新しい蕎麦屋が。
葉月 7
休日になると、たいていどこぞの蕎麦屋で昼酒に
酔っ払っている。暮らしている善光寺門前界隈には
蕎麦屋が多い。観光シーズンになると、どこの店も
ひっきりなしにお客が絶えないのだった。
門前を離れた町なかにも、ぽつぽつ蕎麦屋が出来ている。
ひと様のブログやインスタグラムで取り上げられて
いるのを見ると、ちょっとそそられるものの、いつも
気の置けない、馴染みの店ばかりに行ってしまう。
自宅からほど近い桜枝町に、「たけのや」という呉服屋が
在る。
先日店の前を通ったら、なにやら雰囲気がちがう。
よくよく眺めたら、いつの間にか蕎麦屋に様変わりして
いたのだった。
中を覗いたら、呉服屋の面影がすっかりなくなって、
おしゃれな店になっている。
翌日の昼どき、早速足を運んでみた。「戸隠つきや」という
店で、店内は七人掛けのカウンターと、四人掛けのテーブルが
四つ。すでにワイシャツ姿の人たちが先客で蕎麦をすすっていた。
カウンターのすみに腰かけて、スタッフのお姉さんに品書きを
見せてもらうと、蕎麦の他に一品料理の品数が多い。アルコールは
ビールにサワーにハイボールに焼酎に日本酒と、これまた種類が
多い。
蕎麦屋というよりも、昼から飲める居酒屋のようだった。
お通しの葉わさびでビールを飲みながら、カウンター越しの
ご主人に話を伺えば、戸隠出身のオーナーが、二十年ほど前に
長野市に料理屋を開いた。その後、東京の西麻布に移転して、
このたびこうして地元に支店を出したことだった。
当初は人通りの多い、長野駅前に店を出す予定だった。
それが、不動産屋に善光寺門前のこの地を紹介してもらったら、
気に入って、開店したとのことだった。
料理は地元信州の食材を使い、日本酒も信州の銘柄を揃えて
いるという。ひたし豆と板わさをつまみに、長野市の川中島と
若緑を一杯ずつ頂いて、細打ちのもりで締めた。
スタッフのかたの感じも好く、酒も肴も蕎麦も旨い。
表通りから少し離れているけれど、じきに好い評判が立つと
察しがつく。桜枝町には食事処がないから、開店して間もないのに、
近所のかたがちょこちょこ来てくれるという。町内に集まり場所が
出来て、まことにめでたいことだった。
呉服屋が蕎麦屋に変わる真夏かな。
須坂の鰻屋で
葉月 6
善光寺門前に暮らしている。夏になって観光客がたくさん
来るようになり、ことにお盆休みの間は善光寺へ向かう
中央通りから、仲見世の参道までぎっしりと人で
埋め尽くされていた。このくそ暑い中、みんなよく来るなあと、
人混みを見ているだけで暑さが増して、うんざりとした。
お盆休みの中日、混み合っている自宅あたりを離れて、
となりの須坂市へ出かけた。缶チューハイを飲みながら長野電鉄の
鈍行で二十分。駅を出たら、相変わらずの人の少なさにほっとして
しまった。坂道を上がって久しぶりに、須坂クラシック美術館へ
足を向けた。季節に応じて、昔の着物の展示を開いているの
だった。美術館は、昔の大きな屋敷をそのまま使っていて、
佇まいに趣きがある。静かな屋敷の中にいると気持ちが落ちつく。
この日、浴衣を着て行ったら、受付のお姉さんが、着物を着ている
かたは拝観料が二割引ですとにっこり笑う。見送られて屋敷の中に
入っていくと、美術館の学芸員と思しきかたがたが、なにやら
打ち合わせをしていた。挨拶をして、広い屋敷の中に飾られた
夏着物の展示を眺めた。昼どきを見計らって美術館を出て、
鰻料理のた幸へむかう。ふだん食の細い生活をしていて、この夏も
トマトときゅうりと茄子ばかりで酒を酌んでいる。
たまには栄養を取らなければいけないのだった。
まずは店の近くの墨坂神社に立ち寄った。大きな神社で、
境内に入ると、感の鈍い我が身でも厳かな空気を感じる。
た幸に伺うのは今年の正月休み以来。
ご主人夫婦に迎えられカウンターに落ちつけば、冷たい
お茶が乾いた喉を潤してくれる。自家製の豆腐をつまみに
エビスを酌みながらご主人と向き合えば、この夏も
忙しいという。お盆休みの間は、持ち帰りのお客が
多かったといい、みなさんご先祖様を交えて、家族団欒で
過ごしているのだった。越後の〆張鶴の吟醸を酌みながら、
白焼きと蒲焼きを味わって、清楚な店内のひとときを
楽しんだのだった。
正月休みにお盆休み、自宅周辺が観光客でごった返すときは、
のんびりぶらぶら、また須坂に逃げて来ることにする。
人混みを避けて須坂や鰻食う。
高校の同級生と。
葉月 5
この夏、仕事が暇なときにパソコンを開いて、
甲子園の高校野球を観ていた。グラウンドを駆け巡る
選手はもちろんのこと、スタンドの仲間たちの応援する姿も
目を引かれ、観るたびに子供たちの健気さが伝わって来て、
胸が熱くなるのだった。子供たちのこういう姿を観ていると、
我が身の子供時代を思い出してしまうときがある。
高校を受験した当時、たまたま父が長野県の教育関係の
仕事をしていた。おかげで、合格発表の日を待たずに、
早々と合格したことがわかったのだった。
そして、受験の時の成績が上から十六番目だったという。
大勢の受験者の中の十六番目で、愚息の優秀ぶりに
喜んでいる父を見ながら、不安な気持ちで合格発表の日を
待っている同級生たちに、後ろめたい気持ちになったのを
覚えている。
そんな我が身も、学問に精を出していたのは中学生まで。
高校に入った途端、勉強への意欲がぱたりと途絶えた。
三年間、ずっと成績は低空飛行のままで、学年でも
下から数えた方が早い位置まで落ちていた。勉強も運動も
気力の続かない子供だった。
そんな柄のまま歳だけ重ねて、こんなジジイになって
しまった。
お盆休みの初日、高校の同級生たちとの宴があった。
何人かの同級生と、半年に一度くらいに宴を開いている。
このたびはそれに加えて、何十年ぶりに再会する同級生が
四人見えられたのだった。子供の頃の面影を残している
かたもいれば、はて?あなた様はだれだっけと風貌の
変わったかたもいる。それでも同級生というものは、
会えばすぐに打ち解ける。
順番にそれぞれの近況を聞いていくと、皆、きちんと
家庭を築いていた。子供を育て上げたかた、
まだ子供にお金がかかっているかた、大きな会社の役職に
ついたかたや、市政の重職を担ったかたに自ら会社を立ち
上げたかた、欲張らずに出世を望まないまま仕事をして
きたかた、それぞれの歳の重ねかたをしてきたのだった。
同級生は四十八人。
ずいぶんと会っていないかたたちばかりで、
どうしていることかと、順番に顔を思い出しては話題に
上がる。
次回の宴は正月に。消息のわかるかたには声をかけようと
相成った。
みんなと別れた帰路、宴の余韻を感じていたら、切なく温かく
鼻の奥がつんとした。
同級生、好いもんじゃないか。
あの頃は、まるで気がつかなかったけれど、好い仲間に
囲まれていたことだった。
夏の夜や友の余韻の家路かな。

この夏、仕事が暇なときにパソコンを開いて、
甲子園の高校野球を観ていた。グラウンドを駆け巡る
選手はもちろんのこと、スタンドの仲間たちの応援する姿も
目を引かれ、観るたびに子供たちの健気さが伝わって来て、
胸が熱くなるのだった。子供たちのこういう姿を観ていると、
我が身の子供時代を思い出してしまうときがある。
高校を受験した当時、たまたま父が長野県の教育関係の
仕事をしていた。おかげで、合格発表の日を待たずに、
早々と合格したことがわかったのだった。
そして、受験の時の成績が上から十六番目だったという。
大勢の受験者の中の十六番目で、愚息の優秀ぶりに
喜んでいる父を見ながら、不安な気持ちで合格発表の日を
待っている同級生たちに、後ろめたい気持ちになったのを
覚えている。
そんな我が身も、学問に精を出していたのは中学生まで。
高校に入った途端、勉強への意欲がぱたりと途絶えた。
三年間、ずっと成績は低空飛行のままで、学年でも
下から数えた方が早い位置まで落ちていた。勉強も運動も
気力の続かない子供だった。
そんな柄のまま歳だけ重ねて、こんなジジイになって
しまった。
お盆休みの初日、高校の同級生たちとの宴があった。
何人かの同級生と、半年に一度くらいに宴を開いている。
このたびはそれに加えて、何十年ぶりに再会する同級生が
四人見えられたのだった。子供の頃の面影を残している
かたもいれば、はて?あなた様はだれだっけと風貌の
変わったかたもいる。それでも同級生というものは、
会えばすぐに打ち解ける。
順番にそれぞれの近況を聞いていくと、皆、きちんと
家庭を築いていた。子供を育て上げたかた、
まだ子供にお金がかかっているかた、大きな会社の役職に
ついたかたや、市政の重職を担ったかたに自ら会社を立ち
上げたかた、欲張らずに出世を望まないまま仕事をして
きたかた、それぞれの歳の重ねかたをしてきたのだった。
同級生は四十八人。
ずいぶんと会っていないかたたちばかりで、
どうしていることかと、順番に顔を思い出しては話題に
上がる。
次回の宴は正月に。消息のわかるかたには声をかけようと
相成った。
みんなと別れた帰路、宴の余韻を感じていたら、切なく温かく
鼻の奥がつんとした。
同級生、好いもんじゃないか。
あの頃は、まるで気がつかなかったけれど、好い仲間に
囲まれていたことだった。
夏の夜や友の余韻の家路かな。

酷暑の日々に
葉月 4
夜半の雨が上がった早朝、久しぶりに
ノルディックウォーキングに出た。持病の腰痛と右足の
不具合で、しばらく休んでいたのだった。
日の出前から蒸し暑く、この夏の暑さはまことに
容赦がない。
体の調子も悪く、気持ちの有り様も良くなかった。
バイオリズムが悪いのかなあ。
心身ともにへこたれていたのだった。
善光寺の西にある湯福神社で,長野市の無事をお参りして、
箱清水を抜けて、上松の昌禅寺の前を通っていくと、
雨に濡れた木々の緑が艶やかに輝いている。
深々とした夏の緑を、もっと明るい気持ちで眺めたいもの
だった。
先日、飲み仲間のかたが二人、続けざまに頸椎の手術を
した。
二人とも、手の動きが重くなり手術を受けたと
いうのだった。二人とも専門のお医者のいる遠くの病院で、
手術をして入院していたという。久しぶりの宴の席で
お会いしたら、ひとりはまだ首にコルセットをして
いて、手の動きが鈍く箸を使えない。
酒の肴をフォークを使って食べていた。もう一人のかたも、
シャツの襟から覗く傷跡がなんとも痛々しかった。
九年前、右手が動かなくなったことがある。
ある朝起きたら、右手にまったく力が入らない。
ひと様の髪を切って生計を立てているから、
手が動かないと生きていけない。慌てて近所のお医者に
飛んで行ったら、うーん、どうしたんだろうねと困った
顔をする。整形外科に行くよう促され、お医者を出た
その足で、友だちの営む整骨院に駆け込んだ。
それから毎日、右手のツボに針を打って電気を流して
マッサージをしてもらった。
二か月間通い続けて動くようになったときは、心底安堵
した。両親や友だちにも随分心配をかけてしまい、
あの時は、ほんとに申し訳ないことだった。
手は動くようになったものの、以前に比べて握力が少し
落ちてしまった。仕事に差し支えるときがあり、
ときどき困るものの、動いてくれるだけマシと諦めている。
歳を重ねて、体のあちこちが若い時と変わっている。
実際、この夏の異常な暑さに、体がバテ気味になっている。
なんとかやり過ごしたいものだった。
落武者のようにへたれる酷暑かな。
上田の花火を
葉月 3
仕事を終えた夕方、上田へ出かけた。駅を出て
甲田理髪店へ向かって歩いていたら、突然の夕立ちに
見舞われた。駆け足で店に飛び込んで、旦那さんに
タオルを借りて濡れた頭と体を拭かせてもらった。
散髪をして店を出るときにはすっかり止んで、日差しまで
出ていた。まったくこの頃は、こんな急な天気の
変わり具合の日が多いことだった。
そのまま、馴染みの飲み屋のかぎやへ向かい、馬刺しを
つまみに二階堂のロックをちびちびとやったのだった。
翌朝、上田市立美術館で開かれている「特撮のDNA」展に
足を運んだ。今年は映画「ゴジラ」が公開されてから
七十年になるという。昨年の「ゴジラ-1,0」まで、
これまで公開されてきた「ゴジラ」の特撮に使われた
スーツやモデルの展示をしているのだった。
上田の町を舞台に怪獣と対決するゴジラの様子も
展示されていて、上田のシンボル、別所線の赤い橋梁や、
上田の町並みが細かく再現されていた。夏休みということも
あって、会場にはたくさんの親子連れの姿があった。
美術館を出て、洋菓子のエトワールで菓子を買って、蕎麦屋の
東都庵に行く。いつもお世話様です。若女将に菓子を渡して、
黒ラベルと板わさを注文したら、ご好意の焼売と野沢菜も
出していただいた。ひっきりなしにお客がやってくる中、
ビールを開けて、地酒の和田龍登水を二杯。ゆっくりさせて
いただいて、もりで締めた。昼寝をして目覚めた夕方、
近所のコンビニで缶酎ハイを四本仕入れて、千曲川の河川敷に
出向いた。本日は上田花火大会。大勢の人が堤防道路に集まって
いる。開始間際にぽつぽつ雨が当たってきたものの、幸い本降り
にならずに、薄暮の空にどーんと今年の花火が上がった。
浴衣姿の女の子たちに、シートを引いて、みんなで手料理を
食べながら見上げている家族連れに、中学生や高校生の若い
カップルに、大輪が開くたびに歓声をあげている。
夏の花火は上田ひとつで満足だなあ。
上田の夏が一区切り。花火が終わるとそんな気持ちになっている。
氷結を四本空けて花火果て。
上田わっしょいへ。
葉月 2
七月さいごの土曜日、新幹線に乗って上田へ出かけた。
夏祭りの上田わっしょいの日なのだった。薄暮どきの
駅を出ると、そろいの法被のかたたちが、ぞろぞろ通りを
上がっていく。同じ職場や地区のかたたちが集まって、市街地を
わっしょいわっしょいの音頭に合わせて踊り歩くのだった。
踊り手と見物客で、すでに通りはたくさんの人があふれている。
踊りを見物する前に、馴染みの寿司屋の萬寿に立ち寄ったら、
入り口に、本日は予約のお客様で満席ですと貼り紙があった。
祭りの夜はどこの飲み屋も混んでいる。
ほっ、あらかじめ予約をしておいて正解だったと暖簾をくぐった。
店内には先客がカウンターにおじさん二人と、後ろのテーブル席に
おじいさんが六人とおばあさんが二人。四人掛けのテーブルを
くっつけて盛り上がっている。旦那さんと若旦那さんが
せっせと寿司を握りながら、いつもの笑顔で迎えてくれた。
サッポロの黒ラベルで乾いた喉を潤せば、この日のお通しは、
とうもろこしのジュレで、さっぱりと冷たい甘みが美味しい。
ビールを飲み干して、日本酒はなにがあるかと冷蔵庫を覗いたら、
東飯田酒造の弦戯が有った。おっ、珍しい。
長野市内のお蔵さんで、若い兄妹が仕込む味わいは、ここ最近
評判が上がっているのだった。生牡蠣と鰹の炙りをつまみながら、
柔らかな旨味を味わった。杯をかさねながら、後ろの八人の会話を
耳にすれば、皆さんかつて学校の教師をしていたとわかる。
勤めていた学校の思い出話や、今の教育現場のこと、
今でも交流がある教え子の話など、賑やかに話されている。
見知らぬかたの和やかな話を聞きながら酌む酒も、また
好いものだった。
新子と小肌と鯵の握りで杯をかさね店を出れば、通りはまさに祭りの
真っ盛り。列を連ねる踊り手たちの熱気が伝わってくる。
ときどきおじゃましているフレンチのル・カドルのご夫婦が
店の駐車場で、アルコールとつまみを販売していた。
白ワインをもらおうと寄って行ったら、日頃世話になっている、
蕎麦屋の東都庵の若女将夫婦に遭遇した。
気配りの良い若女将にワインを奢ってもらい、恐縮しながら、
また伺いますと挨拶をして別れた。
ワインを飲みながら、楽しそうな踊りのかたがたを眺め、
駅へと戻ったのだった。
次週には、千曲川河川敷の花火大会がある。夏は上田詣でに
気もそぞろになっている。
夏祭り旬の新子を勧められ。
夏の養生で。
葉月 1
夏になると、お中元に日本酒を何本か頂く。
九州に暮らす知人から絵はがきが届いた。以前長野に
暮らしていたかたで、仕事の転勤で福岡へ移られたの
だった。
はがきには、このたび仕事を辞めて福岡を去ることに
なった。次の住処を探しながら九州の思い出作りを
している。その折りに、大好きな日本酒のお蔵さんを
訪ねたので、別便で送ると綴ってあった。
絵はがきの写真は熊本の大江教会で、長年の勤めを辞めて、
のびのび羽を伸ばしているとうかがえた。
日本酒に目のないかただから、福岡の旨い肴でさんざん旨い
酒を飲んだろうなと、ちょっとうらやましい。
後日四合瓶が二本届いた。熊本の花の香という銘柄で、
純米吟醸酒と、この時期の夏酒だった。
夜半からの土砂降りが止んだ午前、自宅の在る路地に
この夏初めて蝉の声が響いた。
夏の盛りを迎えて、おおいに楽しみたいのに、
七月になってから持病の坐骨神経痛の調子が
よろしくない。それに加えて、右足のふくらはぎを痛めた。
早朝、ノルディックウォーキングをしていたときに、
ぴきっと痛みが走ってずっと治らない。
おまけに両足の甲に擦り傷を作ってしまい、それも痛い。
夏になると外出の時に浴衣を着ていくことがある。
先日、浴衣に合わせようと新しい雪駄を買ったところ、
鼻緒がかたくてきつくて、我慢をして歩いていたら
鼻緒の当たっていた、甲の部分が擦りむけちゃったの
だった。
若い頃はちょっとした傷ならすぐに治ったのに、
歳を重ねると治りも遅い。風呂上がりに、毎日
オロナイン軟膏を塗ってバンドエイドを貼っている。
そんなわけで飲み屋詣での気分もそがれ、頂いた酒で
晩酌をする日が続いている。
馴染みの店のご主人がたには申し訳のないことだった。
夕方、名古屋場所を観ながらビールの栓を抜く。
最近はイキのいい若い力士も出てきて、迫力ある取り組みを
見せてくれる。そんな熱い場に、桟敷席の単衣や浴衣姿の
淑女のかたを見つけると、一風の涼を感じさせてくれ、
見惚れてしまうのだった。名古屋場所が終わったら、体の
不具合を気にせぬよう言い聞かせ、夏の酒を飲みに行きたい
ものだった。
藍浴衣土俵の前の淑女かな。