五島のトラさん
睦月 5
権堂の長野ロキシーで、「五島のトラさん」という映画を観た。
長崎県の五島列島でうどん作りをしている、
犬塚虎夫、通称トラさんと家族の様子を追った
ドキュメンタリーなのだった。
奥さんと、高校生の長男から
2歳の末っ子の男の子まで子供が7人。
早朝から家族みんなでうどんを作っている。
子供たちにしてみれば、
毎日の手伝いは眠くてつらいことだった。
仕事を手伝わせることで、人の気持ちを考えるということや、
お金を稼ぐ思いを教えたいという。
朝いっしょに働いて、夜はみんなで食卓を囲む。
子供たちの顔を愛でながら、焼酎に酔っぱらうのだった。
子供たちも成長するにつれ、それぞれの道を選び始める。
進学したのち、島に戻ってくる子もいれば、
別の地で働き始める子もいる。
家族がばらばらになるのはさみしいことだけれど、
子供たちには、
好きなことを自由にやってもらいたいというのだった。
うどん作りといっしょに海水からの塩作りも始めて、
跡を継いだ長男や、島に戻った長女や三女も
昔のように手伝う中、
トラさんは体調を崩しがちになり、60歳をすぎたころ、
みんなに看取られて旅立った。
遺骨は五島の海に散骨されて、
きれいな海から残った家族を見守っているのだった。
ちいさな地域で、いっしょに働いて支えあう。
家族が有るあたたかさが伝わってくる好い作品だった。
同級生の家族もみな、子供たちが成人した頃となっている。
合間合間、子育ての気苦労話を聞く機会もあったから、
子供を育てあげるということは、親の務めとはいえ、
ほんとにほんとに偉いことだなあと敬いたくなる。
毎朝仕事場の前を、
柳町中学校と長野西高校の子供たちが通っていく。
玄関先の掃除などをしているときに遭遇すると、
おはようございますと、挨拶をしてくれる子もいたりする。
おはよう、いってらっしゃいと返しながら、
この子はどんなお父さんやお母さんに
育ててもらっているのかなと、
温かい気持ちになって見送っているのだった。
https://www.youtube.com/watch?v=uD5eruB8KA0
権堂の長野ロキシーで、「五島のトラさん」という映画を観た。
長崎県の五島列島でうどん作りをしている、
犬塚虎夫、通称トラさんと家族の様子を追った
ドキュメンタリーなのだった。
奥さんと、高校生の長男から
2歳の末っ子の男の子まで子供が7人。
早朝から家族みんなでうどんを作っている。
子供たちにしてみれば、
毎日の手伝いは眠くてつらいことだった。
仕事を手伝わせることで、人の気持ちを考えるということや、
お金を稼ぐ思いを教えたいという。
朝いっしょに働いて、夜はみんなで食卓を囲む。
子供たちの顔を愛でながら、焼酎に酔っぱらうのだった。
子供たちも成長するにつれ、それぞれの道を選び始める。
進学したのち、島に戻ってくる子もいれば、
別の地で働き始める子もいる。
家族がばらばらになるのはさみしいことだけれど、
子供たちには、
好きなことを自由にやってもらいたいというのだった。
うどん作りといっしょに海水からの塩作りも始めて、
跡を継いだ長男や、島に戻った長女や三女も
昔のように手伝う中、
トラさんは体調を崩しがちになり、60歳をすぎたころ、
みんなに看取られて旅立った。
遺骨は五島の海に散骨されて、
きれいな海から残った家族を見守っているのだった。
ちいさな地域で、いっしょに働いて支えあう。
家族が有るあたたかさが伝わってくる好い作品だった。
同級生の家族もみな、子供たちが成人した頃となっている。
合間合間、子育ての気苦労話を聞く機会もあったから、
子供を育てあげるということは、親の務めとはいえ、
ほんとにほんとに偉いことだなあと敬いたくなる。
毎朝仕事場の前を、
柳町中学校と長野西高校の子供たちが通っていく。
玄関先の掃除などをしているときに遭遇すると、
おはようございますと、挨拶をしてくれる子もいたりする。
おはよう、いってらっしゃいと返しながら、
この子はどんなお父さんやお母さんに
育ててもらっているのかなと、
温かい気持ちになって見送っているのだった。
https://www.youtube.com/watch?v=uD5eruB8KA0
雪がつづいて
睦月 4
年明け、穏やかな陽気で好いですなあとぬかしていたら、
ここへきて、連日連夜の雪降りとなった。
昼夜、切れ目なくこまかい雪が降りつづき、
屋根や道路や駐車場に厚く積もる。
そんな中、わざわざ訪ねてくる人もなく、
商売が上がったりですわ。
うらめしい気分で、雪かきに追われていたのだった。
雪が降ると、向かいの家の奥さんと、
隣の家の奥さんのうごきが早い。
夜も明けきらぬうちから、雪かきの音が路地にひびき、
のこのこと、申し訳なく起きだすこととなる。
路地の両側に雪をよけて、通路をつくる。
それが済んだら、善光寺の裏手にある実家へ向かう。
善光寺の境内では、
警備員のおじさんたちが通路の雪をどかしていた。
薄く氷の張ったつばめ池を過ぎていくと、
善光寺保育園の先生たちが、総出で歩道の雪をかいていた。
道々、雪かきをしているおじいさんたちがいて、
ご苦労様ですとあいさつをする。
まだ寝ている両親に代わって、玄関先の雪を片づける。
ふたたび善光寺の境内を抜けていくと
御朝事を待つ観光客が、寒そうに参道に並んでいた。
参拝と天気の巡りあわせがわるかったのは、
気の毒なことだった。
片づけても、次の朝には片付けた分だけ積もっている。
繰り返しの雪かきに、腰も背中も痛くなり、
運動不足解消には、充分すぎるほどのこの頃だった。
しばらくは、風呂上がりのバンテリンが欠かせないのだった。
休日の朝、実家の雪かきを済ませてから、
ひとまわり散歩をした。
長野高校の五差路を上がり、古刹の昌禅寺へ行けば、
昨年の秋、見事な紅葉を楽しませてくれた境内も、
厚く白く覆われている。
ご住職はものぐさなのか、雪の風情をこわしたくないのか、
境内は足跡ひとつなく、降るにまかせたままに積もっていた。
歩くのが申しわけないと思いつつ、
深い雪に足を突っ込みながら、しんとした境内を眺めた。
寒いときには寒い景色を。そんな気分になるのだった。

年明け、穏やかな陽気で好いですなあとぬかしていたら、
ここへきて、連日連夜の雪降りとなった。
昼夜、切れ目なくこまかい雪が降りつづき、
屋根や道路や駐車場に厚く積もる。
そんな中、わざわざ訪ねてくる人もなく、
商売が上がったりですわ。
うらめしい気分で、雪かきに追われていたのだった。
雪が降ると、向かいの家の奥さんと、
隣の家の奥さんのうごきが早い。
夜も明けきらぬうちから、雪かきの音が路地にひびき、
のこのこと、申し訳なく起きだすこととなる。
路地の両側に雪をよけて、通路をつくる。
それが済んだら、善光寺の裏手にある実家へ向かう。
善光寺の境内では、
警備員のおじさんたちが通路の雪をどかしていた。
薄く氷の張ったつばめ池を過ぎていくと、
善光寺保育園の先生たちが、総出で歩道の雪をかいていた。
道々、雪かきをしているおじいさんたちがいて、
ご苦労様ですとあいさつをする。
まだ寝ている両親に代わって、玄関先の雪を片づける。
ふたたび善光寺の境内を抜けていくと
御朝事を待つ観光客が、寒そうに参道に並んでいた。
参拝と天気の巡りあわせがわるかったのは、
気の毒なことだった。
片づけても、次の朝には片付けた分だけ積もっている。
繰り返しの雪かきに、腰も背中も痛くなり、
運動不足解消には、充分すぎるほどのこの頃だった。
しばらくは、風呂上がりのバンテリンが欠かせないのだった。
休日の朝、実家の雪かきを済ませてから、
ひとまわり散歩をした。
長野高校の五差路を上がり、古刹の昌禅寺へ行けば、
昨年の秋、見事な紅葉を楽しませてくれた境内も、
厚く白く覆われている。
ご住職はものぐさなのか、雪の風情をこわしたくないのか、
境内は足跡ひとつなく、降るにまかせたままに積もっていた。
歩くのが申しわけないと思いつつ、
深い雪に足を突っ込みながら、しんとした境内を眺めた。
寒いときには寒い景色を。そんな気分になるのだった。
藤沢周平を読む
睦月 3
ひまなときは読書をしている。
というか、忙しいときがないから、
日がな一日頁をめくっているときもある。
仕事場の前を毎日行き来している人たちは、
このおっさん、ぜんぜん仕事をしてないなあと、
いつも窓越しに眺めているかもしれない。
時代小説が好きで、愛読しているかたに藤沢周平さんがいる。
まだ未読の作品もあるので、
今年は、図書館で借りて読んでいこうと決めたのだった。
いくつか映画化された作品もあって、
原作と思い比べながら観るのも楽しいことだった。
たそがれ清兵衛、隠し剣鬼の爪、蝉しぐれ、武士の一分、
山桜、必死剣鳥刺し、花のあと、小川の辺、
内容も俳優さんも良かったけれど、
豊川悦司主演の必死剣鳥刺しだけは、
結末が悲しすぎるから観なかった。
大病をしたり、奥さんを早くに亡くされたり、
藤沢さんの初期の作品には、自身の経験からくる、
暗さが有るという。
今年はリリーフランキー主演で、
長野ゆかりの一茶が映画化されるといい、
楽しみにしているのだった。
作品に出てくるのは、市井の貧しい人たちや、
お侍でも、禄のすくない下級の人たちが多い。
思うにまかせぬ暮らしぶりの中で、
それでもきちんとした心持ちで生きていこうとする姿が、
描かれている。
欲張らず、威張らず、不平を言わず、
静かに謙虚に今在ることを良しとして。
藤沢さんの作品を読み終えるたびに、胸にのこる。
日々を丁寧に。
便利すぎて、気持ちが散漫になりがちなこの頃に、
留めておきたいことだった。
折しも、雑誌サライの今月の特集は、
藤沢周平さんだった。少年時代からの生い立ちや、
作品に出てくる舞台や郷土食が紹介されていた。
藤沢周平記念館の在る鶴岡公園は、
県内でいちばん早く桜の咲く名所という。
いつか足を運んでみたいと思う。

ひまなときは読書をしている。
というか、忙しいときがないから、
日がな一日頁をめくっているときもある。
仕事場の前を毎日行き来している人たちは、
このおっさん、ぜんぜん仕事をしてないなあと、
いつも窓越しに眺めているかもしれない。
時代小説が好きで、愛読しているかたに藤沢周平さんがいる。
まだ未読の作品もあるので、
今年は、図書館で借りて読んでいこうと決めたのだった。
いくつか映画化された作品もあって、
原作と思い比べながら観るのも楽しいことだった。
たそがれ清兵衛、隠し剣鬼の爪、蝉しぐれ、武士の一分、
山桜、必死剣鳥刺し、花のあと、小川の辺、
内容も俳優さんも良かったけれど、
豊川悦司主演の必死剣鳥刺しだけは、
結末が悲しすぎるから観なかった。
大病をしたり、奥さんを早くに亡くされたり、
藤沢さんの初期の作品には、自身の経験からくる、
暗さが有るという。
今年はリリーフランキー主演で、
長野ゆかりの一茶が映画化されるといい、
楽しみにしているのだった。
作品に出てくるのは、市井の貧しい人たちや、
お侍でも、禄のすくない下級の人たちが多い。
思うにまかせぬ暮らしぶりの中で、
それでもきちんとした心持ちで生きていこうとする姿が、
描かれている。
欲張らず、威張らず、不平を言わず、
静かに謙虚に今在ることを良しとして。
藤沢さんの作品を読み終えるたびに、胸にのこる。
日々を丁寧に。
便利すぎて、気持ちが散漫になりがちなこの頃に、
留めておきたいことだった。
折しも、雑誌サライの今月の特集は、
藤沢周平さんだった。少年時代からの生い立ちや、
作品に出てくる舞台や郷土食が紹介されていた。
藤沢周平記念館の在る鶴岡公園は、
県内でいちばん早く桜の咲く名所という。
いつか足を運んでみたいと思う。
土鍋毎日
睦月 2
寒くなって、毎晩土鍋の世話になっている。
野菜や肉を刻んでは煮て、せっせと酒のつまみにしている。
味噌や醤油や出汁だけの汁で鍋いっぱいに煮て、
3日ほどで空にする。
繰り返していれば、
野菜も、しなびることなく片付くのも好いことだった。
杯をかさねたら、
汁椀に、ごはんか冷凍のうどんを入れて、温めてひとくち。
食べておくと、
次の日の腹の調子が良いのが不思議なことだった。
この頃は、お餅をたくさんいただいたから、
連夜の雑煮となっている。
休日の朝、起きたら瞼が熱くて寒気がしてだるい。
どうやら、ひさしぶりに風邪をひいたらしい。
あいにく親に頼まれごとをされて、一日うごきまわることとなる。
夕方戻ってきたときには、速やかに熱も上がり、
ますます調子がわるくなっていた。
この冬、思い出したように雪が降るものの、
穏やかな冬枯れの陽気がつづいていた。
そんなさなか風邪をひいたのは、
年末年始の不摂生な宴つづきで、
体力を使いすぎたせいとわかる。
野菜を土鍋で熱々に煮てひと椀、
熱燗といっしょにたいらげたら、
解熱剤を飲んで早々に布団にもぐりこんだ。
翌朝、熱も下がって体も軽く、大事にならずにほっとする。
簡単なものでも、毎日作って食べてしずかな酒のひとときを。
土鍋つづきの日を過ごしていると、
神妙にそんな気分になるのだった。
頻繁にやるのは、大根と油揚げだけを出汁で煮るやつで、
江戸の仕掛人、藤枝梅安さんに教わった。
あっさりとした味を、辛口の本醸造の熱燗なんぞで流していると、
これで充分と、しあわせな気分になってくる。
酒屋の峯村くんから、上等の酒粕をいただいた。
訪ねて来た友だちから、エビスを6本いただいた。
今夜は粕汁で一献楽しめる。
身の丈に合った今日に乾杯する。

寒くなって、毎晩土鍋の世話になっている。
野菜や肉を刻んでは煮て、せっせと酒のつまみにしている。
味噌や醤油や出汁だけの汁で鍋いっぱいに煮て、
3日ほどで空にする。
繰り返していれば、
野菜も、しなびることなく片付くのも好いことだった。
杯をかさねたら、
汁椀に、ごはんか冷凍のうどんを入れて、温めてひとくち。
食べておくと、
次の日の腹の調子が良いのが不思議なことだった。
この頃は、お餅をたくさんいただいたから、
連夜の雑煮となっている。
休日の朝、起きたら瞼が熱くて寒気がしてだるい。
どうやら、ひさしぶりに風邪をひいたらしい。
あいにく親に頼まれごとをされて、一日うごきまわることとなる。
夕方戻ってきたときには、速やかに熱も上がり、
ますます調子がわるくなっていた。
この冬、思い出したように雪が降るものの、
穏やかな冬枯れの陽気がつづいていた。
そんなさなか風邪をひいたのは、
年末年始の不摂生な宴つづきで、
体力を使いすぎたせいとわかる。
野菜を土鍋で熱々に煮てひと椀、
熱燗といっしょにたいらげたら、
解熱剤を飲んで早々に布団にもぐりこんだ。
翌朝、熱も下がって体も軽く、大事にならずにほっとする。
簡単なものでも、毎日作って食べてしずかな酒のひとときを。
土鍋つづきの日を過ごしていると、
神妙にそんな気分になるのだった。
頻繁にやるのは、大根と油揚げだけを出汁で煮るやつで、
江戸の仕掛人、藤枝梅安さんに教わった。
あっさりとした味を、辛口の本醸造の熱燗なんぞで流していると、
これで充分と、しあわせな気分になってくる。
酒屋の峯村くんから、上等の酒粕をいただいた。
訪ねて来た友だちから、エビスを6本いただいた。
今夜は粕汁で一献楽しめる。
身の丈に合った今日に乾杯する。
酉の年を迎えて
睦月 1
雪のない、清々とした年明けだった。
元日の早朝、善光寺へ出かけたら、
すでにたくさんの参拝客が参道を行き来している。
にぎわう本堂で初詣でを済ませた。
初日の出を拝もうと、その足で町を見下ろす高台へ行ったら、
お兄さんおじさんおばさんたちが、東の空を眺めて待っていた。
ところが、晴れているのに菅平の山にだけ厚い雲がかかり、
なかなか陽が顔を出さない。
ふられてしまいましたなあとあきらめて、
とぼとぼと帰ったのだった。
着物に着替えて実家へ出向き、両親と新年のあいさつを交わす。
高齢で、そろって体調のわるい身だから、
一年無事に過ごせますよう、乾杯をした。
次の朝、サッポロ黒ラベルを飲みながら箱根駅伝を見た。
毎年見ているのに、若い人がタスキをつなぐ必死の姿に、
なんども目頭が熱くなる。
年をかさねて、涙もろさも増しているのだった。
夕方には馴染みの飲み屋の御主人と、
その常連さんがたが訪ねてきて、
新年最初の宴と成った。
持参してきてくれたご馳走をほおばりながら、
手取川と出羽桜と勝山と笑四季と雪の茅舎の杯をかさねた。
3日は、箱根駅伝の、青山学院の総合優勝を見届けてから、
蕎麦屋のかんだたさんで、
数の子と黒豆と田作りのおせち三点盛りをつまみに、
蕎麦屋酒をたしなんだ。
ゆるゆると正月三が日を過ごしたのだった。
年賀状の友だち家族の写真を見れば、
久しく会っていない子供たちが、
こんなにでかくなったのかと成長していておどろく。
無事に健やかに、そんな世の中に。
素直に願ってしまう。
今年は、身ぶり気ぶりを簡素にしたい。
いらぬ思いを巡らしては、悔やみごとをすることがあったから、
静かに淡々と過ごしたい。
あとは飲みすぎないことだなあ。
はなはだ心もとないが、よくよく言い聞かせたい。
酉の年。今年もよろしくお願いします。

雪のない、清々とした年明けだった。
元日の早朝、善光寺へ出かけたら、
すでにたくさんの参拝客が参道を行き来している。
にぎわう本堂で初詣でを済ませた。
初日の出を拝もうと、その足で町を見下ろす高台へ行ったら、
お兄さんおじさんおばさんたちが、東の空を眺めて待っていた。
ところが、晴れているのに菅平の山にだけ厚い雲がかかり、
なかなか陽が顔を出さない。
ふられてしまいましたなあとあきらめて、
とぼとぼと帰ったのだった。
着物に着替えて実家へ出向き、両親と新年のあいさつを交わす。
高齢で、そろって体調のわるい身だから、
一年無事に過ごせますよう、乾杯をした。
次の朝、サッポロ黒ラベルを飲みながら箱根駅伝を見た。
毎年見ているのに、若い人がタスキをつなぐ必死の姿に、
なんども目頭が熱くなる。
年をかさねて、涙もろさも増しているのだった。
夕方には馴染みの飲み屋の御主人と、
その常連さんがたが訪ねてきて、
新年最初の宴と成った。
持参してきてくれたご馳走をほおばりながら、
手取川と出羽桜と勝山と笑四季と雪の茅舎の杯をかさねた。
3日は、箱根駅伝の、青山学院の総合優勝を見届けてから、
蕎麦屋のかんだたさんで、
数の子と黒豆と田作りのおせち三点盛りをつまみに、
蕎麦屋酒をたしなんだ。
ゆるゆると正月三が日を過ごしたのだった。
年賀状の友だち家族の写真を見れば、
久しく会っていない子供たちが、
こんなにでかくなったのかと成長していておどろく。
無事に健やかに、そんな世の中に。
素直に願ってしまう。
今年は、身ぶり気ぶりを簡素にしたい。
いらぬ思いを巡らしては、悔やみごとをすることがあったから、
静かに淡々と過ごしたい。
あとは飲みすぎないことだなあ。
はなはだ心もとないが、よくよく言い聞かせたい。
酉の年。今年もよろしくお願いします。