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元気な店で

2024年01月30日

 へこりと at 09:13  | Comments(0)

睦月 6

昨年の秋に花粉症にかかった。
春の花粉にはもうずいぶん長くやられて
いるけれど、秋の花粉にやられたのは初めての
ことだった。しかも師走に入ってからも暖かな日が
続いていたせいか、いつまでも収まらず、鼻をぐずぐず
させていた。年が明けた一月、さらに輪をかけて、
目がかゆくなり鼻水が止まらない。
これはもう春の花粉が舞っていると察しがついた。
おかげで日に何度も目薬をさして、鼻をかんでいる。
この頃は薬を飲んでも以前ほど効かないときもあり、
歳と共に抵抗力が落ちているのを実感している
ありさまだった。
おまけに昨年ひいた風邪の余韻で、いまだに咳が出ていた。
コロナやインフルエンザが流行っているさなか、
飲み屋に出かけてゴホゴホしたら、まわりのお客も
気にする。飲み屋通いも控えていたのだった。
一月半ばを過ぎて、ようやく治まってきた次第だった。
仕事を終えた夕方、新幹線に乗って上田へ出かけた。
上田の町が好きで月に何度か出かけている。
駅を出て、別宅に荷物を置いて、寿司屋の萬寿に
おじゃました。親子で営んでいるこの店は、いつ来ても
くつろいだひとときが過ごせるのだった。
お通しの、菜の花と数の子のお浸しで黒ラベルを酌んで、
白海老のから揚げで長野市の地酒、十九を酌んで、
なまこ酢で木曽の九郎右衛門を酌んで、握りをつまみに
上田の亀齢を酌んでいたら、旦那さんに、塩田屋は行かれた
ことがありますかと尋ねられた。
上田駅のそばにある蕎麦屋で、ご主人は塩田屋のお母さんと
知り合いとのことだった。
塩田屋、しょっちゅうおじゃましています。お母さんも
娘さんと一緒に元気に働いていますと伝えた。
翌朝、東宝シネマ上田でゴールデンカムイを観たあとに、
蕎麦屋の昼酒に塩田屋におじゃました。
遅ればせながらの新年のあいさつを交わし、お母さんに、
萬寿の旦那さんのことを伝えたら、旦那さんは
若かりし頃、塩田屋のそばの寿司屋で修業をしていたとの
ことで、その時からの知り合いだというのだった。
萬寿の旦那さんは、確か今年御年八十二歳。
塩田屋のお母さんも同じ歳くらいだから、もう六十年ほどの
顔見知りとうかがえた。元気なお年寄りが現役で頑張っている
姿を眺めていると、こちらも元気をもらえることと、
それぞれの店におじゃまするたびに感じていることだった。

寿司屋酒蕎麦屋酒にて春を待ち。


  


洋裁屋さんの世話になり

2024年01月26日

 へこりと at 09:30  | Comments(0)

睦月 5

このところ、衣類は通販で買っている。あれこれ
探していれば、いろんな店があるもので、
目に留まり、好さげではないですかと思ったら、
ぽちっとしているのだった。
いちど、踊る大捜査線の青島コートを注文したら、
ネットの広告とはうらはらなまがい物が届いたことが
ある。我慢して着ようかと思ったものの、
なんとも気持ちがすっきりせずに、いちども着ない
まま処分して、あらためて正規の商品を購入した。
以来、買い物をするときは、よくよく慎重に選んで
いる。質の良いTシャツやトレーナーを手頃な価格で
売っていたり、ひとつひとつ手づくりの草木染めの
シャツやパンツを売っていたり、春秋用の薄手の
コートに、冬用の厚手のコートの、値段のわりに
見栄えの良い品を扱っている店を見つけては利用
させていただいている。
昨年の秋の終わりに、黒いコートを購入した。
なによりありがたかったのは、蕎麦屋や飲み屋に着て
行くと、けっこう店のかたに、おしゃれですねと
褒めていただけることだった。
男やもめのしょぼいおっさんは、褒められるたびに
好い買い物をしたと喜んでいる。
ところがひとつ困ったことが出た。ボタンの縫い付けが
甘かったのか、何度かはめたりはずしたりをしていたら、
糸がほつれて取れそうになってしまったのだった。
母の使っていた裁縫箱があるものの、昔から裁縫は
やったためしがない。子供の時の家庭科の宿題も、毎回
母に頼んでいた。ぞうきんや鍋敷き、あんまり
きれいに縫ってあるから、先生も母の手を借りたのは
お見通しだった。
さて、どうしたものかと思案をしたらひらめいた。
毎日ノルディックウォーキングをしている。その日の気分で
南北東西コースを決めて歩いている。
北のコースを歩いて行くときに、
長野高校の正門の前を過ぎていった先に、
洋裁屋が在ったのだった。
入口に「hicao お直しリメイク」と描かれた小さな看板が
出ていて、いつも通り過ぎるときに眺めていた。
パソコンを開いて検索したら、ホームページが引っ掛かった。
営んでいる女性は、洋裁教室を開いていたり、自身で作った
洋服を販売しているかたで、素敵な作品がアップされている。
メールを打って、ボタンの縫い付けをお願いしたら、
快く引き受けていただいて、
その日の夕方、コートを持っておじゃました。
せっかくのご縁、ボタンの縫い付けだけで終わらせるのは
もったいない。色は黒、生地は綿か綿麻で。
上着とパンツを作ってもらうことにした。
出来上がりは春のはじめくらいかなあ。
今から楽しみなことだった。

新しき衣拵えこの春を。.


  


北向観音へ

2024年01月23日

 へこりと at 10:04  | Comments(0)

睦月 4

成人の日の祝日、上田の別所温泉に出かけた。
今年も北向観音へ足を運んだのだった。
別所線に乗りこむと、おなじくお参りに向かうかたが
たくさん乗っている。
冬枯れの塩田平を眺めながら30分揺られて行くと、
着物に袴姿のかわいい女の子がふたり、出迎えてくれた。
沿線の上田女子短期大学の学生さんが駅長を務めている
のだった。
駅を出て坂道を上がって行くと、先々に細いしめ縄が
ぶら下がっている。正月の余韻を感じながら、急な階段を下りて
参道を行って、階段を上がって観音堂にたどり着く。
境内の両脇に福飴と焼き栗の屋台が出ていて、お兄さんと
おじさんがお客を呼んでいた。
観音堂の内陣には、お祓いをお願いしたかたがずらっと
並んで座っている。じきにご住職が現れておごそかな読経が
響きはじめた。
上田の町が平和でありますように。手を合わせてお祈りした。
長野市の善光寺門前に住んでいる。来世の御利益を
頂ける善光寺と、現世の御利益を頂ける北向観音と、
今年も両詣りを果たせて好かったことだった。
お詣りを済ませたら、階段下の蕎麦屋、だるま家におじゃました。
以前初めておじゃまをしたときに、店を営むご主人夫婦の
感じが好かったのが印象に残っていた。小上がりの端っこの
座卓に落ちついて、ビールの栓を抜く。
この日は若い女の子がお運びをしていた。ご主人夫婦のお孫さん
かな。参拝を済ませたお客がたて続けに入ってきて、
お茶を出したり注文を聞いたり、はきはきと好く動いている。
長芋の千切りとつくねを二本つまみにして、ビールのあとに
塩田平の地酒、月吉野の燗酒をゆるゆると。
角の立ったもりで締めた。
会計のときにご主人に挨拶をしたら、この子が良く働いてくれて
助かるんですよと、隣の女の子を褒める。
お孫さんですかと尋ねたら、バイトの学生さんで、
沿線の長野大学に通っているという。
釣銭の小銭はこの子のバイト代に回してくださいと渡したら、
ありがとうございますと、にこにこ頭をさげられた。
ひと風呂浴びて帰ろうと、坂道を下って、駅のそばの
あいそめの湯へ行ったら、ここにも入り口に、長いしめ縄が
飾ってあった。地元のおじさんたちに混ざって、今年の
上田の初湯となったのだった。

初観音蕎麦屋の娘きびきびと。


  


八日堂縁日へ。

2024年01月19日

 へこりと at 08:23  | Comments(0)

睦月 3

一月七日、上田へ出かけた。毎年
七日、八日と信濃国分寺で八日堂縁日が開かれて
いるのだった。何年も前から足を運びたいと
思っていたのに、なかなか都合がつかなかった。
ようやく念願叶った次第だった。
信濃国分寺のすぐ近くに、御実家の在る友だちがいる。
初めての縁日を案内してもらうことにした。
夕方の早い時間にうかがうと、国道沿いの国分寺公園に、
たくさんの車が入って来る。
国道を渡って仁王門を抜けて参道へ行くと、
両脇にずらっとテキ屋の屋台が並び、前が見えぬほど
参拝客でひしめき合っている。
チョコバナナやべっ甲飴や団子を売る店が在り、
ドラえもん焼きの屋台の前には長い行列が出来ていた。
そんなに人気なの?と覗いたら、ちいさなドラえもんの
人形焼きだった。
十円パンの屋台の前を通ったら、十円パンなのに
¥600の貼り紙があって、頭の中が???となった。
焼きそばや唐揚げやたこ焼きの匂いの漂う中、
中学生くらいの男の子たちが、肩を並べて焼きそばを
ほおばっている。
ぞろぞろと本堂までたどり着いて、上田の町が平和で
ありますように。よくよくお詣りをした。
八日堂縁日では、蘇民将来符というお守りが授与される。
蘇民将来という慈悲深い人にあやかってのお守りで、
昔より農閑期の農民が六角形に木を彫って作り、
寺の住職によって文字と絵柄が描かれ、
御祈祷をしてから縁日に並ぶという。
六角の面にはそれぞれ、蘇民、将来、子孫、人也、
大福、長者の文字が書かれている。
大小いろんな大きさがあって、友だち曰く、
初めて買うときはいちばん小さいのを買って、
毎年来るたびにひとつずつ大きいのを買い足してゆく
のが習わしとのことだった。
そうはいっても、また来年来られるとは限らない。
ちょいと悩んで、中くらいのを買わせていただいた。
参道を戻って行くと、まだまだぞくぞくと参拝客が
やってくる。
おじいちゃんおばあちゃんに、冬休み中の子供たちに、
小さな子を連れた家族連れに、
地元のかたに愛されている縁日の風情を眺めていたら、
気持ちが和やかになった。
友だちの御実家におじゃまして、縁日の余韻をつまみに
酌みあったのだった。

縁日の余韻肴に年酒かな。


  


愚息と一献

2024年01月16日

 へこりと at 10:11  | Comments(4)

睦月 2

結婚を二度しくじっている。
一度目の結婚生活のときに、当時の連れ合いとの
間に一男一女を授かった。
離婚をしてからずっと音信不通だったのに、
養育費をすべて払い終わってしばらくしたら、
会いに来てくれたのだった。
それからごくごくたまに顔を合わせては、
酌み交わすようになっている。
先日息子から久しぶりに電話がかかってきた。
じつは彼女が出来たという。紹介したいから、
明日会ってもらいたいというのだった。
会うのは、昨年の春に息子の行きつけの
中華料理屋で酌み交わして以来だった。あのときは
もう女はいいです。疲れましたなどと年寄りみたいな
ことを言っていて、欲がないのおと、あきれたものだった。
若いのだから、恋愛にまだまだ身を費やして頂きたい。
翌朝、連れてきた彼女にお会いしたら、
透き通るように肌の白い、二重の目元が涼やかな、
剛力彩芽似のとてもきれいな子だった。
まじですか・・・おまけに二十一歳といい、愚息より
十四歳も若いではないか・・・
忘年会もかねて宴をやろうと相成って、
日を置いて件の中華料理屋で待ち合わせをした。
先に着いてやっこでビールを飲んでいたら、若い男の子が
入ってきて、カウンターで一杯やり始めた。
店の女将さんが、あちらりょーたくんのお父さんよと
こちらを紹介してくれる。息子の飲み仲間のかただった。
挨拶を交わしたら、りょーたさんには、いつも優しくして
頂いてますという。へえ、あいつ優しいんだと、ちょっと
驚いた。
程なく息子たちもやって来て、乾杯をした。一番搾りを
飲みながら、息子のどこが好きなの?と尋ねたら、
真っ直ぐ瞳をむけてきて、
りょーたは私に対しても友だちに対してもちゃんと愛情を
向けてくれるという。
間違ったことはちゃんと指摘してくれて、悩み事を抱えれば、
自分のことのように心配をしてくれるという。
今までそんな人には会ったことがなかったといい、
父親の知らない一面を教えていただいた。
二十歳過ぎの身で、息子の柄をきちんと見てるのは、
育ってくる過程で、いろいろあったのかと察しがついた。
尋ねたら、子供の頃から両親の狭間に立って、歳以上の
苦労をしていた。
息子は、毎朝三時半に仕事で埼玉まで出かけているという。
二十代の頃、ちょっと脇に外れた暮らしをしていて、
元の連れ合いに心配をかけていた。
体のあちこちに癌が見つかったときに、必死の形相で、私に
なにかあったら、子供たちをお願いしますと訪ねて来た。
大丈夫だよ心配しなくても。
真面目に働いて、まわりのみんなにも慕われている。
父親よりも、よほどしっかりしているのだった。

慕われて愚息照れてる冬の夜。


  


艶やかな歌声を

2024年01月12日

 へこりと at 07:42  | Comments(0)

睦月 1

仕事の合間にパソコンを開いて、SNSを覗いている。
ユーチューブで玉置浩二やハラミちゃんを聴いたり、
この時期に好さげな衣類を探したり、写真を撮るのが
好きなので、贔屓にしている写真家のブログを読んだり
している。大門美奈さんという写真家が好きで、
以前このかたのブログを読んでいたら、ペンタックスから
発売された、モノクロ専用のカメラについて書いていた。
こちらの気持ちを惑わすような、まことに味のある文章で、
すでにカメラを5台持っているというのに、
ペンタックスのホームページを開いて、商品情報を
しげしげと眺めてしまった。おおいにそそられたものの、
値段がなかなかで、苦笑いを浮かべてあきらめたのだった。
長年地元の信濃毎日新聞を購読している。ところが
その新聞社もネット配信を始めていた。
毎朝、朝刊の一字一句をくまなく読むわけではないし、
もう購読しなくてもよいのではないかと思い始めていた。
じつは15年ほど前にも購読をやめようとしたことがある。
そのときは営業所の所長さんに、私の歩合が下がっちゃ
うんで、勘弁してくださいと泣きつかれて購読をつづけて
いた。
昨年の11月に購読の停止を申し出たところ、このたびは
すんなり了解されて、12月から朝刊の配達が止んだ。
それから二週間ほどした夕方、ノルディックウォーキング
を終えて自宅に戻ってきたら、近くでうろうろしていた
背広姿の白髪の男性に、
みやいりさんですか?私、信濃毎日新聞の者ですと、
声をかけられた。ここのところ、新聞の売り上げが
かなり落ちていまして。申しわけないのですが、
また来月から朝刊の購読をお願いできませんかと
頭を下げられたのだった。
この寒空の中、年配のかたにわざわざ訪ねてこられると、
なんとも断りづらいなあ。
結局、ふたたびの付き合いとなったのだった。
無用な義理は持たぬこととは思っていても、情に
ほだされてしまうのだった。
この正月、親しいかたから例年のように年賀状が届いた。
そのうちの一枚、女性の友だちのはがきに、
「花束を、ひとつ」EMI。音楽配信サイトで配信中!と
小さく添えられていた。もともと音楽に馴染みの有る
かただった。
へ~っ、えみさん、こんなことやってるんだあと驚いて、
パソコンを開いてダウンロードしてみたら、
爽やかな元気の出るメロディーと歌詞が好い。
早速、いつの間にこんな活躍を!素晴らしい!
ラインを送ったことだった。
毎朝聴いて、明るく一日を過ごしたい。

曲綴る声艶やかに六日かな。

https://www.youtube.com/watch?v=5JUIfXy2jxk