋、さがやのご主人も成田屋が
気に入りで、
やっこを頼むとつけてくれる。
仕出し屋の醤油豆は、100グラム150円と
安いのもうれしい。
終わったら、空き瓶持って買いに行くことにする。
寒い夜、豆をつまみにちびちび酒なぞ酌んでいると、
男やもめのわびしさが募って、
杯をかさねすぎてしまうことだった。
醤油豆樽から移す冬日かな。

自宅の近所に仕出し屋がある。
愛想の好いご夫婦が営んでいて、
毎年、正月のおせち料理をお願いしている。
父が元気だったころは、実家に配達してもらい、
おせちを突っつきながら、晦日と新年の宴を、
家族で交わしたものだった。
父が亡くなって、母が施設に入ってからは、
母に届けてから、ひとりおせちで過ごしている。
親が老いていくと、家族との付き合いも昔と
変わってくるのだった。
先日、散歩の帰りに仕出し屋の前を通ったら、
「美味しい醤油豆ができました。
量り売りします」の貼り紙が目に留まった。
おっ、醬油豆。
そのままおじゃまして、空き瓶に詰めて頂いた。
酒飲みで豆のきらいな人はいない。
というか、
豆さえあれば、いくらでも酌める。
ピーナッツに、枝豆そら豆ひたし豆、
醤油豆ならそれだけで
ご飯も食べられるし、豆腐にのせても好い。
豆は食べすぎると腹をこわすから、
それだけ困ることだった。
以前、善光寺門前の蕎麦屋、かどの大丸は、
冬になると、醤油豆を仕込んで売っていた。
残念ながら、ここ最近は作っていないのか、
店内に張り紙がない。
自宅から西へ行った先の味噌屋でも、
醬油豆を売っている。
甘さしょっぱさが店それぞれなのも
個性があって好い。
仕出し屋の醤油豆は、糀が多いやや甘口の、
やさしい味だった。
施設に暮らす母は、松代の成田屋がひいきで、
ときどき買ってきてくれと頼まれる。
休日になると松代まで飛んでいったのに、
すこし前に、車で五分のスーパーへ行ったら、
売っていた。
灯台下暗し、ぜんぜん気づかなかったぞ。
わざわざ松代まで行かずに済んで、
ありがたいことだった。
県町の蕎麦屋、さがやのご主人も成田屋が
気に入りで、
やっこを頼むとつけてくれる。
仕出し屋の醤油豆は、100グラム150円と
安いのもうれしい。
終わったら、空き瓶持って買いに行くことにする。
寒い夜、豆をつまみにちびちび酒なぞ酌んでいると、
男やもめのわびしさが募って、
杯をかさねすぎてしまうことだった。
醤油豆樽から移す冬日かな。
寒さで痛くて
睦月 5
毎朝、ノルディックウォーキングをしていた。
この冬の冷え込みに負けて、いよいよ
早朝に起きられない。
この頃は、仕事を終えた夕方に
ひとまわり歩くようにしている。
道路のそこかしこが凍っているから、
滑ってころばぬよう、目を皿にして
注意深く歩いている。
歩きながら、道沿いのガソリンスタンドに目をやれば、
あいかわらずガソリンも灯油も高い値のままだった。
いや、以前よりさらに上がったんじゃないか。
電気やガスより費用が安いから、
灯油を使っているのに、
こう値が上がっては、意味がないではないか・・
てくてく体を動かしているのに、
気持ちがどよんとするばかりだった。
玄関先のガマズミの赤い実が、
霜に凍みてうなだれてしまった。
今までこんなことはなかったから、この寒さは
ことさらつよいのだった。
何年ぶりで炬燵を引っ張り出した人や、
ヒーター付きのベストを買った人や、
はじめてステテコを履きましたという若い人もいて、
みな同じように、寒さにふるえている。
毎晩の晩酌で燗酒を酌んでいても、なかなか
温まらない。
焼酎の熱めのお湯割りで、ようやくほっと一息の
夜がつづいている。
中部電力から、先月分の電気代の請求書が届いた。
開けてびっくり、昨年と比べて、電気を
ずいぶん使っていた。
たしかに、なかなか部屋の温度が上がらずに、
朝晩夜中、エアコンをつけっぱなしにしていたときが
多かった。
ズバ暖霧ヶ峰がちっともズバ暖にならぬほどの
寒さに、懐具合も寒くなるばかりだった。
翌朝、仕事場の掃除をしていたら、
となりの湯本さんが顔を出す。
温めて食べてねと、
カレーを作って持ってきてくれた。
寒のきびしい朝に、御好意が温かく染みたのだった。
かじかんだ身に気遣いのカレーかな。

毎朝、ノルディックウォーキングをしていた。
この冬の冷え込みに負けて、いよいよ
早朝に起きられない。
この頃は、仕事を終えた夕方に
ひとまわり歩くようにしている。
道路のそこかしこが凍っているから、
滑ってころばぬよう、目を皿にして
注意深く歩いている。
歩きながら、道沿いのガソリンスタンドに目をやれば、
あいかわらずガソリンも灯油も高い値のままだった。
いや、以前よりさらに上がったんじゃないか。
電気やガスより費用が安いから、
灯油を使っているのに、
こう値が上がっては、意味がないではないか・・
てくてく体を動かしているのに、
気持ちがどよんとするばかりだった。
玄関先のガマズミの赤い実が、
霜に凍みてうなだれてしまった。
今までこんなことはなかったから、この寒さは
ことさらつよいのだった。
何年ぶりで炬燵を引っ張り出した人や、
ヒーター付きのベストを買った人や、
はじめてステテコを履きましたという若い人もいて、
みな同じように、寒さにふるえている。
毎晩の晩酌で燗酒を酌んでいても、なかなか
温まらない。
焼酎の熱めのお湯割りで、ようやくほっと一息の
夜がつづいている。
中部電力から、先月分の電気代の請求書が届いた。
開けてびっくり、昨年と比べて、電気を
ずいぶん使っていた。
たしかに、なかなか部屋の温度が上がらずに、
朝晩夜中、エアコンをつけっぱなしにしていたときが
多かった。
ズバ暖霧ヶ峰がちっともズバ暖にならぬほどの
寒さに、懐具合も寒くなるばかりだった。
翌朝、仕事場の掃除をしていたら、
となりの湯本さんが顔を出す。
温めて食べてねと、
カレーを作って持ってきてくれた。
寒のきびしい朝に、御好意が温かく染みたのだった。
かじかんだ身に気遣いのカレーかな。
別所温泉にて。
睦月 4
別所温泉の、北向観音へ出かけた。
上田駅から別所線に乗って、
枯れ田畑の広がる塩田平を抜けて、
うつらうつらと揺られて行く。
別所温泉駅を出て、まずはひと風呂と、
あいそめの湯へ下った。
向かいの空き地では、親子が集まって、
積み上げられただるまを囲んでいる。
どんど焼きの日なのだった。
地元のおじいさんたちに混じって、
すこし熱めの湯でくつろいで出たら、
すっかりだるまが燃え尽きていた。
駅前のイタリアン、カピトリーノへおじゃますれば、
ガラス越しの厨房では、職人さんがふたり、
石窯でピザを焼いたり、パスタをゆでたり、
せっせと忙しい。
眺めながら、生ハムサラダでビールを飲んで、
赤ワインを飲みながら、ナポリタンで腹を満たした。
店を出て坂道を上がっていくと、
北向観音の細い参道は参拝客の賑わいがある。
祝日というのに参道沿いの食堂はどこも休みで
欲がない。場違いな雰囲気のアイスクリーム屋だけ、
客で混んでいた。
観音堂への急な階段を見上げたら、
杖をついたおじいさんが、
平家の落ち武者のようによろよろと登っていた。
あとにつづいて、観音様に手を合わせ、
上田に暮らす、友だち母子の無事を祈った。
見晴らしのいい境内をひとまわり。
北向観音から古刹、安楽寺と常楽寺をまわり、
家々の間を歩いていれば、
乾いた野原にすすきが茂り、遅い午後の光が
やわらかく照らしている。
ちいさな温泉街ののどかな風情に、
あてもなく歩いているだけで癒されるのだった。
こんどはゆっくり泊まりで来たいものと、
立ち並ぶ旅館を眺めた。
ふたたび、別所線に揺られて上田まで。
久しぶりの友だちに案内されたのは、粋亭という、
初めて伺う店だった。
気さくなご主人が営み、
肴の誂えにも細やかな気遣いのある、好い店だった。
今年初の上田詣でに、満足をしたひとときだった。
湯の町の石段きつし初観音。

別所温泉の、北向観音へ出かけた。
上田駅から別所線に乗って、
枯れ田畑の広がる塩田平を抜けて、
うつらうつらと揺られて行く。
別所温泉駅を出て、まずはひと風呂と、
あいそめの湯へ下った。
向かいの空き地では、親子が集まって、
積み上げられただるまを囲んでいる。
どんど焼きの日なのだった。
地元のおじいさんたちに混じって、
すこし熱めの湯でくつろいで出たら、
すっかりだるまが燃え尽きていた。
駅前のイタリアン、カピトリーノへおじゃますれば、
ガラス越しの厨房では、職人さんがふたり、
石窯でピザを焼いたり、パスタをゆでたり、
せっせと忙しい。
眺めながら、生ハムサラダでビールを飲んで、
赤ワインを飲みながら、ナポリタンで腹を満たした。
店を出て坂道を上がっていくと、
北向観音の細い参道は参拝客の賑わいがある。
祝日というのに参道沿いの食堂はどこも休みで
欲がない。場違いな雰囲気のアイスクリーム屋だけ、
客で混んでいた。
観音堂への急な階段を見上げたら、
杖をついたおじいさんが、
平家の落ち武者のようによろよろと登っていた。
あとにつづいて、観音様に手を合わせ、
上田に暮らす、友だち母子の無事を祈った。
見晴らしのいい境内をひとまわり。
北向観音から古刹、安楽寺と常楽寺をまわり、
家々の間を歩いていれば、
乾いた野原にすすきが茂り、遅い午後の光が
やわらかく照らしている。
ちいさな温泉街ののどかな風情に、
あてもなく歩いているだけで癒されるのだった。
こんどはゆっくり泊まりで来たいものと、
立ち並ぶ旅館を眺めた。
ふたたび、別所線に揺られて上田まで。
久しぶりの友だちに案内されたのは、粋亭という、
初めて伺う店だった。
気さくなご主人が営み、
肴の誂えにも細やかな気遣いのある、好い店だった。
今年初の上田詣でに、満足をしたひとときだった。
湯の町の石段きつし初観音。
今年の運気は
睦月 3
小寒をすぎて、冷え込みがきびしくなった。
朝、目覚まし時計に起こされて、エアコンのスイッチを
入れる。
部屋が温まるまで、うとうとと小一時間。
ようやく布団から這いだしている。
上着を着て氏神さんの境内に立つと、
真っ白な菅平の上に、陽がのぼりはじめて
いた。陽射しが弱く低く、
寒晴れの中、善光寺へむかえば、
三学期が始まって、ぽつりぽつりと、
あずき色のカバンを背負った、
柳町中学校の子供たちが歩いていく。
境内へ行くと、天台宗の坊さんがたの
お朝事が終わり、
本堂から、浄土宗の坊さんがたの
お経の声が響いてくる。
中に入れば、副住職の尼僧の独経が始まり、
つややかな声が冷えた堂内によくひびいていた。
お参りをして階段を下りていくと、柳町中学校の
女の子が、
本堂に向かって手を合わせ、ていねいにお参りを
していった。
いつぞや、長野西高校の女の子が、
手を合わせている姿を見たことがあって、
こういう子供たちに会うたびに、
親御さんはよい育てかたをされていると、
気持ちが温かくなるのだった。
今年初のおみくじは、中吉だった。
願望、運も開き願いが叶う。それはうれしいぞ。
仕事、やりがいのある仕事にて充実。
今年も景気がわるいことだけど、
すこしでも充実しますよう。
恋愛、良い巡り合わせにより運気好調。
ほんとか。なんかわくわくしてきたぞ。
しかし、恋愛を維持するだけの体力がなあ・・
金運、貸し借りは避けよ。
大丈夫、貸せる余裕もなければ、借りても
返すあてもない。
旅行、大きな収穫のある旅となる。
それはありがたい。今年は大学時代の友だちに
会いに行こうと思っている。
春が来るのを楽しみに、
冷え込み耐えていきたいことだった。
かばん背に祈る少女や寒の朝。

小寒をすぎて、冷え込みがきびしくなった。
朝、目覚まし時計に起こされて、エアコンのスイッチを
入れる。
部屋が温まるまで、うとうとと小一時間。
ようやく布団から這いだしている。
上着を着て氏神さんの境内に立つと、
真っ白な菅平の上に、陽がのぼりはじめて
いた。陽射しが弱く低く、
寒晴れの中、善光寺へむかえば、
三学期が始まって、ぽつりぽつりと、
あずき色のカバンを背負った、
柳町中学校の子供たちが歩いていく。
境内へ行くと、天台宗の坊さんがたの
お朝事が終わり、
本堂から、浄土宗の坊さんがたの
お経の声が響いてくる。
中に入れば、副住職の尼僧の独経が始まり、
つややかな声が冷えた堂内によくひびいていた。
お参りをして階段を下りていくと、柳町中学校の
女の子が、
本堂に向かって手を合わせ、ていねいにお参りを
していった。
いつぞや、長野西高校の女の子が、
手を合わせている姿を見たことがあって、
こういう子供たちに会うたびに、
親御さんはよい育てかたをされていると、
気持ちが温かくなるのだった。
今年初のおみくじは、中吉だった。
願望、運も開き願いが叶う。それはうれしいぞ。
仕事、やりがいのある仕事にて充実。
今年も景気がわるいことだけど、
すこしでも充実しますよう。
恋愛、良い巡り合わせにより運気好調。
ほんとか。なんかわくわくしてきたぞ。
しかし、恋愛を維持するだけの体力がなあ・・
金運、貸し借りは避けよ。
大丈夫、貸せる余裕もなければ、借りても
返すあてもない。
旅行、大きな収穫のある旅となる。
それはありがたい。今年は大学時代の友だちに
会いに行こうと思っている。
春が来るのを楽しみに、
冷え込み耐えていきたいことだった。
かばん背に祈る少女や寒の朝。
仕事始めの日に
睦月 2
ガリガリガリガリと,
だんだん耳に届く音で目が覚める。
仕事始めの朝、時計を見ると、四時を
まわったところだった。
カーテンを開けると、雪がさんさんと降っている。
まだ暗い中、向かいのお宅の奥さんが、
雪かきをしていたのだった。
早起きなかたで、毎朝五時ともなれば
玄関先をせっせと掃除をしている。
雪が降るとなおさらで、惰眠をむさぼっている身は、
そのたびに雪かきの音で起こされるのだった。
眠気に負けてふたたび布団にもぐり込み、
のこのこ起きて外へ出れば、
すっかりこちらの玄関先まできれいにしてある。
こちらのほうが若いのに、
毎度毎度申しわけないことだった。
止むことのない降りぐあいに訪ねて来るかたもなく、
暇な仕事始めの日となった。
路地の両脇の雪を、
すぐそばの川に投げて、片付けていたら、
久しぶりの友だちが訪ねてきてくれた。
明けましておめでとうの挨拶をして、
昨年は大変だったねえと労をねぎらえば、
テレビデビューしちゃったよと苦笑いを浮かべる。
小学校の校長先生をしているのだった。
昨年の秋、校庭で遊んでいた児童が、
あやまって大けがをしてしまった。
さいわい命に別状はなかったものの、
ドクターヘリで大きな病院に搬送され、入院をした。
マスコミにでかでか取り上げられ、
深々お詫びをする姿をテレビで観たのだった。
学校関係者への報告やら、警察への後処理が
年末までかかっていたといい、それでも、
退院した児童が校庭を走りまわっている
姿を見たときは、心底ほっとしたという。
ひと様の子供を預かる仕事は、重い責任が
つきまとうことと、改めて伺えたのだった。
今年はなにもないといいねえ。
穏やかに一年をすごしたいねえ。
もうすぐ定年を迎える友だちと、
言い合った。
雪かきの音を遠くに二度寝かな。

ガリガリガリガリと,
だんだん耳に届く音で目が覚める。
仕事始めの朝、時計を見ると、四時を
まわったところだった。
カーテンを開けると、雪がさんさんと降っている。
まだ暗い中、向かいのお宅の奥さんが、
雪かきをしていたのだった。
早起きなかたで、毎朝五時ともなれば
玄関先をせっせと掃除をしている。
雪が降るとなおさらで、惰眠をむさぼっている身は、
そのたびに雪かきの音で起こされるのだった。
眠気に負けてふたたび布団にもぐり込み、
のこのこ起きて外へ出れば、
すっかりこちらの玄関先まできれいにしてある。
こちらのほうが若いのに、
毎度毎度申しわけないことだった。
止むことのない降りぐあいに訪ねて来るかたもなく、
暇な仕事始めの日となった。
路地の両脇の雪を、
すぐそばの川に投げて、片付けていたら、
久しぶりの友だちが訪ねてきてくれた。
明けましておめでとうの挨拶をして、
昨年は大変だったねえと労をねぎらえば、
テレビデビューしちゃったよと苦笑いを浮かべる。
小学校の校長先生をしているのだった。
昨年の秋、校庭で遊んでいた児童が、
あやまって大けがをしてしまった。
さいわい命に別状はなかったものの、
ドクターヘリで大きな病院に搬送され、入院をした。
マスコミにでかでか取り上げられ、
深々お詫びをする姿をテレビで観たのだった。
学校関係者への報告やら、警察への後処理が
年末までかかっていたといい、それでも、
退院した児童が校庭を走りまわっている
姿を見たときは、心底ほっとしたという。
ひと様の子供を預かる仕事は、重い責任が
つきまとうことと、改めて伺えたのだった。
今年はなにもないといいねえ。
穏やかに一年をすごしたいねえ。
もうすぐ定年を迎える友だちと、
言い合った。
雪かきの音を遠くに二度寝かな。
新年になって
睦月 1
大晦日、紅白歌合戦を観て、雪降る中、
氏神さんに、一年のお礼のお参りに行った。
境内で、居合わせた近所のかたがたと
談笑していると、
善光寺から、おごそかに鐘の音が聞こえてくる。
明けて、寅の春。
氏神さんでそのままお参りをして、
二年参りのお客でにぎわう、善光寺でお参りをして
今年が始まった。
元日の朝は清々と参拝日和となった。
朝から客がぞろぞろと、善光寺へ向かっていた。
早々にお参りを済ませた身は、
さっぱりと朝風呂に浸かってから、
元旦恒例の実業団駅伝を観ながら、
夕べのおせちの残りを突っつきながら、一献傾けた。
翌二日、箱根駅伝を観ながらサッポロビールを
飲んでいたら、
山登りの5区が始まるところで、玄関のチャイムが
鳴る。
飲み仲間のかたがたと、新年最初の宴なのだった。
今年もよろしくお願いします。
毎度馴染みの顔ぶれと杯を交わし、
まずはめでたい。
翌三日は、前夜持ち込んでもらったつまみと酒で
箱根駅伝の復路の走りを観た。
このごろは、選手の名前が流れると、
佐久長聖やら長野日大やら、
長野県出身の選手を数多く見かけるようになり、
応援してしまう。
熱い吐息を吐きながら力走する走者に、
メンバーに選ばれず、給水係として、
選手に水を渡し、声をかける仲間に、
それぞれが、ひたむきな想いで二日間を
闘っている。
毎年観るたびに涙が出そうになるのだった。
四十年も昔、同じ年のころを振り返れば、
一心に打ち込むことなど何もなく、
ただただ怠惰な日々をかさねていた。
そのまま持ち直すこともせず、この歳まで
来てしまったなあ。
今年も暮らしへの不安は尽きないけれど、
せめて余計なことは考えず、
ささやかな決まりごとをくずさぬよう
暮らしていきたいことだった。
初春に吐く息つよき走者かな。

大晦日、紅白歌合戦を観て、雪降る中、
氏神さんに、一年のお礼のお参りに行った。
境内で、居合わせた近所のかたがたと
談笑していると、
善光寺から、おごそかに鐘の音が聞こえてくる。
明けて、寅の春。
氏神さんでそのままお参りをして、
二年参りのお客でにぎわう、善光寺でお参りをして
今年が始まった。
元日の朝は清々と参拝日和となった。
朝から客がぞろぞろと、善光寺へ向かっていた。
早々にお参りを済ませた身は、
さっぱりと朝風呂に浸かってから、
元旦恒例の実業団駅伝を観ながら、
夕べのおせちの残りを突っつきながら、一献傾けた。
翌二日、箱根駅伝を観ながらサッポロビールを
飲んでいたら、
山登りの5区が始まるところで、玄関のチャイムが
鳴る。
飲み仲間のかたがたと、新年最初の宴なのだった。
今年もよろしくお願いします。
毎度馴染みの顔ぶれと杯を交わし、
まずはめでたい。
翌三日は、前夜持ち込んでもらったつまみと酒で
箱根駅伝の復路の走りを観た。
このごろは、選手の名前が流れると、
佐久長聖やら長野日大やら、
長野県出身の選手を数多く見かけるようになり、
応援してしまう。
熱い吐息を吐きながら力走する走者に、
メンバーに選ばれず、給水係として、
選手に水を渡し、声をかける仲間に、
それぞれが、ひたむきな想いで二日間を
闘っている。
毎年観るたびに涙が出そうになるのだった。
四十年も昔、同じ年のころを振り返れば、
一心に打ち込むことなど何もなく、
ただただ怠惰な日々をかさねていた。
そのまま持ち直すこともせず、この歳まで
来てしまったなあ。
今年も暮らしへの不安は尽きないけれど、
せめて余計なことは考えず、
ささやかな決まりごとをくずさぬよう
暮らしていきたいことだった。
初春に吐く息つよき走者かな。