お身体大事に
文月 5
できれば、歯医者は行きたくない。
さいごに通ったのは20年も前のことだった。
以来、ちょこちょことした不具合が出ても、
ほったらかしにしておいた。ところが、
以前からの歯周病が、
いよいよ怪しくなってきて、右上の歯がぐらぐらする。
我慢の潮どきとあきらめて、
お世話になることにした。
自宅のまわりにいくつか歯医者はあれど、
20年不通の身は、どこがいいのかわからない。
たまたま訪ねて来た友だちに話したら、
善光寺下の小西さん、
仕事で付き合いがあるんだけれど、
いい先生だよと教えてくれた。
さっそく予約を入れて伺ったのだった。
同年代のはきはきとした先生に診てもらうと、
20年分のつけがそこかしこに出ているという。
ですよね・・・
まずは、ぐらぐらする歯を抜いちゃいましょう。
次回の予約となったのだった。
この歳になっても歯医者に行くと緊張するのは、
なんともなさけないことだった。
長雨の気圧の低い日がつづき、体がだるい。
おまけに持病の腰痛が、ひさかたぶりにあらわれた。
ちょっとしたしぐさで痛みが走り、
おもたくうずいているのだった。
仕事がひまで、たいして体を使ってないのになあ。
さえない気分で、友だちが営む整骨院へおじゃました。
待合で待っていたら、
その友だちが、痛々しい表情で杖をついて現れた。
どうしたのお!驚いて尋ねたら、
ギックリ腰をやってしまったという。
重いものを運ぼうとしたわけでもなく、
ただ立ち上がろうとしたらギクッときたという。
整骨院の先生がギックリ腰とは、
しゃれにならんねえ。苦笑いを浮かべてしまった。
施術をしてもらい、会計を済ませて帰るとき、
お大事という友だちに、そちらこそお大事にと、
返したのだった。
7月のおわり、
ようやく氏神さんの境内に、蝉の声が響きだす。
長い梅雨も、そろそろ終わりをむかえていただきたい。

できれば、歯医者は行きたくない。
さいごに通ったのは20年も前のことだった。
以来、ちょこちょことした不具合が出ても、
ほったらかしにしておいた。ところが、
以前からの歯周病が、
いよいよ怪しくなってきて、右上の歯がぐらぐらする。
我慢の潮どきとあきらめて、
お世話になることにした。
自宅のまわりにいくつか歯医者はあれど、
20年不通の身は、どこがいいのかわからない。
たまたま訪ねて来た友だちに話したら、
善光寺下の小西さん、
仕事で付き合いがあるんだけれど、
いい先生だよと教えてくれた。
さっそく予約を入れて伺ったのだった。
同年代のはきはきとした先生に診てもらうと、
20年分のつけがそこかしこに出ているという。
ですよね・・・
まずは、ぐらぐらする歯を抜いちゃいましょう。
次回の予約となったのだった。
この歳になっても歯医者に行くと緊張するのは、
なんともなさけないことだった。
長雨の気圧の低い日がつづき、体がだるい。
おまけに持病の腰痛が、ひさかたぶりにあらわれた。
ちょっとしたしぐさで痛みが走り、
おもたくうずいているのだった。
仕事がひまで、たいして体を使ってないのになあ。
さえない気分で、友だちが営む整骨院へおじゃました。
待合で待っていたら、
その友だちが、痛々しい表情で杖をついて現れた。
どうしたのお!驚いて尋ねたら、
ギックリ腰をやってしまったという。
重いものを運ぼうとしたわけでもなく、
ただ立ち上がろうとしたらギクッときたという。
整骨院の先生がギックリ腰とは、
しゃれにならんねえ。苦笑いを浮かべてしまった。
施術をしてもらい、会計を済ませて帰るとき、
お大事という友だちに、そちらこそお大事にと、
返したのだった。
7月のおわり、
ようやく氏神さんの境内に、蝉の声が響きだす。
長い梅雨も、そろそろ終わりをむかえていただきたい。
朝の散歩で
文月 4
この梅雨は、まことに雨の日がつづく。
いつになったら明けるのやら。
天気予報を見るたびに、
傘マークの日がつづいている。
夕べのつよい雨が上がった早朝、
やや湿気を含んだ空気がすずしい。
ひとまわり、ノルディックウォーキングに出た。
氏神さんに挨拶をして、建築中の信濃美術館を
左手に眺めながら行く。
ずいぶんとりっぱな美術館になるようで、
完成が楽しみなことだった。
芝生の公園の前を過ぎて、
城山動物園の手前を左に曲がって行くと、
かつて、電電公社の社宅があった、
広い更地が見えてくる。
子供のころ、社宅に仲の好かった
友だちが住んでいた。
熱心にピアノを勉強していた子で、
先日、ここの前を通ったときに思い出し、
検索をしてみた。
峯村操くん。ピアニストとして、
国内だけでなく海外でも活躍されて、
現在は文教大学で、後進の指導に当たっている。
ひさしぶりに拝見したお顔は、
昔のままのふっくらとした頬と、
意志のつよそうなまなざしが変わりなく、
懐かしく眺めたのだった。
そのまま通りを進んで、信号を渡ったら、
おらが園の手前を左に曲がる。
滝から箱清水へ、裏手の道を歩いていくと
古いお宅の入り口のガクアジサイが、
目をひいてくる。
夕べの雨がつらかったか。
すっかり打ちひしがれていた。
栄心堂のある広い道路を渡ったら、
まっすぐに湯福神社を過ぎていく。
モンマートとみやを過ぎて
松沢商店の角を左に折れて、
喜世栄のある小路を抜ければ
善光寺へたどり着く。
気持ちの沈みがちなこの頃、
近くのつややかな緑を眺めながら歩けば、
それだけで和むことだった。
ノルディックウォーキングを始めてから、
肩回りがなにやら引き締まってきた。
それよりも、ぽっくりとしたビール腹を
引きしめてくれませんかねえ。
風呂場で裸になるたびに、なさけがないのだった。

この梅雨は、まことに雨の日がつづく。
いつになったら明けるのやら。
天気予報を見るたびに、
傘マークの日がつづいている。
夕べのつよい雨が上がった早朝、
やや湿気を含んだ空気がすずしい。
ひとまわり、ノルディックウォーキングに出た。
氏神さんに挨拶をして、建築中の信濃美術館を
左手に眺めながら行く。
ずいぶんとりっぱな美術館になるようで、
完成が楽しみなことだった。
芝生の公園の前を過ぎて、
城山動物園の手前を左に曲がって行くと、
かつて、電電公社の社宅があった、
広い更地が見えてくる。
子供のころ、社宅に仲の好かった
友だちが住んでいた。
熱心にピアノを勉強していた子で、
先日、ここの前を通ったときに思い出し、
検索をしてみた。
峯村操くん。ピアニストとして、
国内だけでなく海外でも活躍されて、
現在は文教大学で、後進の指導に当たっている。
ひさしぶりに拝見したお顔は、
昔のままのふっくらとした頬と、
意志のつよそうなまなざしが変わりなく、
懐かしく眺めたのだった。
そのまま通りを進んで、信号を渡ったら、
おらが園の手前を左に曲がる。
滝から箱清水へ、裏手の道を歩いていくと
古いお宅の入り口のガクアジサイが、
目をひいてくる。
夕べの雨がつらかったか。
すっかり打ちひしがれていた。
栄心堂のある広い道路を渡ったら、
まっすぐに湯福神社を過ぎていく。
モンマートとみやを過ぎて
松沢商店の角を左に折れて、
喜世栄のある小路を抜ければ
善光寺へたどり着く。
気持ちの沈みがちなこの頃、
近くのつややかな緑を眺めながら歩けば、
それだけで和むことだった。
ノルディックウォーキングを始めてから、
肩回りがなにやら引き締まってきた。
それよりも、ぽっくりとしたビール腹を
引きしめてくれませんかねえ。
風呂場で裸になるたびに、なさけがないのだった。
今日を無事に
文月 2
週にいちど、
仕事の取り引き先のかたが訪ねてくる。
一昨日、追突事故にあっちゃってさあと
顔をしかめるから、
仕事していて大丈夫なんですかあとおどろいた。
信号待ちで停車をしていたら、
バックミラーに、
後ろから迫ってくるトラックが見えた。
じつは3年前にも、追突事故にあっていた。
もしやと思って身構えたら、
案の定、そのまま突っ込んできたという。
運転していたのは30歳くらいのお兄ちゃんで、
どうやら、スマホにうつつを抜かしていたらしい。
さいわい大きなけがはなかったものの、
打撲の痛みはあとから出てくるものと知っている。
お大事にしてくださいと案じたのだった。
30年前に、
居眠り運転の車に追突されたことがある。
友だちに会いに、金沢に向かって
高速道路を走っていたときだった。
あと10分ほどで到着というそのとき、
いきなり、がらがらがしゃんと車が転がった。
逆さになった車内で、
わけもわからず呆然としていたら、
まわりを走っていたかたがたが起こしてくれて、
外へ引っ張り出してくれたのだった。
そのまま救急車で小松市民病院に運ばれて、
全身打撲と右あごの骨折の治療で、
およそ一か月入院していた。
すぐ近くに小松空港があって、病院の庭から
旅客機や自衛隊の戦闘機が飛び立つのを
毎日、心もとない気分で眺めていた。
梅雨どきのじめっとした日、右あごがうずくと、
ほんとに命があっただけでも良かったことと、
思い出す。
事故に事件に災害がこれでもかと、あとをたたない。
生きながらえるのは奇跡のようなこと。
つくづく、そう思わせる昨今だった。

週にいちど、
仕事の取り引き先のかたが訪ねてくる。
一昨日、追突事故にあっちゃってさあと
顔をしかめるから、
仕事していて大丈夫なんですかあとおどろいた。
信号待ちで停車をしていたら、
バックミラーに、
後ろから迫ってくるトラックが見えた。
じつは3年前にも、追突事故にあっていた。
もしやと思って身構えたら、
案の定、そのまま突っ込んできたという。
運転していたのは30歳くらいのお兄ちゃんで、
どうやら、スマホにうつつを抜かしていたらしい。
さいわい大きなけがはなかったものの、
打撲の痛みはあとから出てくるものと知っている。
お大事にしてくださいと案じたのだった。
30年前に、
居眠り運転の車に追突されたことがある。
友だちに会いに、金沢に向かって
高速道路を走っていたときだった。
あと10分ほどで到着というそのとき、
いきなり、がらがらがしゃんと車が転がった。
逆さになった車内で、
わけもわからず呆然としていたら、
まわりを走っていたかたがたが起こしてくれて、
外へ引っ張り出してくれたのだった。
そのまま救急車で小松市民病院に運ばれて、
全身打撲と右あごの骨折の治療で、
およそ一か月入院していた。
すぐ近くに小松空港があって、病院の庭から
旅客機や自衛隊の戦闘機が飛び立つのを
毎日、心もとない気分で眺めていた。
梅雨どきのじめっとした日、右あごがうずくと、
ほんとに命があっただけでも良かったことと、
思い出す。
事故に事件に災害がこれでもかと、あとをたたない。
生きながらえるのは奇跡のようなこと。
つくづく、そう思わせる昨今だった。
新しい場所で
文月 1
玄関わきの芋の葉が、みるみるうちに群れている。
コロナでおろおろして、はや半年。
身近な緑にも癒される思いだった。
善光寺門前にも、
ようやく観光客を見かけるようになった。
そうはいっても、
まだまだいつもの賑わいからは程遠い。
馴染みの飲み屋でビールを飲みながら、
今月どう?とご主人に尋ねれば、
ぜんぜんだめですよ~。
お客さん少ないですわあと嘆く。
客足がすんなりと戻ってこないといい、
せいぜい足を運ばにゃあいかんなあと、
思ってしまうのだった。
誰しもが暮らしに不安を抱えたまま、
迎える7月だった。
ひさしぶりの友だちが訪ねてきた。
ホテルのサービスを生業にしているかたで、
ここしばらく、富山のホテルに勤めていた。
コロナのせいでホテルも大変だねえといったら、
はい、5月いっぱいで解雇されましたという。
ぜんぜんお客が来なくて、
一斉に160人が解雇されたというのだった。
これから職探しをしなきゃいけないものの、
長らくのホテル勤めの身は、
他の仕事に就くのも気がすすまない。
かといってこのご時世に、
求人を出すホテルもあろうはずがなく、
途方にくれることだった。
それからおよそ3週間。どうしたかなと
気になって、
馴染みの飲み屋で落ち合った。
幸い知人のつてで、
岡山と山梨と福島のリゾートホテルから
声をかけられたといい、
条件をかんがみて、
山梨のホテルに勤めるという。
日をおかず、新たな勤め先が決まって、
よかったよかったと乾杯したのだった。
ビールから日本酒へ、ぐいぐいと杯をかさねて、
こちらが奢るはずだったのに、
すきを見て、先にお代を払われてしまった。
失業している身にごちそうになったのは、
なんとも申しわけないことだった。