いつか陽のあたる場所で
弥生 十三
NHKで乃南アサ原作のドラマをやっていた。
このかたの、女刑事音道貴子シリーズが好きで読んでいた。
音道貴子は警視庁の機動捜査隊勤務で、
背が高く美人、ばつ一で、大型バイクを操って酒もつよい。
いちどドラマになったときに天海祐希が演じたと聞いた。
ちょっとちがうかなあ。
小説の雰囲に気合う人を思いめぐらしたら、
スケートの荒川静香が浮かんだ。
いつか陽のあたる場所で は、前科持ちの女性二人の
物語だった。
上戸彩と飯島直子が演じる主人公は、
それぞれ昏睡強盗と夫殺しの罪で服役していた。
おつとめを終えて、ふたりは谷中の町で
おたがいを唯一の支えとしながら日々をすごしていく。
過去を知られたくないとおびえながらも、
町で暮らすまわりのかたがたの情に触れ、
明るさをとりもどしてゆく。
上戸彩のとなりに住む老夫婦の役を
竜雷太と松金よね子がやっていた。
子供のころ、金曜日になるたび見ていたゴリさんも
いつのまにか、年寄りの役が似合うようになっていたのだった。
ドラマの後半、かつてのム所仲間と出会ったのがきっかけで、
みんなにふたりの過去がわかってしまった。
ふたりもとまどうがまわりもとまどう。
しばらくして、うなだれている上戸彩に竜雷太が、
ばあさんの作った煮物を渡しながら声をかける。
下を向くな。地面なんか見たっておもしろくなかろう。
上を向いて深呼吸のひとつもすれば、
まあ何とかなると思える。
素朴な台詞が気持ちに染みた。
酒ばかり飲んでいる気楽な身分でも、
人並みにへこむこともある。
朝、ラジオ体操をする。
体をそり返せば、春の空の青さが目に入る。
空を見上げて深呼吸。忘れないようにしたい。
ドラマが終わってから原作を買って読んでみた。
話の流れがすこしちがうものの、原作もおもしろかった。
原作はシリーズになっていて、まだおわっていないから
読みつづけられるたのしみがあるのは好いことだった。

NHKで乃南アサ原作のドラマをやっていた。
このかたの、女刑事音道貴子シリーズが好きで読んでいた。
音道貴子は警視庁の機動捜査隊勤務で、
背が高く美人、ばつ一で、大型バイクを操って酒もつよい。
いちどドラマになったときに天海祐希が演じたと聞いた。
ちょっとちがうかなあ。
小説の雰囲に気合う人を思いめぐらしたら、
スケートの荒川静香が浮かんだ。
いつか陽のあたる場所で は、前科持ちの女性二人の
物語だった。
上戸彩と飯島直子が演じる主人公は、
それぞれ昏睡強盗と夫殺しの罪で服役していた。
おつとめを終えて、ふたりは谷中の町で
おたがいを唯一の支えとしながら日々をすごしていく。
過去を知られたくないとおびえながらも、
町で暮らすまわりのかたがたの情に触れ、
明るさをとりもどしてゆく。
上戸彩のとなりに住む老夫婦の役を
竜雷太と松金よね子がやっていた。
子供のころ、金曜日になるたび見ていたゴリさんも
いつのまにか、年寄りの役が似合うようになっていたのだった。
ドラマの後半、かつてのム所仲間と出会ったのがきっかけで、
みんなにふたりの過去がわかってしまった。
ふたりもとまどうがまわりもとまどう。
しばらくして、うなだれている上戸彩に竜雷太が、
ばあさんの作った煮物を渡しながら声をかける。
下を向くな。地面なんか見たっておもしろくなかろう。
上を向いて深呼吸のひとつもすれば、
まあ何とかなると思える。
素朴な台詞が気持ちに染みた。
酒ばかり飲んでいる気楽な身分でも、
人並みにへこむこともある。
朝、ラジオ体操をする。
体をそり返せば、春の空の青さが目に入る。
空を見上げて深呼吸。忘れないようにしたい。
ドラマが終わってから原作を買って読んでみた。
話の流れがすこしちがうものの、原作もおもしろかった。
原作はシリーズになっていて、まだおわっていないから
読みつづけられるたのしみがあるのは好いことだった。

春休日
弥生 十二
ひさしぶりにワインが飲みたい。
休日の昼間、ひと風呂浴びて町をぶらつけば
図書館のろとう桜と白梅が、見頃に咲いていた。
門前町のそこかしこに梅が咲き、
城山公園では、花見小屋も建てられ始めた。
こまつやさんへ足を運んだら、
あたらしいスタッフが入りましたと紹介をされて、
馴染みのちいさなパスタ屋さんにも、
春からの新鮮な空気があるのだった。
カウンターの窓際で、ハンバーグをつまみに
ビール一杯に、白二杯に赤一杯。
飲みながら眺めていれば、善光寺への観光客の姿も
増えてきた。
こまつやさんにもつぎつぎとお客さんがやってきて、
いそがしいのを尻目にいつもゆっくりしてしまい
申しわけがない。
酔いざましの昼寝から起きて、夕方近所を散歩した。
坂の途中、ひと気のない古びたアパートの庭に
紅梅がぽっかりと咲いていた。
宇都宮タクシーの営業所では、おじさんが二人
せっせと車を洗っている。
子供のころから見慣れた界隈は、大人になって歩いても
飽きることがない。
むしろこの歳になり、好い町としみじみ思うのは、
日々への心もちが枯れてきたせいかと思う。
床屋のあった空き家には、台湾茶の店ができた。
台湾のお茶は飲んだことがない。
古い町にぽつぽつあたらしい店が出来るのも
このごろの好いことと眺めた。
晩酌の支度をしながら麦焼酎のロックをなめていれば
陽ののびた、春の暮れの静かさが心地いい。
野沢菜をつまみに、封を切った幻舞の山田錦の純米は、
顔なじみの蔵人さんが、わざわざ持ってきてくれたものだった。
このお蔵さんにしては、香りは控えめか。
さらに澄んだと思えるおりがらみのやさしい味は、
今日の陽気にふさわしい。
休日、ほかにやることがないのは如何なものかと思いつつ、
まあ、大人のぜいたくということで。
のんびり春はじめの酒を酌んでいるのだった。
ひさしぶりにワインが飲みたい。
休日の昼間、ひと風呂浴びて町をぶらつけば
図書館のろとう桜と白梅が、見頃に咲いていた。
門前町のそこかしこに梅が咲き、
城山公園では、花見小屋も建てられ始めた。
こまつやさんへ足を運んだら、
あたらしいスタッフが入りましたと紹介をされて、
馴染みのちいさなパスタ屋さんにも、
春からの新鮮な空気があるのだった。
カウンターの窓際で、ハンバーグをつまみに
ビール一杯に、白二杯に赤一杯。
飲みながら眺めていれば、善光寺への観光客の姿も
増えてきた。
こまつやさんにもつぎつぎとお客さんがやってきて、
いそがしいのを尻目にいつもゆっくりしてしまい
申しわけがない。
酔いざましの昼寝から起きて、夕方近所を散歩した。
坂の途中、ひと気のない古びたアパートの庭に
紅梅がぽっかりと咲いていた。
宇都宮タクシーの営業所では、おじさんが二人
せっせと車を洗っている。
子供のころから見慣れた界隈は、大人になって歩いても
飽きることがない。
むしろこの歳になり、好い町としみじみ思うのは、
日々への心もちが枯れてきたせいかと思う。
床屋のあった空き家には、台湾茶の店ができた。
台湾のお茶は飲んだことがない。
古い町にぽつぽつあたらしい店が出来るのも
このごろの好いことと眺めた。
晩酌の支度をしながら麦焼酎のロックをなめていれば
陽ののびた、春の暮れの静かさが心地いい。
野沢菜をつまみに、封を切った幻舞の山田錦の純米は、
顔なじみの蔵人さんが、わざわざ持ってきてくれたものだった。
このお蔵さんにしては、香りは控えめか。
さらに澄んだと思えるおりがらみのやさしい味は、
今日の陽気にふさわしい。
休日、ほかにやることがないのは如何なものかと思いつつ、
まあ、大人のぜいたくということで。
のんびり春はじめの酒を酌んでいるのだった。

区切りの梅も咲き
弥生 十一
行きつ戻りつ今年の春がすすんでいる。
春分の日、友だち家族が訪ねてきた。
彼岸の墓参りの帰りといい、
お母さんと娘二人はしっかりマスクをして、
この日はたしかに花粉と黄砂の景気がよかった。
下の娘は今年高校を卒業して、
無事市内の短大へ進学がきまったからめでたい。
娘二人と会ったのは久しぶりのことだった。
朝から腹のおさまりわるい思いをかかえていたときで、
ふたりのマスク越しのにこにこした表情を見たら
そんな気分もやわらいで、つくづく子供の笑顔というものは
ありがたい。
信濃美術館の梅がほころび始めた。
梅は咲いたか桜はまだかいな。
早朝の散歩をされているかたがたも、
つぼみの様子を見上げながら歩いている。
三月二十二日は高校入試の合格発表の日となった。
今年も、身の回りの知り合いに受験をした子供たちがいる。
晴れて合格していることを願いたい。
公務員の友だちは、この日あたらしい赴任先を
言い渡されるという。
山登りの好きな人だから、山の近い町への配属を願いたい。
散歩から戻って、仕事場の有線のチャンネルを
NHKの第一ラジオにする。
甲子園の春の選抜大会も始まったのだった。
今年は例年より四校多い三十六校の参加で、
東北からは五校が出場しているという。
長野からの代表校が出ていないのは、少々さびしいことだった。
女子高生の澄んだ君が代の斉唱に聞き惚れて、
選手宣誓では鳴門高校のキャプテンが、
東北をはじめ、全国で困難と試練にたちむかう人に
勇気と希望の花を送りたいと誓った。
震災以降、高校球児の言葉にも、染み入る想いの春になっている。
昼休み公務員の友だちから、
駒ケ岳の町に行きますとメールが来た。
前々回もおなじ町でいそがしく働いていたから、
よくよく縁がある。
光前寺の桜は見ごたえがあったなと、
春に訪ねていったときの景色を思い出した。

行きつ戻りつ今年の春がすすんでいる。
春分の日、友だち家族が訪ねてきた。
彼岸の墓参りの帰りといい、
お母さんと娘二人はしっかりマスクをして、
この日はたしかに花粉と黄砂の景気がよかった。
下の娘は今年高校を卒業して、
無事市内の短大へ進学がきまったからめでたい。
娘二人と会ったのは久しぶりのことだった。
朝から腹のおさまりわるい思いをかかえていたときで、
ふたりのマスク越しのにこにこした表情を見たら
そんな気分もやわらいで、つくづく子供の笑顔というものは
ありがたい。
信濃美術館の梅がほころび始めた。
梅は咲いたか桜はまだかいな。
早朝の散歩をされているかたがたも、
つぼみの様子を見上げながら歩いている。
三月二十二日は高校入試の合格発表の日となった。
今年も、身の回りの知り合いに受験をした子供たちがいる。
晴れて合格していることを願いたい。
公務員の友だちは、この日あたらしい赴任先を
言い渡されるという。
山登りの好きな人だから、山の近い町への配属を願いたい。
散歩から戻って、仕事場の有線のチャンネルを
NHKの第一ラジオにする。
甲子園の春の選抜大会も始まったのだった。
今年は例年より四校多い三十六校の参加で、
東北からは五校が出場しているという。
長野からの代表校が出ていないのは、少々さびしいことだった。
女子高生の澄んだ君が代の斉唱に聞き惚れて、
選手宣誓では鳴門高校のキャプテンが、
東北をはじめ、全国で困難と試練にたちむかう人に
勇気と希望の花を送りたいと誓った。
震災以降、高校球児の言葉にも、染み入る想いの春になっている。
昼休み公務員の友だちから、
駒ケ岳の町に行きますとメールが来た。
前々回もおなじ町でいそがしく働いていたから、
よくよく縁がある。
光前寺の桜は見ごたえがあったなと、
春に訪ねていったときの景色を思い出した。

和菓子めぐって
弥生 十
友だちに、二葉堂のどら焼きをいただいた。
おわるころ、近所のかたの東京土産に
中村屋のうすあわせをいただいた。
酒ばかり飲んでいる辛口党も、たまの甘いものは美味しい。
近所にいくつか和菓子屋があり、
ひと様のお宅に伺うときに、手土産もとめて足を運んでいる。
喜世栄さんなら石ごろもにきんつばに、これからは
うぐいす餅とさくら餅もいい。
竹風堂さんではどらやき山ときんつば山が定番で、
峰福堂さんの弥生御前もはずせない。
善光寺の仲見世の通りのわきに、
かつて塩瀬さんという店があった。
三国一のそば餅が有名で、母のお気に入りだった。
何年か前に店をたたんでしまったときに、
馴染みの味がなくなることを、残念がっていたのを覚えている。
店のあった場所は、
今ではとなりのおおきな土産物屋の一部になって、
きれいなお姉さんたちが蕎麦クレープを売っている。
このごろ訪ねてきてくれるようになったかたがいる。
仲見世の土産物屋の奥さんで、
比較的おおきな店を営んでいるのだった。
店がおおきいと、それだけ人手もかかるから
やりくりが大変という。
縁を作っていただいたなら、せめてものお返しはしたい。
お使い物に合いそうな御菓子はありますかと尋ねたら、
きなこ餅にひとくち最中、それに三国一のそば餅というから
おどろいた。
塩瀬さんのそば餅ですかと問い返したら、そうだという。
塩瀬さんが店じまいをしたあとに、働いていた職人さんに来てもらい、
今でも毎日作ってもらっているという。
何人かいた職人さんも、今ではひとりだけになったというから、
昔の味を作りつづけていくのもむずかしいことなのだった。
今年の年明け、知り合いのお宅を訪ねる用事があって、
さっそく手土産にと出向いた。
ひと箱包んでもらい、自分用に一個と求めたら、
これはお代はいいですと、サービスしてもらい恐縮した。
みちみち歩きながらほおばれば、
うす皮の蕎麦の風味に甘すぎない餡がよくなじんで
美味しかった。
灯台もと暗し。近くにいても、
まだ知らない逸品がこの界隈にはあると知る。
母の好物なのに、実家へ行くときいつも買い忘れているのは
親不孝なことだった。
友だちに、二葉堂のどら焼きをいただいた。
おわるころ、近所のかたの東京土産に
中村屋のうすあわせをいただいた。
酒ばかり飲んでいる辛口党も、たまの甘いものは美味しい。
近所にいくつか和菓子屋があり、
ひと様のお宅に伺うときに、手土産もとめて足を運んでいる。
喜世栄さんなら石ごろもにきんつばに、これからは
うぐいす餅とさくら餅もいい。
竹風堂さんではどらやき山ときんつば山が定番で、
峰福堂さんの弥生御前もはずせない。
善光寺の仲見世の通りのわきに、
かつて塩瀬さんという店があった。
三国一のそば餅が有名で、母のお気に入りだった。
何年か前に店をたたんでしまったときに、
馴染みの味がなくなることを、残念がっていたのを覚えている。
店のあった場所は、
今ではとなりのおおきな土産物屋の一部になって、
きれいなお姉さんたちが蕎麦クレープを売っている。
このごろ訪ねてきてくれるようになったかたがいる。
仲見世の土産物屋の奥さんで、
比較的おおきな店を営んでいるのだった。
店がおおきいと、それだけ人手もかかるから
やりくりが大変という。
縁を作っていただいたなら、せめてものお返しはしたい。
お使い物に合いそうな御菓子はありますかと尋ねたら、
きなこ餅にひとくち最中、それに三国一のそば餅というから
おどろいた。
塩瀬さんのそば餅ですかと問い返したら、そうだという。
塩瀬さんが店じまいをしたあとに、働いていた職人さんに来てもらい、
今でも毎日作ってもらっているという。
何人かいた職人さんも、今ではひとりだけになったというから、
昔の味を作りつづけていくのもむずかしいことなのだった。
今年の年明け、知り合いのお宅を訪ねる用事があって、
さっそく手土産にと出向いた。
ひと箱包んでもらい、自分用に一個と求めたら、
これはお代はいいですと、サービスしてもらい恐縮した。
みちみち歩きながらほおばれば、
うす皮の蕎麦の風味に甘すぎない餡がよくなじんで
美味しかった。
灯台もと暗し。近くにいても、
まだ知らない逸品がこの界隈にはあると知る。
母の好物なのに、実家へ行くときいつも買い忘れているのは
親不孝なことだった。

春めきだんだんと
弥生 九
この春は、ことに花粉のいきおいがつよい。
朝に二錠薬を飲めば、一日持ちこたえていたのに、
夕方をむかえるまえに切れてくる。
もう二錠飲んで仕事を終えたあと、毎夜の義務の日本酒を酌めば、
翌朝の体のだるさがけっこうくる。
なじみのおでん屋でそんな話をしたら、
花粉症の薬は肝臓にくるからと教えてもらい、
やっぱり飲み合わせがわるいとあらためてわかる。
おまけに歳をかさねて抵抗力もおちているのだから、
調子がわるくなるのも無理はない。
それでも酒を控える気さらさらなく、
グラスになみなみ満たしてもらっているのだから、
始末におえないのだった。
休みの日、朝から風がつよい。
ごうごうとむかいのお宅や氏神さんの木々が揺れている。
こんな日は花粉も全盛の舞いと、見ているだけで
鼻がむずむずとしてきてしまう。
折りしも、ワールドベースボール・クラシックの準決勝の日だったから
午前中はおとなしく侍ジャパンの応援をする。
初回に一点をとられたあとに、なかなか反撃の糸口がつかめない。
終盤にさらに二点を失点して、侍ジャパンの挑戦はおわってしまった。
残念無念の一杯をと、近所の大丸さんへ出かければ、
若だんなのよういちろうさんが、おおきな顔にマスクをしてむかえてくれる。
花粉、ひどいですとつらそうにいうものだから、
まったくと同胞に相づちうって、クラシック・ラガーを酌んだ。
次の日、近所の花屋の若だんなが、
黄色のサンシュの枝を持ってきてくれた。
黄色は春の始まりの色とはよく言ったものと、
玄関前がはなやかになる。
空もうらうらと春らしい気配になってきた。
ちまたで聞こえる鳥の鳴き声もふえてきて、
善光寺のまわりの里山も、やわらかい色合いを帯びてきた。
城山公園の梅のつぼみもおおきくなって、開花がまちどおしい。
花粉症がつらくても、この春をむかえるよろこびにはかなわない。
陽ものびて、明るいうちから一杯やりながら愛でたいのだった。
この春は、ことに花粉のいきおいがつよい。
朝に二錠薬を飲めば、一日持ちこたえていたのに、
夕方をむかえるまえに切れてくる。
もう二錠飲んで仕事を終えたあと、毎夜の義務の日本酒を酌めば、
翌朝の体のだるさがけっこうくる。
なじみのおでん屋でそんな話をしたら、
花粉症の薬は肝臓にくるからと教えてもらい、
やっぱり飲み合わせがわるいとあらためてわかる。
おまけに歳をかさねて抵抗力もおちているのだから、
調子がわるくなるのも無理はない。
それでも酒を控える気さらさらなく、
グラスになみなみ満たしてもらっているのだから、
始末におえないのだった。
休みの日、朝から風がつよい。
ごうごうとむかいのお宅や氏神さんの木々が揺れている。
こんな日は花粉も全盛の舞いと、見ているだけで
鼻がむずむずとしてきてしまう。
折りしも、ワールドベースボール・クラシックの準決勝の日だったから
午前中はおとなしく侍ジャパンの応援をする。
初回に一点をとられたあとに、なかなか反撃の糸口がつかめない。
終盤にさらに二点を失点して、侍ジャパンの挑戦はおわってしまった。
残念無念の一杯をと、近所の大丸さんへ出かければ、
若だんなのよういちろうさんが、おおきな顔にマスクをしてむかえてくれる。
花粉、ひどいですとつらそうにいうものだから、
まったくと同胞に相づちうって、クラシック・ラガーを酌んだ。
次の日、近所の花屋の若だんなが、
黄色のサンシュの枝を持ってきてくれた。
黄色は春の始まりの色とはよく言ったものと、
玄関前がはなやかになる。
空もうらうらと春らしい気配になってきた。
ちまたで聞こえる鳥の鳴き声もふえてきて、
善光寺のまわりの里山も、やわらかい色合いを帯びてきた。
城山公園の梅のつぼみもおおきくなって、開花がまちどおしい。
花粉症がつらくても、この春をむかえるよろこびにはかなわない。
陽ものびて、明るいうちから一杯やりながら愛でたいのだった。

白と黒の酒
弥生 八
馴染みの酒屋のみねむら君が、あたらしい取り引きを始めた。
このたび付き合い成ったのは、琵琶湖の町のお蔵さんで、
笑四季酒造さんという。
二月に連れ立って蔵見学をさせていただいて、
味を利かせていただいた。
石高はおよそ二百石とちいさい。
昨年からアルコール添加をやめて、造る酒は
ぜんぶ純米にしたという。
杜氏のあつのりさんはまだ三十歳前半と若い。
ドイツの熟成した白ワインが好きで、米でその味を求めた銘柄には
モンスーンといういさましい名前がついている。
ワイングラスに注いで口にすれば、
甘味と酸味の味わいにたしかに通じるものがある。
凝っているのは味だけでなく、瓶はワインボトル、
あざやかなラベルのデザインは、若手のデザイナーのものといい、
洋食の店の、ワインのとなりに並べても違和感がない。
酒に木の香りがつくのがいやだから、麹を仕込むときに
通常の木の箱ではなくて、
ヤマザキのおじさんがパンを運ぶときに使う
プラスチックのケースを使っている。
大吟醸を仕込むときの自作の道具には
ホームセンターで買ったプラスチックのたらいが使われていて、
コメリのシールが貼られたままだった。
力の抜けたおおらかな発想の造りに、
こちらも笑いがこぼれてしまった。
酒、入荷しましたと、みねむら君からメールが届いたから、
白ラベルと黒ラベルの純米酒、それぞれ一本づつ注文した。
日本酒に馴染むきっかけにと、あたらしく造られた銘柄で、
米はいっしょで酵母がちがうという。
比べて飲んでみれば白ラベルはやさしい、
黒ラベルはやや力づよい旨みがあってとちがいがわかり、
手ごろな値段をぐいっと越える味の好さに
飲みはじめのきっかけにふさわしいと思えるのだった。
人生をおだやかに過ごしていければ、そんな良いことはない。
それでもときには、
はっきりと白黒つけなくてはいけないときもある。
それができない優柔不断の出来そこないは、
悔やみごとにほろほろ泣いて、酒ばかり酌んでいるのだった。

馴染みの酒屋のみねむら君が、あたらしい取り引きを始めた。
このたび付き合い成ったのは、琵琶湖の町のお蔵さんで、
笑四季酒造さんという。
二月に連れ立って蔵見学をさせていただいて、
味を利かせていただいた。
石高はおよそ二百石とちいさい。
昨年からアルコール添加をやめて、造る酒は
ぜんぶ純米にしたという。
杜氏のあつのりさんはまだ三十歳前半と若い。
ドイツの熟成した白ワインが好きで、米でその味を求めた銘柄には
モンスーンといういさましい名前がついている。
ワイングラスに注いで口にすれば、
甘味と酸味の味わいにたしかに通じるものがある。
凝っているのは味だけでなく、瓶はワインボトル、
あざやかなラベルのデザインは、若手のデザイナーのものといい、
洋食の店の、ワインのとなりに並べても違和感がない。
酒に木の香りがつくのがいやだから、麹を仕込むときに
通常の木の箱ではなくて、
ヤマザキのおじさんがパンを運ぶときに使う
プラスチックのケースを使っている。
大吟醸を仕込むときの自作の道具には
ホームセンターで買ったプラスチックのたらいが使われていて、
コメリのシールが貼られたままだった。
力の抜けたおおらかな発想の造りに、
こちらも笑いがこぼれてしまった。
酒、入荷しましたと、みねむら君からメールが届いたから、
白ラベルと黒ラベルの純米酒、それぞれ一本づつ注文した。
日本酒に馴染むきっかけにと、あたらしく造られた銘柄で、
米はいっしょで酵母がちがうという。
比べて飲んでみれば白ラベルはやさしい、
黒ラベルはやや力づよい旨みがあってとちがいがわかり、
手ごろな値段をぐいっと越える味の好さに
飲みはじめのきっかけにふさわしいと思えるのだった。
人生をおだやかに過ごしていければ、そんな良いことはない。
それでもときには、
はっきりと白黒つけなくてはいけないときもある。
それができない優柔不断の出来そこないは、
悔やみごとにほろほろ泣いて、酒ばかり酌んでいるのだった。

花粉症雑感
弥生 七
春になると熊木杏里が聴きたくなる。
すこしかわいた歌声は、春の気配に合っている。
やわらかくて、ときおり芯のつよさを感じさせる表情に、
飲み仲間の女の子に、
似た空気をまとっているかたがいたと思い出した。
あさっての日本酒の会は、伯楽星の純米吟醸を
利いていただきたい。
春の酒を酌めるようになったのは好いものの、
毎年の困りごとが、いつもよりいきおいがいい。
花粉が目と鼻にきて、毎日顔をぐずぐずにしているのだった。
三月から五月のはじめまで、アイボンと鼻炎の薬が欠かせない。
以前、テレビでCMをやっていた薬を飲んでいた。
眠気のつよくなるのが困りもので、
いちど仕事の最中に、負けて一瞬意識の落ちたことがあった。
鋏を使って人さまに向かうなりわいだから、
あぶなかったと背中に汗が流れた。
それからは、近所の薬屋の若旦那に相談して、
好く効いて眠くならないやつを教えてもらい重宝している。
体調のよいわるいに関わらず、毎日飲んでいる薬もある。
胃腸のために百草丸。肝臓のためにハウスのウコン。
肝臓のためにシジミのカプセル。栄養不足のためにミドリムシ。
そういうものに頼るより、
酒の量を減らしたほうがよほど体のためになると、
話すたびに言われるのも毎度のことで、
じゅうじゅうわかっているものの、すっかり意志の弱い柄は
それができずに苦労しているのだった。
この春いちばんの暖かい日、夕方から厚い雲が立ち込めて、
ぽつぽつ当たってきた。
仕事のあとの、町をひと走りをあきらめて、
早々に風呂に入って晩酌にする。
となりの湯本さんからいただいた天ぷらを肴に酌んでいれば、
すっかり本降りになっても、
これからはひと雨ごとに暖かくなるから
窓打つ雨足にもゆっくり杯をかたむけられる。
花粉症の薬が効いていると、酔いのまわるのがずんずん早い。
すとんとうたた寝に落ちてしまったのだった。
春隣も過ぎ
春になると熊木杏里が聴きたくなる。
すこしかわいた歌声は、春の気配に合っている。
やわらかくて、ときおり芯のつよさを感じさせる表情に、
飲み仲間の女の子に、
似た空気をまとっているかたがいたと思い出した。
あさっての日本酒の会は、伯楽星の純米吟醸を
利いていただきたい。
春の酒を酌めるようになったのは好いものの、
毎年の困りごとが、いつもよりいきおいがいい。
花粉が目と鼻にきて、毎日顔をぐずぐずにしているのだった。
三月から五月のはじめまで、アイボンと鼻炎の薬が欠かせない。
以前、テレビでCMをやっていた薬を飲んでいた。
眠気のつよくなるのが困りもので、
いちど仕事の最中に、負けて一瞬意識の落ちたことがあった。
鋏を使って人さまに向かうなりわいだから、
あぶなかったと背中に汗が流れた。
それからは、近所の薬屋の若旦那に相談して、
好く効いて眠くならないやつを教えてもらい重宝している。
体調のよいわるいに関わらず、毎日飲んでいる薬もある。
胃腸のために百草丸。肝臓のためにハウスのウコン。
肝臓のためにシジミのカプセル。栄養不足のためにミドリムシ。
そういうものに頼るより、
酒の量を減らしたほうがよほど体のためになると、
話すたびに言われるのも毎度のことで、
じゅうじゅうわかっているものの、すっかり意志の弱い柄は
それができずに苦労しているのだった。
この春いちばんの暖かい日、夕方から厚い雲が立ち込めて、
ぽつぽつ当たってきた。
仕事のあとの、町をひと走りをあきらめて、
早々に風呂に入って晩酌にする。
となりの湯本さんからいただいた天ぷらを肴に酌んでいれば、
すっかり本降りになっても、
これからはひと雨ごとに暖かくなるから
窓打つ雨足にもゆっくり杯をかたむけられる。
花粉症の薬が効いていると、酔いのまわるのがずんずん早い。
すとんとうたた寝に落ちてしまったのだった。
春隣も過ぎ

二輪日和
弥生 六
去年の秋に自転車を買った。
ずいぶん昔、赤いロードバイクに乗っていたことがある。
休みの日になればペダルをこいで、
すこし遠くの町まで散歩をしていた。
購読している雑誌に、ときどき自転車メーカーの広告が載って、
眺めていたら、ひさしぶりに気持ちがむくむくしてきてしまった。
世話になっているバイク屋さんが、ブリジストンの特約店もやっている。
仕事の合間に、
ホームページを眺めて物色していたらもういけない。
けっきょく最初の予算より、
倍も値段の張るロードバイクをを注文してしまった。
フレームをつや消しの黒としぶく決め、納車まで一ヶ月あまり。
手元に届いたときは、すっかり冬の気配が色濃くなって、
そのまま乗らずに納戸にしまい込んでいた。
三月になり、春めいた陽気の日が多くなる。
ようやく乗り出せる気分になれたのはうれしいことだった。
自転車にバイク、季節のいろどりを感じながら走るのは
気持ちが好い。
のんびり走っても、じきに花と緑と山と川の景色があるのも
この地に暮らすぜいたくと思う。
バイクのために新しいヘルメットも買ったから、
今年の春、愛車であちこち出かけたい。
しずかな午後の日曜日、いさましい音が家の前で停まった。
近所に住んでいる友だちで、見慣れぬバイクに乗ってきた。
バイク好きの友だちで、すでに何台か持っているものの、
山道をとばせるオフロードを一台欲しいと言っていた。
跨ってきたヤマハのブルーのWR250は精悍なスタイルで
かっこいい。
友だちには、今年大学を受験した息子がいる。
大学へ行かせるにはお金がかかるから、そのときのためにと
貯金をしてきたという。
ところがかんじんの息子が希望の大学に落ちてしまい
浪人することになり貯めたお金が宙に浮いた。
それではと、まよわずバイクを買ってしまったのだった。
大事な資金が、くその役にもたたないお父さんの道楽に姿を変えて、
それ、奥さんには内緒だよねと聞けば、
あたりまえとばかりにうなずいた。
家庭があると、春を遊ぶのにも男はときどき
こわい勇気が必要になるのだった。
奥さんに会ったらしゃべりたくなるから気をつけなくてはいけない。

去年の秋に自転車を買った。
ずいぶん昔、赤いロードバイクに乗っていたことがある。
休みの日になればペダルをこいで、
すこし遠くの町まで散歩をしていた。
購読している雑誌に、ときどき自転車メーカーの広告が載って、
眺めていたら、ひさしぶりに気持ちがむくむくしてきてしまった。
世話になっているバイク屋さんが、ブリジストンの特約店もやっている。
仕事の合間に、
ホームページを眺めて物色していたらもういけない。
けっきょく最初の予算より、
倍も値段の張るロードバイクをを注文してしまった。
フレームをつや消しの黒としぶく決め、納車まで一ヶ月あまり。
手元に届いたときは、すっかり冬の気配が色濃くなって、
そのまま乗らずに納戸にしまい込んでいた。
三月になり、春めいた陽気の日が多くなる。
ようやく乗り出せる気分になれたのはうれしいことだった。
自転車にバイク、季節のいろどりを感じながら走るのは
気持ちが好い。
のんびり走っても、じきに花と緑と山と川の景色があるのも
この地に暮らすぜいたくと思う。
バイクのために新しいヘルメットも買ったから、
今年の春、愛車であちこち出かけたい。
しずかな午後の日曜日、いさましい音が家の前で停まった。
近所に住んでいる友だちで、見慣れぬバイクに乗ってきた。
バイク好きの友だちで、すでに何台か持っているものの、
山道をとばせるオフロードを一台欲しいと言っていた。
跨ってきたヤマハのブルーのWR250は精悍なスタイルで
かっこいい。
友だちには、今年大学を受験した息子がいる。
大学へ行かせるにはお金がかかるから、そのときのためにと
貯金をしてきたという。
ところがかんじんの息子が希望の大学に落ちてしまい
浪人することになり貯めたお金が宙に浮いた。
それではと、まよわずバイクを買ってしまったのだった。
大事な資金が、くその役にもたたないお父さんの道楽に姿を変えて、
それ、奥さんには内緒だよねと聞けば、
あたりまえとばかりにうなずいた。
家庭があると、春を遊ぶのにも男はときどき
こわい勇気が必要になるのだった。
奥さんに会ったらしゃべりたくなるから気をつけなくてはいけない。

3月11日に
弥生 五
今年の三月十一日は、冴えかえったつめたい風の吹く日になった。
二時半をまわったころ善光寺さんへ行った。
本堂に入れば、すでにお坊さんたちの祈りの声がひびきわたり、
たくさんの人がお参りに来ていた。
観光客に近所のおじいさんにおばあさん、
学校帰りの女子高校生に、
お父さんとお母さんといっしょのちっちゃな男の子、
みんなが手を合わせ、二年前のこの日のかたがたの
御冥福を祈る。
いつもより長い時間手を合わせてお参りさせていただいた。
境内を出てからそのまま通りを南へくだってゆく。
仕事仲間の友だちがこのたび仕事場を引っ越した。
あたらしい仕事場のレセプションに招かれていたのだった。
長い間、にぎやかな斜めの通りのビルのひと角で仕事をしていた。
あたらしい仕事場は、おおきな銀行の本店近く、
写真館のはす向かいの場所だった。
おめでとう、友だち夫婦に声をかけて、ビールとワインを飲みながら
チェロとピアノの生演奏の演出を楽しませてもらう。
おおきな通りから一本それた道沿いで、
陽あたりのいい路地の、静かな佇まいが好い。
学校帰りの小学生たちが、むかいの駐車場でたわむれている。
子供の姿は気持ちがなごむから、毎日眺められるのも好いことだった。
奥さんにまかせたという内装のあつらえは、シンプルな清潔感があり、
訪ねてきたかたがゆっくりくつろげるとうかがえる。
ひと息落ちついたら、あらためて祝いの宴をやらなくてはいけない。
五時をすぎ、友だち夫婦に挨拶をしてから、
東口の、馴染みの飲み屋のいいださんへと向かった。
今夜は東北の酒を飲まなくてはいけない。
旬の蛍烏賊をつまみながら、石巻の墨廼江を酌んだ。
二年前、北上川からの濁流でおおきな被害を受けたお蔵さんの銘柄は
すこしかための旨みが感じられ、宮城の酒らしいきめのこまかさがある。
酔ったいきおいでメールを送った友だちからは、
今日は子供といっしょに普通にすごして、
普通なことはなんて幸せなんだろうと感じた一日だったと返事がきた。
ほんとうに。酔っぱらってばかりいないで、
もっと今日一日の幸せに感謝をしなければいけないと、
今朝、二日酔いのだるさ抱えて反省した。
今年の三月十一日は、冴えかえったつめたい風の吹く日になった。
二時半をまわったころ善光寺さんへ行った。
本堂に入れば、すでにお坊さんたちの祈りの声がひびきわたり、
たくさんの人がお参りに来ていた。
観光客に近所のおじいさんにおばあさん、
学校帰りの女子高校生に、
お父さんとお母さんといっしょのちっちゃな男の子、
みんなが手を合わせ、二年前のこの日のかたがたの
御冥福を祈る。
いつもより長い時間手を合わせてお参りさせていただいた。
境内を出てからそのまま通りを南へくだってゆく。
仕事仲間の友だちがこのたび仕事場を引っ越した。
あたらしい仕事場のレセプションに招かれていたのだった。
長い間、にぎやかな斜めの通りのビルのひと角で仕事をしていた。
あたらしい仕事場は、おおきな銀行の本店近く、
写真館のはす向かいの場所だった。
おめでとう、友だち夫婦に声をかけて、ビールとワインを飲みながら
チェロとピアノの生演奏の演出を楽しませてもらう。
おおきな通りから一本それた道沿いで、
陽あたりのいい路地の、静かな佇まいが好い。
学校帰りの小学生たちが、むかいの駐車場でたわむれている。
子供の姿は気持ちがなごむから、毎日眺められるのも好いことだった。
奥さんにまかせたという内装のあつらえは、シンプルな清潔感があり、
訪ねてきたかたがゆっくりくつろげるとうかがえる。
ひと息落ちついたら、あらためて祝いの宴をやらなくてはいけない。
五時をすぎ、友だち夫婦に挨拶をしてから、
東口の、馴染みの飲み屋のいいださんへと向かった。
今夜は東北の酒を飲まなくてはいけない。
旬の蛍烏賊をつまみながら、石巻の墨廼江を酌んだ。
二年前、北上川からの濁流でおおきな被害を受けたお蔵さんの銘柄は
すこしかための旨みが感じられ、宮城の酒らしいきめのこまかさがある。
酔ったいきおいでメールを送った友だちからは、
今日は子供といっしょに普通にすごして、
普通なことはなんて幸せなんだろうと感じた一日だったと返事がきた。
ほんとうに。酔っぱらってばかりいないで、
もっと今日一日の幸せに感謝をしなければいけないと、
今朝、二日酔いのだるさ抱えて反省した。

ひとくぎりの頃
弥生 四
ゆるやかな陽気の日がつづき、
ようやく春が来ましたねと、
訪ねてくる人に、あいさつがわりの台詞が出る。
この冬はずいぶんと寒かったから、
ことさら春の訪れがうれしい。
この時期、節目のときを迎えるかたがたがいる。
今年も、友だち家族の子供が高校や大学に進学をしたり、
組織で働く友だちが移動したり転勤して、
新しい環境の暮らしにつこうとしている。
菜々子ちゃんが訪ねてきてくれた。
近所に住んでいる女の子で、この春小学校に入学するのだった。
小学校たのしみだねと声をかければ、
おおきな目をくるくるさせてにこにことうなづく。
菜の花の咲くころに生まれたから菜々子ちゃん。
名前どおりのきれいな笑顔に、おじさんの気持ちもゆるくなる。
場末の仕事場で、たよりない手に職のなりわいの毎日は
毎年変わることがない。
それでも、春をむかえる気持ちが年どししみじみとなるのは
それだけ歳を重ねているせいとわかる。
桜の花を見るたびに、
生きのびられた気持ちになると言っていた人がいた。
ほんとにと、その言葉をすなおに受け入れられる
歳になっているのだった。
仕事を終えて町をひと走りしてきたら、携帯電話に着信があった。
馴染みの飲み屋のべじた坊さんからで、
豊賀を醸す、小布施のお蔵の高沢さんご夫婦が
来ていると教えてくれる。
きびしい冬の造りにもひとくぎりのめどがつき、
飲みに出られるようになったのはよろこばしいことだった。
ご相伴にあずかりたいと出向いた。
このたびは仕込みの水に工夫をこらしたといい、
よりきめの細かい口当たりの旨みにそれがうかがえた。
ほんとにごくろうさまでした。
だらしなく飲んでばかりの飲兵衛は、造りをされたかたがたに
ふかぶか頭をさげなくてはいけない。
晩酌で、ひさしぶりに伯楽星の純米吟醸を酌んだ。
おなじ銘柄でも、仕込んだタンクによって味がちがう。
その日酌んだのはいつもに比べて味ののりがいい。
やわらかい味わいは、春のはじめに似合うと思いながら酌んだ。
三月をむかえると東北の酒を酌みたい気持ちがつよくなる。
明日の午後は善光寺へお参りに行く。

ゆるやかな陽気の日がつづき、
ようやく春が来ましたねと、
訪ねてくる人に、あいさつがわりの台詞が出る。
この冬はずいぶんと寒かったから、
ことさら春の訪れがうれしい。
この時期、節目のときを迎えるかたがたがいる。
今年も、友だち家族の子供が高校や大学に進学をしたり、
組織で働く友だちが移動したり転勤して、
新しい環境の暮らしにつこうとしている。
菜々子ちゃんが訪ねてきてくれた。
近所に住んでいる女の子で、この春小学校に入学するのだった。
小学校たのしみだねと声をかければ、
おおきな目をくるくるさせてにこにことうなづく。
菜の花の咲くころに生まれたから菜々子ちゃん。
名前どおりのきれいな笑顔に、おじさんの気持ちもゆるくなる。
場末の仕事場で、たよりない手に職のなりわいの毎日は
毎年変わることがない。
それでも、春をむかえる気持ちが年どししみじみとなるのは
それだけ歳を重ねているせいとわかる。
桜の花を見るたびに、
生きのびられた気持ちになると言っていた人がいた。
ほんとにと、その言葉をすなおに受け入れられる
歳になっているのだった。
仕事を終えて町をひと走りしてきたら、携帯電話に着信があった。
馴染みの飲み屋のべじた坊さんからで、
豊賀を醸す、小布施のお蔵の高沢さんご夫婦が
来ていると教えてくれる。
きびしい冬の造りにもひとくぎりのめどがつき、
飲みに出られるようになったのはよろこばしいことだった。
ご相伴にあずかりたいと出向いた。
このたびは仕込みの水に工夫をこらしたといい、
よりきめの細かい口当たりの旨みにそれがうかがえた。
ほんとにごくろうさまでした。
だらしなく飲んでばかりの飲兵衛は、造りをされたかたがたに
ふかぶか頭をさげなくてはいけない。
晩酌で、ひさしぶりに伯楽星の純米吟醸を酌んだ。
おなじ銘柄でも、仕込んだタンクによって味がちがう。
その日酌んだのはいつもに比べて味ののりがいい。
やわらかい味わいは、春のはじめに似合うと思いながら酌んだ。
三月をむかえると東北の酒を酌みたい気持ちがつよくなる。
明日の午後は善光寺へお参りに行く。

ケーキ屋さんさん
弥生 三
高校生のとき陸上部に入っていた。
放課後、東和田の運動公園まで出かけては、
競技場のトラックを走りまわっていた。
運動公園のちかくにちいさなケーキ屋があって、
帰り道、みんなで立ち寄っては、夕飯までの腹ごしらえと
ケーキをほおばるときがあった。
チーズケーキというものを、初めて食べたのもその店でのことで、
気に入ってそればかり食べていた。
汗臭い輩にいやな顔もせず、にこにこお茶を入れてくれる
やさしいおばさんのいた店だった。
今はどうしていることか。
たまに店の前を通っても、すっかりシャッターが
閉まったままになっている。
子供のころ、ケーキといえばまだぜいたくな代物で、
食べる機会がそれほどなかった。
母は仕事がいそがしく、父は酔っぱらうのにいそがしく、
誕生日にクリスマス、
ハレの日に家族そろってケーキを食べたおぼえがない。
ケーキ屋もあちこち見かけることもなく、ご近所では
桜枝町の太平堂さんくらいのものだった。
この界隈では惣菜パンの美味しいことで有名で、
いつぞや友だちの誕生日祝いを我が家でやったときに、
ケーキを作ってもらい食べたら、
愛想のいい店のおばさんの笑顔よろしく、
やさしい味で美味しかった。
このごろになり門前にケーキ屋が増えた。
何年か前、東京のおおきなホテルでパテシィエをしていた、
近所の八百屋の娘さんが店を始めた。
材料に気がねなく上等な果物が使えるのは好いことだった。
昨年、武井神社のすぐとなりにできた店は、
朴訥とした男のかたが営んでいる。
ほかの町でやっていてすでに評判のよい店で、
もともとのところと神社のとなりと、日を変えて店を開けている。
先月は、弥栄神社のそばにも店が出来た。
ふるい空き家を改装して始めたのは、若い女性のかただった。
メニューに、ケーキと珈琲にまじってビールとワインが載っていたから、
やるなおぬしと感心した。
味の濃いチーズケーキにビールが美味しかった。
ようやくあたたかくなり始め、ケーキ屋の甘い匂いは
春のはじめのいろどりにもなっているのだった。

高校生のとき陸上部に入っていた。
放課後、東和田の運動公園まで出かけては、
競技場のトラックを走りまわっていた。
運動公園のちかくにちいさなケーキ屋があって、
帰り道、みんなで立ち寄っては、夕飯までの腹ごしらえと
ケーキをほおばるときがあった。
チーズケーキというものを、初めて食べたのもその店でのことで、
気に入ってそればかり食べていた。
汗臭い輩にいやな顔もせず、にこにこお茶を入れてくれる
やさしいおばさんのいた店だった。
今はどうしていることか。
たまに店の前を通っても、すっかりシャッターが
閉まったままになっている。
子供のころ、ケーキといえばまだぜいたくな代物で、
食べる機会がそれほどなかった。
母は仕事がいそがしく、父は酔っぱらうのにいそがしく、
誕生日にクリスマス、
ハレの日に家族そろってケーキを食べたおぼえがない。
ケーキ屋もあちこち見かけることもなく、ご近所では
桜枝町の太平堂さんくらいのものだった。
この界隈では惣菜パンの美味しいことで有名で、
いつぞや友だちの誕生日祝いを我が家でやったときに、
ケーキを作ってもらい食べたら、
愛想のいい店のおばさんの笑顔よろしく、
やさしい味で美味しかった。
このごろになり門前にケーキ屋が増えた。
何年か前、東京のおおきなホテルでパテシィエをしていた、
近所の八百屋の娘さんが店を始めた。
材料に気がねなく上等な果物が使えるのは好いことだった。
昨年、武井神社のすぐとなりにできた店は、
朴訥とした男のかたが営んでいる。
ほかの町でやっていてすでに評判のよい店で、
もともとのところと神社のとなりと、日を変えて店を開けている。
先月は、弥栄神社のそばにも店が出来た。
ふるい空き家を改装して始めたのは、若い女性のかただった。
メニューに、ケーキと珈琲にまじってビールとワインが載っていたから、
やるなおぬしと感心した。
味の濃いチーズケーキにビールが美味しかった。
ようやくあたたかくなり始め、ケーキ屋の甘い匂いは
春のはじめのいろどりにもなっているのだった。

春はじめ雑感
弥生 二
善光寺の、仲見世をはさんだ反対がわの町に神社がある。
夏になれば門前をいろどる祇園祭をつかさどる、
由緒ある神社なのだった。
三月初日、あたたかい陽気の日になった。
午後、神社の奥さんと娘さんが訪ねてきてくれた。
このごろ神社のすぐそばにケーキ屋さんが開店して、
さっそく足を運んできたという。
古い民家を改装した店で、
以前はおばあさんがひとりで住んでいた。
体が弱くなり、息子さん夫婦におばあさんがひきとられたあと
ずっと空き家になっていたのだった。
おしゃれな店で、ケーキもとてもおいしいから、
毎日でも足を運びたいという。
飲み屋蕎麦屋なら躊躇なく入れるものの、
日ごろ甘いものになじみのない身は、菓子の店は気恥ずかしい。
そういうと、お昼前と夕方が空いています。
入りやすい時を教えてくれた。
次の日、冬に逆もどりの冷えこんだ天気になって、
すんなり春に切りかわらない。
それでも氏神さんの境内から朝陽を拝めば、
陽射しに力があって、空がやわらかい。
きびしかったこの冬の峠をこえたとわかる。
夕方訪ねてきた友だちは、
今朝玄関の戸を開けたら、春の匂いがしたという。
目と鼻で来る春を感じれば、
あてもないのにしあわせな気分になれるのは
なんともありがたいことだった。
友だちはここのところ仕事がいそがしい。
今月の下旬には転勤するかもしれないといい、
山が好きだから、山のある町に行きたいという。
決まったあかつきには、訪ねて行ったときのために
まずは好い飲み屋を見つけておいていただきたい。
仕事を終えて、明るさのこる町をひと走りする。
もうすこしすれば、長野マラソンにそなえて走るランナーたちも
見かけるようになる。
ひと風呂浴びて汗を流し、ビールの栓を抜く。
テレビをつければ、
いよいよワールド・ベースボール・クラシックが始まった。
大根おろしをつまみに燗酒を酌めば、
ゆっくりと今年の春をむかえる気持ちになれるのだった。

善光寺の、仲見世をはさんだ反対がわの町に神社がある。
夏になれば門前をいろどる祇園祭をつかさどる、
由緒ある神社なのだった。
三月初日、あたたかい陽気の日になった。
午後、神社の奥さんと娘さんが訪ねてきてくれた。
このごろ神社のすぐそばにケーキ屋さんが開店して、
さっそく足を運んできたという。
古い民家を改装した店で、
以前はおばあさんがひとりで住んでいた。
体が弱くなり、息子さん夫婦におばあさんがひきとられたあと
ずっと空き家になっていたのだった。
おしゃれな店で、ケーキもとてもおいしいから、
毎日でも足を運びたいという。
飲み屋蕎麦屋なら躊躇なく入れるものの、
日ごろ甘いものになじみのない身は、菓子の店は気恥ずかしい。
そういうと、お昼前と夕方が空いています。
入りやすい時を教えてくれた。
次の日、冬に逆もどりの冷えこんだ天気になって、
すんなり春に切りかわらない。
それでも氏神さんの境内から朝陽を拝めば、
陽射しに力があって、空がやわらかい。
きびしかったこの冬の峠をこえたとわかる。
夕方訪ねてきた友だちは、
今朝玄関の戸を開けたら、春の匂いがしたという。
目と鼻で来る春を感じれば、
あてもないのにしあわせな気分になれるのは
なんともありがたいことだった。
友だちはここのところ仕事がいそがしい。
今月の下旬には転勤するかもしれないといい、
山が好きだから、山のある町に行きたいという。
決まったあかつきには、訪ねて行ったときのために
まずは好い飲み屋を見つけておいていただきたい。
仕事を終えて、明るさのこる町をひと走りする。
もうすこしすれば、長野マラソンにそなえて走るランナーたちも
見かけるようになる。
ひと風呂浴びて汗を流し、ビールの栓を抜く。
テレビをつければ、
いよいよワールド・ベースボール・クラシックが始まった。
大根おろしをつまみに燗酒を酌めば、
ゆっくりと今年の春をむかえる気持ちになれるのだった。

頂き物つれづれ
弥生 一
宅配便が届いた。
きれいな箱におさめられたケーキは、
東の町に住む菓子作りの名人からだった。
添えられた手紙には、
バレンタインデー、おそくなってごめんなさいとある。
折につけ、作って送ってきてくれる気持ちがありがたく、
一日一個、三時のおやつにいただいた。
甘いもののあとに辛いものがつづいた。
我が家で宴をしたときに飲み友だちが、
旨かったから終わらないうちにと思ってと、
飲みかけの芋焼酎を持ってきた。
宝山・芋麹全量。ラベルには、アルコール度数二十八度、
気合度数120%と書いてあり、
なめらかでふくよかな味わいは、たしかに気合が入っていた。
南の町に住む知り合いは、地元の酒を送ってきてくれた。
三人の男の子のお母さんで、
ときどき家族みんなで訪ねてきてくれる。
いつも大勢でおしかけて申しわけないとの気遣いだった。
中乗りさん・純米吟醸無濾過生原酒。
力づよさのあるきれいな味は、冷や好し燗好しでいけた。
馴染みの酒屋さんからは麦焼酎をいただいた。
先日ずいぶん世話になったことがあり、
お礼にと、気持ちばかりを差し上げたら、
そのお返しにと持ってきてくれたのだった。
宮崎の柳田酒造の、新春の頃の限定品で、
ラベルには、今年の干支にちなんで癸巳の金文字が
輝いている。
やわらかい旨みの味は、気に入りのひとつになっている。
二月いちばんさいごの日、朝から気温があがった。
陽気のよさに誘われて訪ねてくるかたがつづき
めずらしくいそがしい一日となった。
その合間、友だちが日本酒を差し入れに顔を出してくれ、
いとありがたしと疲れもわすれた。
通っている料理教室で教えてもらった銘柄といい、
中野は志賀泉の一滴二滴。
木島平の名水、龍興寺の湧水で仕込んだ酒なのだった。
この冬は、冷えこみきびしく気分ものらず、
うつうつとした心持ちでいた。
それでもまわりのかたがたに気持ちを向けてもらい、
ちょっとずつのあたたかさをもらっていたと気づくのだった。
冬の終わりと春の始めが見えてきた。

宅配便が届いた。
きれいな箱におさめられたケーキは、
東の町に住む菓子作りの名人からだった。
添えられた手紙には、
バレンタインデー、おそくなってごめんなさいとある。
折につけ、作って送ってきてくれる気持ちがありがたく、
一日一個、三時のおやつにいただいた。
甘いもののあとに辛いものがつづいた。
我が家で宴をしたときに飲み友だちが、
旨かったから終わらないうちにと思ってと、
飲みかけの芋焼酎を持ってきた。
宝山・芋麹全量。ラベルには、アルコール度数二十八度、
気合度数120%と書いてあり、
なめらかでふくよかな味わいは、たしかに気合が入っていた。
南の町に住む知り合いは、地元の酒を送ってきてくれた。
三人の男の子のお母さんで、
ときどき家族みんなで訪ねてきてくれる。
いつも大勢でおしかけて申しわけないとの気遣いだった。
中乗りさん・純米吟醸無濾過生原酒。
力づよさのあるきれいな味は、冷や好し燗好しでいけた。
馴染みの酒屋さんからは麦焼酎をいただいた。
先日ずいぶん世話になったことがあり、
お礼にと、気持ちばかりを差し上げたら、
そのお返しにと持ってきてくれたのだった。
宮崎の柳田酒造の、新春の頃の限定品で、
ラベルには、今年の干支にちなんで癸巳の金文字が
輝いている。
やわらかい旨みの味は、気に入りのひとつになっている。
二月いちばんさいごの日、朝から気温があがった。
陽気のよさに誘われて訪ねてくるかたがつづき
めずらしくいそがしい一日となった。
その合間、友だちが日本酒を差し入れに顔を出してくれ、
いとありがたしと疲れもわすれた。
通っている料理教室で教えてもらった銘柄といい、
中野は志賀泉の一滴二滴。
木島平の名水、龍興寺の湧水で仕込んだ酒なのだった。
この冬は、冷えこみきびしく気分ものらず、
うつうつとした心持ちでいた。
それでもまわりのかたがたに気持ちを向けてもらい、
ちょっとずつのあたたかさをもらっていたと気づくのだった。
冬の終わりと春の始めが見えてきた。
