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嬉しい知らせに。

2024年06月28日

 へこりと at 08:41  | Comments(0)

水無月 7

長野県にナガブロというSNSがあって、2011年の1月からブログを
書き始めた。
ときどき昔のブログを読み返す時がある。
我ながら見事に、酒のネタばかり書いているのだった。馴染みの
飲み屋に蕎麦屋でのひとときや、我が家に友だちを招いての宴や、
日本酒のイベントにいそいそ出かけたことや、不覚にも、
酔って転んでけがをしたことをつらつら書いている。
2011年3月のブログを読むと、当時の切ない気持ちを思い出す。
東北の酒蔵がたに思いを寄せる台詞を書いていて、よくぞまあ、
でかい災害から復活したものと、お蔵さんのご苦労に思いが
馳せるのだった。
酔っ払っている反面、心静かに暮らしたいとか、欲を持たずに
簡素に暮らしたいとか、殊勝なことも述べている。
ところが、いまだに邪念だらけの毎日で、つくづく進歩のない
まま歳だけ重ねてしまっている。
かつて親しくしていた知人とのひとときを読み返していると、
仲たがいをしたり、こちらの不始末で会えなくなったり、
なんとなく疎遠になったり、すっかり縁の切れたかたが何人も
いる。人の縁は水物と、この歳になればよくよくわかっているから、
求めず追わず淡々と。それで良いと思っている。
仕事を終えた夕方、スマホにラインが届いていた。
送り主は、以前お世話になった洋裁屋の、アトリエ・ヒカオさんの
ご主人だった。昨年ちょっとした縁が出来て、この春、洋服を
仕立てていただいたのだった。
着ていく先々で、おしゃれですねと褒めていただき、好い買い物を
したと感謝をしている。そんな経緯を以前ブログに書かせて頂いた。
ラインを覗いてみたところ、
先日、素敵なご夫婦が訪ねてきて、奥様が洋服のリメイクを
オーダーしてくれたという。話をうかがったら、こちらのブログを
読んで、わざわざ足を運んでくれたとのことだった。
ブログを読んでくださっているかたの中には、お会いしたことがない
かたもいる。
顔も知らない、そんなかたのお役に立てたと知って、なんとも
嬉しくなってしまった。
酔っ払いの愚文を記憶に留めてくださって、しみじみありがたい
ことだった。

温かき文が届くや夏夕べ。


  


新しいそば屋で。

2024年06月25日

 へこりと at 10:58  | Comments(0)

水無月 6

ときどき上田の町に出かけている。
先日、いつものように長野から新幹線に乗って、
改札口を出たところ、駅の構内に新しく蕎麦屋が開店していた。
店の名は、「そば前 ちくまがわ」といい、入り口から中を
覗いたら、壁に長野の地酒の瓶がいくつか飾ってあった。
あいにくこの日は,すでに別の飲み屋に予約を入れてあったので、
次回の楽しみと決めた。
翌週さっそく再び,昼どきにおじゃまをした。
カウンターに落ちついて、サッポロの赤星で喉を潤しながら、
ゆっくりと品書きに目を通せば、上田の地酒が六種類すべて
載っている。そば前の肴も、天ぷらの盛り合わせに、
ポテトサラダやもつ煮込みやこんにゃくの田楽に板わさなどと
抜かりがない。
午前七時から十時までは冷凍の蕎麦を使って、かけ蕎麦や
天ぷら蕎麦など温かな蕎麦を提供し、
十一時から夜の十時までは、自価製粉の二八蕎麦を提供すると
いう。沓掛酒造の互と板わさを頼んだら、酒はコップになみなみと、
板わさはまるまる一本分で気前がいい。
お運びをしているお姉さんに尋ねたら、経営しているのは、
長野県のあちこちで蕎麦屋や寿司屋や飲み屋を展開している
大滝グループとのことだった。
互につづいて若林醸造のつきよしのを酌んで、せいろを頼んだら、
盛りの量が半端ない。品書きをよくよく見たら、せいろ並盛り
380グラム。小盛り200グラムとあって、小盛りでも量が多い
くらいだった。修行のような気分でなんとか平らげたのだった。
上田の町はふだん静かな佇まいで、あまり観光客の姿が目立たない。
何年か前に、大河ドラマの真田丸が放送されていたときは、平日でも
大型バスが連なって来ていたけれど、以降はまた静かな風情に戻った。
浅漬けと蕎麦湯をつまみに和田龍酒造の登水で締めていると、
日曜日ということもあってか、ひっきりなしに観光客が店に出入りを
している。へ~っ。上田ってこんなに人が来るんだと、あらためて
思った次第だった。
旅人にとっては、
わかりやすい場所に、新幹線の待ち時間の拠りどころが出来た
のは、好いことなのだった。

品書きに地酒六つや夏の雨。




  


父と母と

2024年06月21日

 へこりと at 08:30  | Comments(2)

水無月 5

長らく母の日が来ると、母に花を贈っていた。
子供のころは、花屋でカーネーションを何本か包んで
もらい、大人になってからは赤や紫、そのときどきで
紫陽花の鉢植えを贈っていた。
今年からそれをやめたのだった。
父が亡くなってから、母が介護施設に入居した。
その当時は施設の個室で暮らしていて、変わらず紫陽花を
届けていた。ところが二年前の師走に、転んで腰を
骨折してしまい、リハビリ施設のある同じ系列の施設に
移転した。昨年紫陽花を届けたときに、ここの施設は
四人部屋で、花を飾る机も置き場もないという。もう花は
いいからねと言われたのだった。
今年の母の日の少し前に、施設の担当者から電話があった。
お母様に、花は持ってこなくていいと伝えるように
言付かりましたとのことで、母の気遣いに従うことにした。
六月の父の日が来ると、酒好きの身に毎回日本酒を贈っていた。
酒好きでも、もっぱら飲むのは日本酒ばかり。いつも
紙パックの安酒ばかり飲んでいるから、
たまには上等なのを飲んでいただきたいと、当初は純米吟醸や
大吟醸などの高価な酒を渡していた。
ところが貧しい家庭で育ち、若いときから貧乏性な身は、
もったいながって、なかなか封を開けられない。
結局、冷蔵庫にも入れずにそのままで、めでたい正月の元旦に
ようやく飲む有り様で、すっかり味も老ねちゃってるよと
ため息がでたのだった。それからは、地酒のいちばん安い
一升瓶を二本に、ホタテの缶詰めを三つ渡すようにしたら、
こっちの方が嬉しいよという顔で受け取っていた。
生前父は、母と回転ずしに行くことがあった。ところが
あとで話を聞けば、お父さんったら、安いネタばかり食べて、
美味しそうな大トロや中トロは値段が高いからとぜんぜん
食べないのよ。お父さんが食べないのに私が食べるわけにも
いかないじゃないとこぼしていた。刺身をつまみに酒を飲む
のが好きだったのに、馴染みの魚屋で買ってくるのは、
いつもカジキばかり。まぐろや鯛を買ってきたためしが
なかった。
夕方、水戸黄門を観ながら旨そうに晩酌をしていたっけ。
馴染みの飲み屋に行くと、ときどき品書きにカジキの刺身が
載っている。父を思い出し、注文してしまうのだった。

父の日やいつも安酒二本なり。


  


59醸の酒を

2024年06月18日

 へこりと at 09:28  | Comments(2)

水無月 4

毎日酒を飲んでいる。日本酒の味を覚えてから、
およそ四十年。毎晩飽きずに酔っ払っているのだった。
馴染みの飲み屋で、旨い肴を頂きながら、北から南まで
あちこちの土地の上等な味に酔うこともあれば、
殺風景な自宅の茶の間で、豆腐と油揚げを突っつきながら、
いつもの安酒に酔うときもある。今年になってから、
仕事の暇な日がつづいている。それなのに、日本酒に散財
するのはこれまでと変わらぬままだから、
お金が減っていく一方で、まことに困っている。
毎晩杯をかさねながら、ときどき思うのは、地元の信州の
酒が、ほんとに旨くなったことだった。
酒の味を覚え始めた頃、個人的に旨いと思える銘柄は、
ほんのわずかだった。味が口に合わないだけでなく、
中には一日中頭の中でガンガン鐘が鳴っているような、
ひどい二日酔いを招く銘柄もあった。そんなわけで、
昔はもっぱら県外の名の馳せた銘柄ばかりを飲んでいた。
ところが、時を経る間に、長野県で新しい酵母や酒米を
開発したり、蔵元が代替わりをして、跡取り息子さんや
娘さんが新たな造りに取り組むようになってから、
旨い味を醸すお蔵さんがだんだんと増えてきたのだった。
かつては名前を聞いただけで眉をしかめた銘柄が、
嘘のように旨くなり、むしろ今では不味い銘柄を探す方が
大変かもしれない。探さないけれど。
かつてお互いに競争相手だったお蔵さん同士が、
代替わりをしてから、協力しあって酒のイベントを開いたり、
酒米を共に作ったり、横のつながりが盛んなのも、好い刺激に
なっていると見受けられたことだった。
十年前に、昭和五十九年生まれの、お蔵の跡取り息子さんたち
が、「59醸」というグループを立ち上げた。
飯山市の北光正宗に中野市の勢正宗に、長野市の積善と
本老いの松に上田市の福無量を醸す五蔵で、
毎年一つのテーマに沿って酒を仕込んだり、長野県内外で
イベントを開いては日本酒の普及に努めてきた。
十年ひと区切りとして、今年を持って活動を終えるのだった。
当初飲み比べてみたら、声に出して言えないけれど、
お蔵さんによる味の優劣が感じられた。
それが今では、
お互いに切磋琢磨しての年月が、しっかり酒質に出ていて、
五蔵それぞれ、まことに旨い味を提供してくれている。
最後の味を少しずつ味わっていることだった。

月涼し59醸五蔵の杯重ね。


  


酒トラップへ。

2024年06月14日

 へこりと at 08:27  | Comments(0)

水無月 3

毎年六月になると、長野駅前の居酒屋のかたがたと、
酒を卸している酒屋のかたがたが、「酒トラップ」という
イベントを催している。
各居酒屋に県内の酒蔵さんが詰めて、ちょっとしたつまみと、
それぞれのお蔵の酒を、スタンプラリーをしながら味わうと
いう催しだった。
今年でちょうど十回目ということで、何年かぶりに仕事を
さぼって足を運んでみたのだった。
このたびは十二店の居酒屋と二十三のお蔵が参加しているといい、
けっこうな量の酒を利くことになる。
昼間の酒はまわるから、酔いつぶれぬよう言い聞かせた。
当日飲み仲間のかたがたと待ち合わせをして、駅前をうろつくと、
お猪口を手にしたかたがたが、あちこちに徘徊している。
いちばん遠くの店から回ろうと一軒目に訪ねたら、
みな考えるのは同じこと、すでに店の前には順番待ちの長い列が
できていて、ここは後回しと、別の店から回り始めた。
太田和彦さんというかたがいる。全国あちこちの銘酒や居酒屋に
精通したかたで、これまでに酒や店にまつわる著書をたくさん
出している。長年テレビでも居酒屋巡りの番組をされていて、
この頃は日曜日の午後九時に、BS11で居酒屋百選という番組に
出演されている。長野県松本市のご出身で、今回酒トラップの
スタッフの中にご身内がいらっしゃる縁で、太田さんも
このイベントに顔を出してくれたのだった。長らく著書を愛読して、
長らく番組も観ていたから、初めてお会いできるのが楽しみなこと
だった。
店を回って、顔なじみのお蔵さんと久しぶりに言葉を交わしたり、
飲み仲間と遭遇したり、ほろほろ酔いながら、賑やかなひとときに
駅前が包まれる。
十二店のうち、馴染みの店は三軒だけ。初めての店が多かったから、
それはそれでなかなか新鮮な気分になったのだった。
長野駅前から一キロほど善光寺に向かって上がった場所に、
権堂と鶴賀という東西に延びる古い飲み屋街が在る。
次回の酒トラップはこの界隈で催すという。本日一緒に回ってくれた
浩ちゃんの梅岡旅館も、あゆみさんの豆腐とお酒・まほろばも
この界隈に在り、参加してくれるという。
なんとも楽しみなことだった。
初めて言葉を交わした太田さんは、テレビで拝見するのと同様、
朴訥とした気さくなかただった。

日盛りや酒徒の群れなす駅の前。


  


若林醸造さんへ。

2024年06月07日

 へこりと at 08:53  | Comments(2)
水無月 2

上田市街地から別所線に揺られてしばらく行くと、
のどかな塩田平の田園風景が広がっている。
その塩田平の中に、つきよしのを醸す若林醸造が在る。
五月、新酒会の蔵開きに足を運んだのだった。
創業は明治二十九年で、百二十年余りの歴史がある。
昭和の時代になって日本酒の売り上げが落ち込み、
昭和四十四年からは他の製造会社に委託して、酒を
造ってもらうようになったという。
それからは甘酒を作ったり、近隣の農家の果物で
ジュースを作ったりして商いをつづけていた。
四代目の現社長が、廃業を考え始めた頃、それまで
酒造りとは無縁だった次女の真実さんが、お蔵を
引き継ぐ決意をしたのだった。
酒造りを学ぶために、同じ上田市内に在るお蔵に勤め、
三年間の修業を経て、杜氏として戻ってきたのが八年前
のことだった。
実に四十七年ぶりに、自社での作りが復活したのだった。
酒米は地元の契約農家に作ってもらい、四年前からは
塩田平の有機栽培米も使っているという。
お蔵への設備投資をして、酒質の向上を図り、
昨年と今年、アメリカで開かれた大規模なコンクールで
最高賞を受賞した。
そして先ごろ行われた全国新酒品評会で、初めて金賞を
受賞したのだった。
今年の新酒会も、つきよしのの愛飲家がたくさん訪れて、
母屋の大広間で、蔵元御家族皆さんが迎えてくださった。
着物姿の真実さんは、杜氏として、母親としての
貫禄がまたいちだんと増した感がある。
社長の挨拶のあとに、にぎにぎしく乾杯をして、
いろいろな種類のつきよしのを次々と利いてみる。
この銘柄は香り少なく少し太めの味わいが印象的で、
同行した友だちと、あれこれ好みを語りながら杯を重ねた。
テーブルには、山菜の天ぷらに唐揚げに茄子の
揚げ浸しに稲荷ずしに岩魚の塩焼きなど、真実さんの
お母さん手作りの料理がずらっと並ぶ。
気合の入ったもてなしが嬉しくて、旨い酒と料理を堪能
した。同席した見知らぬかたとも会話が進み、おおいに
盛り上がったのだった。
閉会して、みんなと駅へ向かっていけば、暑さの緩んだ
風が心地好い。楽しく、そして温かいひとときを頂いて、
蔵元御家族に感謝したことだった。

夏きざす塩田の酒と風に酔い。


  


鬼平犯科帳を。

2024年06月04日

 へこりと at 10:45  | Comments(0)

水無月 1

上田の東宝シネマで「鬼平犯科帳・血闘」を観た。
若いときから池波正太郎さんの時代小説が好きで、
文庫本で全巻揃えた鬼平犯科帳は、今でもときどき
読み返している。江戸の町に起こる事件を通じて、
火付け盗賊改め方の長官、鬼平こと長谷川平蔵や、
わきを固める部下や密偵や家族に盗賊の心情が
描かれている。
テレビでも長らく放送されていて、これまで平蔵を、
松本白鷗に丹波哲郎に萬屋錦之介に中村吉右衛門
が演じてきた。文庫本を読み始めた頃、すでに
フジテレビで吉右衛門の鬼平が放送されていて、
毎週楽しみにしていた。
平蔵役の吉右衛門もさることながら、奥方役の
多岐川裕美や、密偵役の江戸家猫八に、綿引勝彦に
三浦浩一に蟹江敬三に梶芽衣子に、同心役の
高橋悦史に勝野洋に尾美としのりなど、
皆がはまり役で好い味を出していた。
放送が終了したあとしばらくしたら、スカパーの
時代劇専門チャンネルで放送すると知り、契約して
再度楽しんでいた。
池波さんの作品には、
たびたびいろんな料理を食したり酒を酌む場面が
出てくる。鬼平犯科帳も同様で、ドラマの中で
吉右衛門の平蔵が、飲み屋のおやじや夜鷹を相手に、
気さくに話しかけながら杯を干すさまは、なんとも
粋でかっこよい。
観るたびに、こんな酔客になりたいと思うのに、
いつもだらしなく酩酊している有り様だった。
三年前に吉右衛門さんがお亡くなりになった
ときは、
お会いしたこともないのに、悲しい気持ちになって
しまった。
現在、毎週月曜日にBSフジで再放送をしているから、
晩酌をしながら飽きずに観ている。
このたびの映画では、平蔵役を、甥の松本幸四郎が
演じて、同心や密偵を演じる役者も、火野正平以外は
名前の知らない若いかたがたばかりだった。
長谷川平蔵といえば吉右衛門。
すっかり気持ちに根付いていたから、幸四郎の平蔵は
どんなかな。興味を持って足を運んだのだった。
この度の作品は、
原作の短編を、いくつかつなぎ合わせて作られていた。
話のつなぎ方や、幸四郎の目さばきや台詞まわしに
いささか気になった点があったものの、なかなか
面白い作品だった。吉右衛門のように、幸四郎の
鬼平が定着していくのかな。興味のわくことだった。

見廻りの合間にちょいと冷酒かな。