紅葉詣でに
神無月 7
つづけざまに台風が来て、葉っぱが落ちぬか心配になる。
休日、軽井沢まで紅葉詣でに行ったのだった。
今月、修復再建成った、新しくて懐かしい駅舎を出ると、
いきなりのつめたい風に見舞われる。
道すがら車窓から、雪の積もった浅間山が見え、
もう、冬の気配が有るのだった。
吹きすさぶ落ち葉の中を雲場池に行くと、
池のまわりの紅葉は、今が見ごろの色ざかりで、
たくさんの人でにぎわっていた。
うっすらと波立つ水面を、すずしい顔で鴨が泳いでいく。
ぴーちくぱーちく、中国語が飛び交うほとりを抜けて、
別荘のつづく通りを行けば、雨に濡れた落ち葉が散っている。
今年は紅葉黄葉の進みぐあいが早かったか。
春からの、先の読めない天候不順に、
秋の色艶がいまひとつの感があるのだった。
帰り道に小諸駅で降りて、懐古園に行ってみた。
こちらもすでに見ごろを過ぎて、
石垣のまわりに、たくさんの落ち葉が積もっていた。
見晴らし台から見下ろすと、秋のしずかな陽射しを受けて、
千曲川が光っていた。
田中駅で下車して、ひと気のない海野宿を眺めていく。
大屋駅から電車に乗ろうと思ったら、40分の待ち時間で、
あきらめて、上田の市街地まで歩いていくことにした。
車の行き交う国道沿いを、
学校帰りの子供たちとすれちがいながら歩いていく。
城跡公園に着く頃には、もうすっかり暗くなり、
風も寒さを増してきた。
ライトアップされたけやきを見上げ、
お堀に沿ってひと回りすれば、
もみじの色づきは途中のようだった。
晴れた日がつづいて、きれいに赤くなってもらいたのだった。
公園を出て袋町のせまい路地に入ると、
週はじめの飲み屋町に人の姿がない。
手持無沙汰にしている呼び込みの兄さんのわきを、
ジャージ姿の子供たちが自転車で過ぎていく。
歩き疲れた身を、
焼き鳥山ちゃんのカウンターに置いて、
本日のご苦労飲みとしたのだった。

つづけざまに台風が来て、葉っぱが落ちぬか心配になる。
休日、軽井沢まで紅葉詣でに行ったのだった。
今月、修復再建成った、新しくて懐かしい駅舎を出ると、
いきなりのつめたい風に見舞われる。
道すがら車窓から、雪の積もった浅間山が見え、
もう、冬の気配が有るのだった。
吹きすさぶ落ち葉の中を雲場池に行くと、
池のまわりの紅葉は、今が見ごろの色ざかりで、
たくさんの人でにぎわっていた。
うっすらと波立つ水面を、すずしい顔で鴨が泳いでいく。
ぴーちくぱーちく、中国語が飛び交うほとりを抜けて、
別荘のつづく通りを行けば、雨に濡れた落ち葉が散っている。
今年は紅葉黄葉の進みぐあいが早かったか。
春からの、先の読めない天候不順に、
秋の色艶がいまひとつの感があるのだった。
帰り道に小諸駅で降りて、懐古園に行ってみた。
こちらもすでに見ごろを過ぎて、
石垣のまわりに、たくさんの落ち葉が積もっていた。
見晴らし台から見下ろすと、秋のしずかな陽射しを受けて、
千曲川が光っていた。
田中駅で下車して、ひと気のない海野宿を眺めていく。
大屋駅から電車に乗ろうと思ったら、40分の待ち時間で、
あきらめて、上田の市街地まで歩いていくことにした。
車の行き交う国道沿いを、
学校帰りの子供たちとすれちがいながら歩いていく。
城跡公園に着く頃には、もうすっかり暗くなり、
風も寒さを増してきた。
ライトアップされたけやきを見上げ、
お堀に沿ってひと回りすれば、
もみじの色づきは途中のようだった。
晴れた日がつづいて、きれいに赤くなってもらいたのだった。
公園を出て袋町のせまい路地に入ると、
週はじめの飲み屋町に人の姿がない。
手持無沙汰にしている呼び込みの兄さんのわきを、
ジャージ姿の子供たちが自転車で過ぎていく。
歩き疲れた身を、
焼き鳥山ちゃんのカウンターに置いて、
本日のご苦労飲みとしたのだった。
読書ひとつにも
神無月 6
中学生のころ、NHKの大河ドラマで「花神」をやっていた。
司馬遼太郎さんの原作で、
幕末から明治維新、
官軍の参謀として活躍した大村益次郎の物語は、
毎週欠かさずに観ていたのだった。
中村梅之助の大村に、中村雅俊の高杉晋作に、
篠田三郎の吉田松陰、田村高廣の周布正之助など、
出ている役者陣がみなさんぴたっとはまり、
今でも最高の大河ドラマと思っている。
大人になって、
原作も友だちに借りて読んだりしたあたりから、
ときどき司馬さんの作品を、手にしているのだった。
読書の秋、久しぶりに本屋で買い求めたのは
「翔ぶが如く」だった。
明治維新の際、
立役者だった、薩摩の西郷隆盛と大久保利通の物語で、
新政府樹立から、朝鮮出兵をめぐる征韓論での対立、
そののちの西南戦争までを描いている。
まるで登場人物そのものかのような細かい見解の、
俗にいう司馬史観が、以下余談ながらという
わき道を交えながら、延々とえんえんとつづく。
読みだす前は、西南戦争を描くだけなのに、
なんで全10巻にもなるんだといぶかしんだものの、
この書き筋ですからねえと合点がいった。
仕事がたいへん暇な日でも、長らく読む根気がつづかない。
若いときならすいすい読めたのにと、
読書ひとつにも気力の衰えがわかって、
なさけないのだった。
会社を経営している同級生がいる。
もともと本を読む柄ではなかったのに、
経営の勉強になるからと人にすすめられ、
山岡荘八の「徳川家康」を読もうとしたという。
ところが1巻から3巻までを買ってから、
じつは全26巻もの大作と初めて気づき、
いっきに読む気が失せたという。
そりゃあ、失せるねえ。笑いながらなぐさめた。
みなさんの愛読書はなんですか?

中学生のころ、NHKの大河ドラマで「花神」をやっていた。
司馬遼太郎さんの原作で、
幕末から明治維新、
官軍の参謀として活躍した大村益次郎の物語は、
毎週欠かさずに観ていたのだった。
中村梅之助の大村に、中村雅俊の高杉晋作に、
篠田三郎の吉田松陰、田村高廣の周布正之助など、
出ている役者陣がみなさんぴたっとはまり、
今でも最高の大河ドラマと思っている。
大人になって、
原作も友だちに借りて読んだりしたあたりから、
ときどき司馬さんの作品を、手にしているのだった。
読書の秋、久しぶりに本屋で買い求めたのは
「翔ぶが如く」だった。
明治維新の際、
立役者だった、薩摩の西郷隆盛と大久保利通の物語で、
新政府樹立から、朝鮮出兵をめぐる征韓論での対立、
そののちの西南戦争までを描いている。
まるで登場人物そのものかのような細かい見解の、
俗にいう司馬史観が、以下余談ながらという
わき道を交えながら、延々とえんえんとつづく。
読みだす前は、西南戦争を描くだけなのに、
なんで全10巻にもなるんだといぶかしんだものの、
この書き筋ですからねえと合点がいった。
仕事がたいへん暇な日でも、長らく読む根気がつづかない。
若いときならすいすい読めたのにと、
読書ひとつにも気力の衰えがわかって、
なさけないのだった。
会社を経営している同級生がいる。
もともと本を読む柄ではなかったのに、
経営の勉強になるからと人にすすめられ、
山岡荘八の「徳川家康」を読もうとしたという。
ところが1巻から3巻までを買ってから、
じつは全26巻もの大作と初めて気づき、
いっきに読む気が失せたという。
そりゃあ、失せるねえ。笑いながらなぐさめた。
みなさんの愛読書はなんですか?
門前まちなみあるき
神無月 5
長野市東町に、まちくらしたてもの案内所が在って、
月に二度、門前まちなみあるきという企画をやっている。
善光寺門前の活性化のために、
門前に暮らすかたを案内人に、
町を知ってもらおうという催しだった。
このたび案内人をと、声をかけていただいたのだった。
どうせなら、日本酒を絡めてとのことで、
それはなんともありがたいことだった。
当日、住んでいる東之門町の移り変わりや、
目の前に在る氏神さんの、
伊勢社のことなどをお話しさせてもらってから、
観光客でにぎわう中央通りを下った。
古い家屋の雑貨屋十二天さんは、
この日は休店だったのに、わざわざ開けてくれたのだった。
長和町の戸津圭一郎さんの酒器と、
日ごろ使いの小道具を、
奥さんの明るい説明を聞きながら拝見させてもらう。
次に訪ねたキュブルーさんは、
友だちが勤める雑貨屋だった。
飯綱の朝比奈克文さんの器と、
長野の角居康宏さんの錫の酒器を眺めながら、
器によって酒の味も変わりますなどと、
うんちくなんぞを垂れてみた。
キュブルーさんを出れば、時刻は夕方4時とちょうどよい。
高野酒店さんでは、秋の酒を用意して、
愛想の好い御主人が迎えてくれる。
長野の地酒をそろえる店で、
長野の酒蔵さんの現状や、旨い銘柄が増えた経緯など、
過去現在の、酒にまつわる話を、試飲しながらうかがった。
案内の締めは、飲み屋のべじた坊さんで、
ここには、飯山で北光正宗を醸す、
角口酒造の村松さんに来てもらったのだった。
日本酒が好きでも、
造り手の話を聞けることはなかなかない。
旨い料理をつまみながら北光正宗を酌み合って、
造りの苦労話とうら話に耳をかたむけた。
酒も料理も旨いと喜んでもらい、無事散会と相成った。
カウンターに移って飲みなおせば、
ようやく気分もほっとするのだった。
案内人といっても、行く先々、
馴染みのかたがたに助けてもらっただけだった。
御足労感謝です。ありがとうございました。

長野市東町に、まちくらしたてもの案内所が在って、
月に二度、門前まちなみあるきという企画をやっている。
善光寺門前の活性化のために、
門前に暮らすかたを案内人に、
町を知ってもらおうという催しだった。
このたび案内人をと、声をかけていただいたのだった。
どうせなら、日本酒を絡めてとのことで、
それはなんともありがたいことだった。
当日、住んでいる東之門町の移り変わりや、
目の前に在る氏神さんの、
伊勢社のことなどをお話しさせてもらってから、
観光客でにぎわう中央通りを下った。
古い家屋の雑貨屋十二天さんは、
この日は休店だったのに、わざわざ開けてくれたのだった。
長和町の戸津圭一郎さんの酒器と、
日ごろ使いの小道具を、
奥さんの明るい説明を聞きながら拝見させてもらう。
次に訪ねたキュブルーさんは、
友だちが勤める雑貨屋だった。
飯綱の朝比奈克文さんの器と、
長野の角居康宏さんの錫の酒器を眺めながら、
器によって酒の味も変わりますなどと、
うんちくなんぞを垂れてみた。
キュブルーさんを出れば、時刻は夕方4時とちょうどよい。
高野酒店さんでは、秋の酒を用意して、
愛想の好い御主人が迎えてくれる。
長野の地酒をそろえる店で、
長野の酒蔵さんの現状や、旨い銘柄が増えた経緯など、
過去現在の、酒にまつわる話を、試飲しながらうかがった。
案内の締めは、飲み屋のべじた坊さんで、
ここには、飯山で北光正宗を醸す、
角口酒造の村松さんに来てもらったのだった。
日本酒が好きでも、
造り手の話を聞けることはなかなかない。
旨い料理をつまみながら北光正宗を酌み合って、
造りの苦労話とうら話に耳をかたむけた。
酒も料理も旨いと喜んでもらい、無事散会と相成った。
カウンターに移って飲みなおせば、
ようやく気分もほっとするのだった。
案内人といっても、行く先々、
馴染みのかたがたに助けてもらっただけだった。
御足労感謝です。ありがとうございました。
秋の気配に
神無月 4
秋の空気に、かわいた冷たさが増してくると、
この1年も早いなあという気になる。
春から夏、仕事場の壁伝いに、
ぐいぐい伸びていた零余子の葉が、茶色く枯れてきた。
玄関わきのガマズミは、赤いきれいな実をつけて、
葉も赤く染まってきた。
向かいの松木さんちのつたの葉も、
緑が褪せて変わり始めている。
氏神さんのケヤキの向こうの秋の空は、
どこまでも高く静かで、切なくなるのだった。
草津温泉で、宿を営む友だちと、
蕎麦屋を営む友だちがいる。
山の紅葉を眺めながら、
久しぶりの温泉詣でをしたくなった。
ところが当日の朝、昨夜からの雨がつづいている。
松代を抜けて地蔵峠を上がっていくと、
霧が濃く、景色を眺めるどころじゃない。
あきらめて、もくもくと車を走らせた。
天気がわるくても、
あいかわらず名湯の町は、観光客で混んでいる。
湯畑のわきを縫うように、
宿に着いたら、さっそくひと風呂浴びてさっぱりとした。
昼どき、蕎麦屋の口開けさんになって、
杯をかさねて、
新蕎麦の風味と喉ごしを味わったのだった。
宿に戻って、ふたたびひと風呂浴びて昼寝をして、
夜の温泉街へ繰り出した。
酒と蕎麦と人と。余生はこじんまりと、
ちいさな湯の町で暮らすのもいいかも。
草津に来ると、ときどきそんなことを思うのだった。
次の朝、硫黄の匂う白根を抜けて、
万座の細い道を下って行けば、またまた霧に包まれて、
はるか山並みの遠景にふられた。
霧の合間からのぞく紅葉は、
もう終わりの気配がしていて、
季節の見頃をつかまえるのは、
いつもむずかしいことだった。

秋の空気に、かわいた冷たさが増してくると、
この1年も早いなあという気になる。
春から夏、仕事場の壁伝いに、
ぐいぐい伸びていた零余子の葉が、茶色く枯れてきた。
玄関わきのガマズミは、赤いきれいな実をつけて、
葉も赤く染まってきた。
向かいの松木さんちのつたの葉も、
緑が褪せて変わり始めている。
氏神さんのケヤキの向こうの秋の空は、
どこまでも高く静かで、切なくなるのだった。
草津温泉で、宿を営む友だちと、
蕎麦屋を営む友だちがいる。
山の紅葉を眺めながら、
久しぶりの温泉詣でをしたくなった。
ところが当日の朝、昨夜からの雨がつづいている。
松代を抜けて地蔵峠を上がっていくと、
霧が濃く、景色を眺めるどころじゃない。
あきらめて、もくもくと車を走らせた。
天気がわるくても、
あいかわらず名湯の町は、観光客で混んでいる。
湯畑のわきを縫うように、
宿に着いたら、さっそくひと風呂浴びてさっぱりとした。
昼どき、蕎麦屋の口開けさんになって、
杯をかさねて、
新蕎麦の風味と喉ごしを味わったのだった。
宿に戻って、ふたたびひと風呂浴びて昼寝をして、
夜の温泉街へ繰り出した。
酒と蕎麦と人と。余生はこじんまりと、
ちいさな湯の町で暮らすのもいいかも。
草津に来ると、ときどきそんなことを思うのだった。
次の朝、硫黄の匂う白根を抜けて、
万座の細い道を下って行けば、またまた霧に包まれて、
はるか山並みの遠景にふられた。
霧の合間からのぞく紅葉は、
もう終わりの気配がしていて、
季節の見頃をつかまえるのは、
いつもむずかしいことだった。
もんぜんぷら座を
神無月 3
朝刊を見ていたら、
「もんぜんぷら座」どうする、と載っていた。
中央通りと昭和通りの交差点に在る、
もんぜんぷら座の老朽化がひどいという。
この先どうするか、
長野市が検討委員会を立ち上げたのだった。
40年ほど前に、大型スーパーのダイエーが出来た。
ダイエーが閉店したのちに、
建物を、そのままもんぜんぷら座として使っていた。
傷んでいるのも無理はないのだった。
ダイエーが出来たのは、
斜め向かいに丸光デパートが在って、
何年か前に、
駅前に東急デパートが開店したころだった。
そのころ買い物といえば、近所の個人商店か、
魚力やくろさきといった、
地域に根差したスーパーでするのが常だった。
大型スーパーの進出がめずらしく、
ダイエーも買い物客でにぎわっていた。
そののち、郊外の田畑だった土地に住宅が増え、
広い道路が開通すると、
沿線に大型店がつぎつぎと出来た。
町なかから買い物客の姿が減り始め、
活気が見えなくなってきた。
丸光が、立て直しをはかってそごうになったものの、
10年余りで閉店して、ダイエーも後を追うように、
同じ年に閉めてしまったのだった。
しばらくしてそごうの跡地に、
りっぱな商業ビルのトイーゴが出来たものの、
家賃が高いのか、テナントが埋まらずに、
すかすかで冴えない構えになっている。
信州は、
米や野菜や果物などの美味しい農産物が有り、
近年、日本酒やワインなどの加工品も評判がいい。
もんぜんぷら座の地に地元の生産品を、
売り買い飲み食いできる場を設ければ、
人の行き来も増えないかなあ。
恵まれた地の利を活かせないかと、
読みながら思った次第なのだった。

朝刊を見ていたら、
「もんぜんぷら座」どうする、と載っていた。
中央通りと昭和通りの交差点に在る、
もんぜんぷら座の老朽化がひどいという。
この先どうするか、
長野市が検討委員会を立ち上げたのだった。
40年ほど前に、大型スーパーのダイエーが出来た。
ダイエーが閉店したのちに、
建物を、そのままもんぜんぷら座として使っていた。
傷んでいるのも無理はないのだった。
ダイエーが出来たのは、
斜め向かいに丸光デパートが在って、
何年か前に、
駅前に東急デパートが開店したころだった。
そのころ買い物といえば、近所の個人商店か、
魚力やくろさきといった、
地域に根差したスーパーでするのが常だった。
大型スーパーの進出がめずらしく、
ダイエーも買い物客でにぎわっていた。
そののち、郊外の田畑だった土地に住宅が増え、
広い道路が開通すると、
沿線に大型店がつぎつぎと出来た。
町なかから買い物客の姿が減り始め、
活気が見えなくなってきた。
丸光が、立て直しをはかってそごうになったものの、
10年余りで閉店して、ダイエーも後を追うように、
同じ年に閉めてしまったのだった。
しばらくしてそごうの跡地に、
りっぱな商業ビルのトイーゴが出来たものの、
家賃が高いのか、テナントが埋まらずに、
すかすかで冴えない構えになっている。
信州は、
米や野菜や果物などの美味しい農産物が有り、
近年、日本酒やワインなどの加工品も評判がいい。
もんぜんぷら座の地に地元の生産品を、
売り買い飲み食いできる場を設ければ、
人の行き来も増えないかなあ。
恵まれた地の利を活かせないかと、
読みながら思った次第なのだった。
袋町慕情
神無月 2
そぼ降る雨の午後、上田まで出かけた。
市立美術館で開催中の平山郁夫展を堪能して、
雨足のつよまる中、城跡公園まで行けば、
お堀のまわりの緑も、秋の色へと変わってきている。
ひとまわりして城門を出れば、夕刻の五時過ぎと、
良い頃合いになっている。
久しぶりの友だちとの、一献が待っているのだった。
上田駅からしばらく上がり、
海野町の広い道路から入ったところに、
袋町という、飲み屋の連なる路地がある。
居酒屋に寿司屋にあやしいスナックなど、
古くて小さな店が、
たてよこほそい路地に、軒を連ねているのだった。
陽灯しどき、どの店に入ろうか、
昭和の風情を感じながら歩いていると、
なんだかほっとするのだった。
良さげな店と、入り口の気配に感じても、
店内が見えないと、
ちょいと扉を開けるのがためらわれる。
やはり、上田に暮らす友だちに、
案内を乞わないとと話した。
この日は一件目に、
焼き鳥の「やまちゃん」に入ってみた。
坊主頭の、無口で渋いご主人がやっていて、
上田名物の美味だれ焼き鳥はなかったものの、
つくねに砂肝になんこつにぼんじりと、どれも旨かった。
カウンターわきのテレビを見ながら、
ぽつねんと、ひとりで過ごしたい店だった。
二件目は、前から気になっていた、
もつ煮の「こばちゃん」の暖簾をくぐる。
こちらも無口なご主人で、品書きを見れば、
肉料理に力を入れているとわかる。
目当てのもつ煮は醤油仕込みで、
さっぱりとした味わいが、期待以上の美味しさだった。
目利きが当たって安心したのだった。
馴染みの店をいくつか作りたいけれど、
それには、まだまだ足の運びが足りない。
袋町の夜は、なかなか奥が深いのだった。

そぼ降る雨の午後、上田まで出かけた。
市立美術館で開催中の平山郁夫展を堪能して、
雨足のつよまる中、城跡公園まで行けば、
お堀のまわりの緑も、秋の色へと変わってきている。
ひとまわりして城門を出れば、夕刻の五時過ぎと、
良い頃合いになっている。
久しぶりの友だちとの、一献が待っているのだった。
上田駅からしばらく上がり、
海野町の広い道路から入ったところに、
袋町という、飲み屋の連なる路地がある。
居酒屋に寿司屋にあやしいスナックなど、
古くて小さな店が、
たてよこほそい路地に、軒を連ねているのだった。
陽灯しどき、どの店に入ろうか、
昭和の風情を感じながら歩いていると、
なんだかほっとするのだった。
良さげな店と、入り口の気配に感じても、
店内が見えないと、
ちょいと扉を開けるのがためらわれる。
やはり、上田に暮らす友だちに、
案内を乞わないとと話した。
この日は一件目に、
焼き鳥の「やまちゃん」に入ってみた。
坊主頭の、無口で渋いご主人がやっていて、
上田名物の美味だれ焼き鳥はなかったものの、
つくねに砂肝になんこつにぼんじりと、どれも旨かった。
カウンターわきのテレビを見ながら、
ぽつねんと、ひとりで過ごしたい店だった。
二件目は、前から気になっていた、
もつ煮の「こばちゃん」の暖簾をくぐる。
こちらも無口なご主人で、品書きを見れば、
肉料理に力を入れているとわかる。
目当てのもつ煮は醤油仕込みで、
さっぱりとした味わいが、期待以上の美味しさだった。
目利きが当たって安心したのだった。
馴染みの店をいくつか作りたいけれど、
それには、まだまだ足の運びが足りない。
袋町の夜は、なかなか奥が深いのだった。
甥っ子と
神無月 1
9月の下旬、甥っ子が訪ねてきた。
函館に暮らす兄夫婦の子で、
高校を卒業したあと、
はるばる九州の、宮崎の大学に進学したのだった。
卒業してから、いちど函館に戻ったものの、
よほど居心地が良かったのか、再び宮崎に引っ越してしまった。
兄の子とは思えないほど、
子供のころから、素直な性格で頭も良かった。
行く末、どんな大人になるかと楽しみにしていたら、
海外を放浪したり音楽に打ち込んだり、カレー屋で働きながら、
のびのび日々を楽しんでいるのだった。
先日、台風18号が九州を直撃したときに、
宮崎市にも避難勧告が出た。心配して電話をかけたら、
今ベランダで、空を眺めながらエビスを飲んでまあすと、
のんきな答えが返ってきた。
お気楽で酒好きなところは血筋だなあと、
今さらながらに感心したのだった。
訪ねてきた日の夕方、近所の大森食堂さんで、
寿司をつまみに久しぶりの一献を交わした。
せっかく訪ねてきたのに一軒じゃ物足りない。
中央通りを下って、べじた坊さんの扉を開けた。
カウンターで日本酒を飲み始めて間もなく、
馴染みのイタリアン、こまつやさんの御主人が、
スタッフのかたがたと入ってきた。
甥っ子ともども宴の席に交ぜてもらい、
和気あいあいと、日本酒の杯をかさねたのだった。
勢いづいたその足で、カラオケボックスへ突入して、
甥っ子も、ずいぶん楽しそうで、ありがたい夜となった。
このまま宮崎で暮らすのか、近い将来、函館に帰るのか。
長野、良いとこですねえという甥っ子に、
いっそ長野で暮らしますかと、そそのかしてみるのだった。

9月の下旬、甥っ子が訪ねてきた。
函館に暮らす兄夫婦の子で、
高校を卒業したあと、
はるばる九州の、宮崎の大学に進学したのだった。
卒業してから、いちど函館に戻ったものの、
よほど居心地が良かったのか、再び宮崎に引っ越してしまった。
兄の子とは思えないほど、
子供のころから、素直な性格で頭も良かった。
行く末、どんな大人になるかと楽しみにしていたら、
海外を放浪したり音楽に打ち込んだり、カレー屋で働きながら、
のびのび日々を楽しんでいるのだった。
先日、台風18号が九州を直撃したときに、
宮崎市にも避難勧告が出た。心配して電話をかけたら、
今ベランダで、空を眺めながらエビスを飲んでまあすと、
のんきな答えが返ってきた。
お気楽で酒好きなところは血筋だなあと、
今さらながらに感心したのだった。
訪ねてきた日の夕方、近所の大森食堂さんで、
寿司をつまみに久しぶりの一献を交わした。
せっかく訪ねてきたのに一軒じゃ物足りない。
中央通りを下って、べじた坊さんの扉を開けた。
カウンターで日本酒を飲み始めて間もなく、
馴染みのイタリアン、こまつやさんの御主人が、
スタッフのかたがたと入ってきた。
甥っ子ともども宴の席に交ぜてもらい、
和気あいあいと、日本酒の杯をかさねたのだった。
勢いづいたその足で、カラオケボックスへ突入して、
甥っ子も、ずいぶん楽しそうで、ありがたい夜となった。
このまま宮崎で暮らすのか、近い将来、函館に帰るのか。
長野、良いとこですねえという甥っ子に、
いっそ長野で暮らしますかと、そそのかしてみるのだった。