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紅葉詣でに

2017年10月31日

 へこりと at 12:31  | Comments(0)
神無月 7

つづけざまに台風が来て、葉っぱが落ちぬか心配になる。
休日、軽井沢まで紅葉詣でに行ったのだった。
今月、修復再建成った、新しくて懐かしい駅舎を出ると、
いきなりのつめたい風に見舞われる。
道すがら車窓から、雪の積もった浅間山が見え、
もう、冬の気配が有るのだった。
吹きすさぶ落ち葉の中を雲場池に行くと、
池のまわりの紅葉は、今が見ごろの色ざかりで、
たくさんの人でにぎわっていた。
うっすらと波立つ水面を、すずしい顔で鴨が泳いでいく。
ぴーちくぱーちく、中国語が飛び交うほとりを抜けて、
別荘のつづく通りを行けば、雨に濡れた落ち葉が散っている。
今年は紅葉黄葉の進みぐあいが早かったか。
春からの、先の読めない天候不順に、
秋の色艶がいまひとつの感があるのだった。
帰り道に小諸駅で降りて、懐古園に行ってみた。
こちらもすでに見ごろを過ぎて、
石垣のまわりに、たくさんの落ち葉が積もっていた。
見晴らし台から見下ろすと、秋のしずかな陽射しを受けて、
千曲川が光っていた。
田中駅で下車して、ひと気のない海野宿を眺めていく。
大屋駅から電車に乗ろうと思ったら、40分の待ち時間で、
あきらめて、上田の市街地まで歩いていくことにした。
車の行き交う国道沿いを、
学校帰りの子供たちとすれちがいながら歩いていく。
城跡公園に着く頃には、もうすっかり暗くなり、
風も寒さを増してきた。
ライトアップされたけやきを見上げ、
お堀に沿ってひと回りすれば、
もみじの色づきは途中のようだった。
晴れた日がつづいて、きれいに赤くなってもらいたのだった。
公園を出て袋町のせまい路地に入ると、
週はじめの飲み屋町に人の姿がない。
手持無沙汰にしている呼び込みの兄さんのわきを、
ジャージ姿の子供たちが自転車で過ぎていく。
歩き疲れた身を、
焼き鳥山ちゃんのカウンターに置いて、
本日のご苦労飲みとしたのだった。




  


読書ひとつにも

2017年10月26日

 へこりと at 14:24  | Comments(0)
神無月 6

中学生のころ、NHKの大河ドラマで「花神」をやっていた。
司馬遼太郎さんの原作で、
幕末から明治維新、
官軍の参謀として活躍した大村益次郎の物語は、
毎週欠かさずに観ていたのだった。
中村梅之助の大村に、中村雅俊の高杉晋作に、
篠田三郎の吉田松陰、田村高廣の周布正之助など、
出ている役者陣がみなさんぴたっとはまり、
今でも最高の大河ドラマと思っている。
大人になって、
原作も友だちに借りて読んだりしたあたりから、
ときどき司馬さんの作品を、手にしているのだった。
読書の秋、久しぶりに本屋で買い求めたのは
「翔ぶが如く」だった。
明治維新の際、
立役者だった、薩摩の西郷隆盛と大久保利通の物語で、
新政府樹立から、朝鮮出兵をめぐる征韓論での対立、
そののちの西南戦争までを描いている。
まるで登場人物そのものかのような細かい見解の、
俗にいう司馬史観が、以下余談ながらという
わき道を交えながら、延々とえんえんとつづく。
読みだす前は、西南戦争を描くだけなのに、
なんで全10巻にもなるんだといぶかしんだものの、
この書き筋ですからねえと合点がいった。
仕事がたいへん暇な日でも、長らく読む根気がつづかない。
若いときならすいすい読めたのにと、
読書ひとつにも気力の衰えがわかって、
なさけないのだった。
会社を経営している同級生がいる。
もともと本を読む柄ではなかったのに、
経営の勉強になるからと人にすすめられ、
山岡荘八の「徳川家康」を読もうとしたという。
ところが1巻から3巻までを買ってから、
じつは全26巻もの大作と初めて気づき、
いっきに読む気が失せたという。
そりゃあ、失せるねえ。笑いながらなぐさめた。
みなさんの愛読書はなんですか?





  


門前まちなみあるき

2017年10月21日

 へこりと at 15:01  | Comments(0)
神無月 5

長野市東町に、まちくらしたてもの案内所が在って、
月に二度、門前まちなみあるきという企画をやっている。
善光寺門前の活性化のために、
門前に暮らすかたを案内人に、
町を知ってもらおうという催しだった。
このたび案内人をと、声をかけていただいたのだった。
どうせなら、日本酒を絡めてとのことで、
それはなんともありがたいことだった。
当日、住んでいる東之門町の移り変わりや、
目の前に在る氏神さんの、
伊勢社のことなどをお話しさせてもらってから、
観光客でにぎわう中央通りを下った。
古い家屋の雑貨屋十二天さんは、
この日は休店だったのに、わざわざ開けてくれたのだった。
長和町の戸津圭一郎さんの酒器と、
日ごろ使いの小道具を、
奥さんの明るい説明を聞きながら拝見させてもらう。
次に訪ねたキュブルーさんは、
友だちが勤める雑貨屋だった。
飯綱の朝比奈克文さんの器と、
長野の角居康宏さんの錫の酒器を眺めながら、
器によって酒の味も変わりますなどと、
うんちくなんぞを垂れてみた。
キュブルーさんを出れば、時刻は夕方4時とちょうどよい。
高野酒店さんでは、秋の酒を用意して、
愛想の好い御主人が迎えてくれる。
長野の地酒をそろえる店で、
長野の酒蔵さんの現状や、旨い銘柄が増えた経緯など、
過去現在の、酒にまつわる話を、試飲しながらうかがった。
案内の締めは、飲み屋のべじた坊さんで、
ここには、飯山で北光正宗を醸す、
角口酒造の村松さんに来てもらったのだった。
日本酒が好きでも、
造り手の話を聞けることはなかなかない。
旨い料理をつまみながら北光正宗を酌み合って、
造りの苦労話とうら話に耳をかたむけた。
酒も料理も旨いと喜んでもらい、無事散会と相成った。
カウンターに移って飲みなおせば、
ようやく気分もほっとするのだった。
案内人といっても、行く先々、
馴染みのかたがたに助けてもらっただけだった。
御足労感謝です。ありがとうございました。



  


秋の気配に

2017年10月21日

 へこりと at 11:17  | Comments(0)
神無月 4

秋の空気に、かわいた冷たさが増してくると、
この1年も早いなあという気になる。
春から夏、仕事場の壁伝いに、
ぐいぐい伸びていた零余子の葉が、茶色く枯れてきた。
玄関わきのガマズミは、赤いきれいな実をつけて、
葉も赤く染まってきた。
向かいの松木さんちのつたの葉も、
緑が褪せて変わり始めている。
氏神さんのケヤキの向こうの秋の空は、
どこまでも高く静かで、切なくなるのだった。
草津温泉で、宿を営む友だちと、
蕎麦屋を営む友だちがいる。
山の紅葉を眺めながら、
久しぶりの温泉詣でをしたくなった。
ところが当日の朝、昨夜からの雨がつづいている。
松代を抜けて地蔵峠を上がっていくと、
霧が濃く、景色を眺めるどころじゃない。
あきらめて、もくもくと車を走らせた。
天気がわるくても、
あいかわらず名湯の町は、観光客で混んでいる。
湯畑のわきを縫うように、
宿に着いたら、さっそくひと風呂浴びてさっぱりとした。
昼どき、蕎麦屋の口開けさんになって、
杯をかさねて、
新蕎麦の風味と喉ごしを味わったのだった。
宿に戻って、ふたたびひと風呂浴びて昼寝をして、
夜の温泉街へ繰り出した。
酒と蕎麦と人と。余生はこじんまりと、
ちいさな湯の町で暮らすのもいいかも。
草津に来ると、ときどきそんなことを思うのだった。
次の朝、硫黄の匂う白根を抜けて、
万座の細い道を下って行けば、またまた霧に包まれて、
はるか山並みの遠景にふられた。
霧の合間からのぞく紅葉は、
もう終わりの気配がしていて、
季節の見頃をつかまえるのは、
いつもむずかしいことだった。



  


もんぜんぷら座を

2017年10月08日

 へこりと at 17:03  | Comments(0)
神無月 3

朝刊を見ていたら、
「もんぜんぷら座」どうする、と載っていた。
中央通りと昭和通りの交差点に在る、
もんぜんぷら座の老朽化がひどいという。
この先どうするか、
長野市が検討委員会を立ち上げたのだった。
40年ほど前に、大型スーパーのダイエーが出来た。
ダイエーが閉店したのちに、
建物を、そのままもんぜんぷら座として使っていた。
傷んでいるのも無理はないのだった。
ダイエーが出来たのは、
斜め向かいに丸光デパートが在って、
何年か前に、
駅前に東急デパートが開店したころだった。
そのころ買い物といえば、近所の個人商店か、
魚力やくろさきといった、
地域に根差したスーパーでするのが常だった。
大型スーパーの進出がめずらしく、
ダイエーも買い物客でにぎわっていた。
そののち、郊外の田畑だった土地に住宅が増え、
広い道路が開通すると、
沿線に大型店がつぎつぎと出来た。
町なかから買い物客の姿が減り始め、
活気が見えなくなってきた。
丸光が、立て直しをはかってそごうになったものの、
10年余りで閉店して、ダイエーも後を追うように、
同じ年に閉めてしまったのだった。
しばらくしてそごうの跡地に、
りっぱな商業ビルのトイーゴが出来たものの、
家賃が高いのか、テナントが埋まらずに、
すかすかで冴えない構えになっている。
信州は、
米や野菜や果物などの美味しい農産物が有り、
近年、日本酒やワインなどの加工品も評判がいい。
もんぜんぷら座の地に地元の生産品を、
売り買い飲み食いできる場を設ければ、
人の行き来も増えないかなあ。
恵まれた地の利を活かせないかと、
読みながら思った次第なのだった。





  


袋町慕情

2017年10月04日

 へこりと at 11:16  | Comments(0)
神無月 2

そぼ降る雨の午後、上田まで出かけた。
市立美術館で開催中の平山郁夫展を堪能して、
雨足のつよまる中、城跡公園まで行けば、
お堀のまわりの緑も、秋の色へと変わってきている。
ひとまわりして城門を出れば、夕刻の五時過ぎと、
良い頃合いになっている。
久しぶりの友だちとの、一献が待っているのだった。
上田駅からしばらく上がり、
海野町の広い道路から入ったところに、
袋町という、飲み屋の連なる路地がある。
居酒屋に寿司屋にあやしいスナックなど、
古くて小さな店が、
たてよこほそい路地に、軒を連ねているのだった。
陽灯しどき、どの店に入ろうか、
昭和の風情を感じながら歩いていると、
なんだかほっとするのだった。
良さげな店と、入り口の気配に感じても、
店内が見えないと、
ちょいと扉を開けるのがためらわれる。
やはり、上田に暮らす友だちに、
案内を乞わないとと話した。
この日は一件目に、
焼き鳥の「やまちゃん」に入ってみた。
坊主頭の、無口で渋いご主人がやっていて、
上田名物の美味だれ焼き鳥はなかったものの、
つくねに砂肝になんこつにぼんじりと、どれも旨かった。
カウンターわきのテレビを見ながら、
ぽつねんと、ひとりで過ごしたい店だった。
二件目は、前から気になっていた、
もつ煮の「こばちゃん」の暖簾をくぐる。
こちらも無口なご主人で、品書きを見れば、
肉料理に力を入れているとわかる。
目当てのもつ煮は醤油仕込みで、
さっぱりとした味わいが、期待以上の美味しさだった。
目利きが当たって安心したのだった。
馴染みの店をいくつか作りたいけれど、
それには、まだまだ足の運びが足りない。
袋町の夜は、なかなか奥が深いのだった。









  


甥っ子と

2017年10月01日

 へこりと at 12:19  | Comments(0)
神無月 1

9月の下旬、甥っ子が訪ねてきた。
函館に暮らす兄夫婦の子で、
高校を卒業したあと、
はるばる九州の、宮崎の大学に進学したのだった。
卒業してから、いちど函館に戻ったものの、
よほど居心地が良かったのか、再び宮崎に引っ越してしまった。
兄の子とは思えないほど、
子供のころから、素直な性格で頭も良かった。
行く末、どんな大人になるかと楽しみにしていたら、
海外を放浪したり音楽に打ち込んだり、カレー屋で働きながら、
のびのび日々を楽しんでいるのだった。
先日、台風18号が九州を直撃したときに、
宮崎市にも避難勧告が出た。心配して電話をかけたら、
今ベランダで、空を眺めながらエビスを飲んでまあすと、
のんきな答えが返ってきた。
お気楽で酒好きなところは血筋だなあと、
今さらながらに感心したのだった。
訪ねてきた日の夕方、近所の大森食堂さんで、
寿司をつまみに久しぶりの一献を交わした。
せっかく訪ねてきたのに一軒じゃ物足りない。
中央通りを下って、べじた坊さんの扉を開けた。
カウンターで日本酒を飲み始めて間もなく、
馴染みのイタリアン、こまつやさんの御主人が、
スタッフのかたがたと入ってきた。
甥っ子ともども宴の席に交ぜてもらい、
和気あいあいと、日本酒の杯をかさねたのだった。
勢いづいたその足で、カラオケボックスへ突入して、
甥っ子も、ずいぶん楽しそうで、ありがたい夜となった。
このまま宮崎で暮らすのか、近い将来、函館に帰るのか。
長野、良いとこですねえという甥っ子に、
いっそ長野で暮らしますかと、そそのかしてみるのだった。