あたらしい年度に
2014年04月01日
へこりと at 13:44 | Comments(0)
卯月 一
春になり、勤めを辞める人に始める人、
腕を見込まれて、むずかしい仕事を頼まれる人、
今年もまわりで、あらたな一歩のかたがいる。
ひさしく会っていない知り合いが、このごろ会社をやめた。
勤めていたのは、
市内でも老舗で安定した会社だったから、
人づてに聞いて、おどろいて電話をかけた。
ところが、言葉じりがはっきりせず、
関わってもらいたくない気配が見える。
感情の浮き沈みがはげしいかたで、
沈んでいるときに、負のいきおいに乗ってしまったか。
気になるものの、おせっかいな気遣いは、
無用なことと言い聞かせた。
先方の暮らしが変わったことで、縁の切れることがある。
その一方で、変わらずつづく縁もあれば、
切れていたのに再びの縁もある。
息子と娘に訪ねてきてもらった。
パソコンを買い替えたのだった。
機械に疎い身は、
動かすようになるまで、あれこれ迷うことが間違いない。
そんな父とうらはらに、
息子はおどろくほど詳しいのだった。
機種の選定から設定まで、丸投げでおねがいをした。
二十五歳で結婚して、一男一女の親になった。
離婚をしてからずっと会うこともなかったのに、
十六年がすぎたとき、ひょいと会いに来た。
それから連絡をくれるようになり、
ときどき酌み交わしている。
折々、途切れていた間の話を聞けば、
素行不良の父に似て、しくじり交えた育ちぶりと分かる。
それでも、
育児放棄の中途半端な身に会ってくれるのは、
ありがたくて後ろめたくて申しわけがない。
キーボードを見ずに、かちゃかちゃいじる器用さに、
血をひいているとは思えないと感心した。
あっという間に立ち上げてくれたお礼は、
焼き鳥屋の一杯でごまかした。
娘はこのたび、お腹に子供ができたという。
娘にとっても、二十三歳でおかあさんになる、
あらたな春からの一歩なのだった。
我が子が母親になると思ったら、
ちょいと鼻の奥がつんとする。

春になり、勤めを辞める人に始める人、
腕を見込まれて、むずかしい仕事を頼まれる人、
今年もまわりで、あらたな一歩のかたがいる。
ひさしく会っていない知り合いが、このごろ会社をやめた。
勤めていたのは、
市内でも老舗で安定した会社だったから、
人づてに聞いて、おどろいて電話をかけた。
ところが、言葉じりがはっきりせず、
関わってもらいたくない気配が見える。
感情の浮き沈みがはげしいかたで、
沈んでいるときに、負のいきおいに乗ってしまったか。
気になるものの、おせっかいな気遣いは、
無用なことと言い聞かせた。
先方の暮らしが変わったことで、縁の切れることがある。
その一方で、変わらずつづく縁もあれば、
切れていたのに再びの縁もある。
息子と娘に訪ねてきてもらった。
パソコンを買い替えたのだった。
機械に疎い身は、
動かすようになるまで、あれこれ迷うことが間違いない。
そんな父とうらはらに、
息子はおどろくほど詳しいのだった。
機種の選定から設定まで、丸投げでおねがいをした。
二十五歳で結婚して、一男一女の親になった。
離婚をしてからずっと会うこともなかったのに、
十六年がすぎたとき、ひょいと会いに来た。
それから連絡をくれるようになり、
ときどき酌み交わしている。
折々、途切れていた間の話を聞けば、
素行不良の父に似て、しくじり交えた育ちぶりと分かる。
それでも、
育児放棄の中途半端な身に会ってくれるのは、
ありがたくて後ろめたくて申しわけがない。
キーボードを見ずに、かちゃかちゃいじる器用さに、
血をひいているとは思えないと感心した。
あっという間に立ち上げてくれたお礼は、
焼き鳥屋の一杯でごまかした。
娘はこのたび、お腹に子供ができたという。
娘にとっても、二十三歳でおかあさんになる、
あらたな春からの一歩なのだった。
我が子が母親になると思ったら、
ちょいと鼻の奥がつんとする。