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体がたがた。

2025年05月09日

 へこりと at 08:49  | Comments(0)

皐月 3

春になると花粉症に悩まされている。
今年も年明けから症状が出て、目のかゆみと
鼻水の毎日を過ごしていた。三月の後半あたりから
症状が治まって、やれやれと思っていたら、
この頃になって再び、目と鼻に違和感を覚えるように
なった。このところ風の強い日が続き、朝、玄関先を
掃除していると、窓枠にうっすらと黄色いほこりが
ついている。
黄砂なのか他の異物なのか、花粉だけでなく、
いろいろなものが舞って、顔や体に張り付いてくるの
だった。
持病の腰痛が相変わらずよろしくない。おまけに
腱鞘炎の左手も以前より症状が悪くなっている気が
する。整骨院へ通っていて、ひととき調子が
良くなるものの、なかなか痛みが治まらない。
そこで思いだしたかたがいる。
以前、馴染みの飲み屋で知り合った、鍼灸師をして
いる女性がいる。腰痛と肩こりがひどかったときに、
ときどき世話になっていたのだった。
子供の頃から猫背で、それも肩こりと腰痛の原因です。
ノルディックウォーキングをすると治りますと教わって、
五年前からやりだしたら、確かに以前よりも肩こりが
楽になって、仕事のときの姿勢も明らかに良くなった。
好いかたと知り合えたと感謝をしていたら、それから
しばらくしてご結婚をされて子供を産んだ。
子育てに忙しくなると察して、足が遠のいていたのだった。
ずいぶん前のことだったから、仕事を再開してるかもと
連絡をしたら、以前より時間帯を短くしてやって
いるという。
早速診てもらったら、腰痛の原因は、背中の張りから来て
いるという。信じられないほど背中が硬いですと言われて、
背中から足、腱鞘炎の左手に鍼を打ってもらった。
一週間に一回、三回集中して治療をして、体の硬さを取り
ましょう。その後は、いつもの整骨院で治療をして
もらってかまいませんと言われ、いささか安心をした
次第だった。
それにしても、自身のブログを読み返していると、
腰痛ネタと酔っ払っているネタばかり綴っている。
暮らしぶりの奥行きのなさに呆れてしまったことだった。

腰背中鍼とんとんと五月来る。




  


実家を処分して。

2025年05月06日

 へこりと at 08:16  | Comments(2)

皐月 2

先日、空き家になっていた実家の売買契約を不動産屋と
交わした。
幼い頃、もともと今の自宅が在る場所で父母と祖母と
暮らしていた。母は美容院も営んでいて、お弟子さんが
ふたり住み込みでいたから手狭な住まいだった。
こちらが五歳のときに、善光寺の裏手の造成地を買って
家を建てたのだった。
玄関を入ってすぐ右手に兄と共有の三畳の勉強部屋があった。
そこに机二つと兄のピアノがあったから、ずいぶん狭かった
のに、子供の頃はぜんぜん感じなかった。
その隣に台所と風呂場があって、狭い廊下を挟んだ向かいに、
六畳間が二つ。玄関わきの急な階段を上った二階に六畳間が
一つ。小さな芝生の庭があり、玄関先にはぶどう棚が、
裏口のわきに桃の木があって、父が手入れをしていた。
そんな小さな家で、小学校一年生のときに祖母を看取り、
毎晩酔っ払って帰宅する父と、安月給のくせに酒ばかり
飲んでと怒っていた母をいつも見ていた。
父の浮気がばれて、離婚の危機の大騒動もあったなあ。
当時近所に、地元のデパートの社長の大きな屋敷があって、
いつも運転手が黒いベンツをぴかぴかに磨いていた。
大きな建築会社の重役やテレビ局の重役の立派な屋敷も
在って、我が家の佇まいは、まことにささやかなものだった。
小さくても不便を感じなかったのに、こちらが高校二年生の
ときに、両親が新しく建て替えた。ずいぶん立派な住まいに
なって、一階が車庫と物置きで、階段を上がった中二階に
台所兼食堂、階段をちょいと降りた先に、十二畳の洋間と
八畳の仏間と六畳の父の書斎と四畳半の両親の寝室が
あり、廊下の先に風呂場と洗面所とトイレがあった。
二階に上がると、三畳の納戸と六畳間が二つに四畳半の
勉強部屋があった。兄はすでに家を離れていたから、
親子三人で住むには広すぎる。
後年、なんでこんなにでかい家にしたの?と母に尋ねたら、
お前が結婚したら、嫁や孫と同居するためだったと言われた。
家を建て替えたのは、母が四十七歳のときだから、ずいぶん
気の早い目論見だった。
すみません、結婚二度もしくじって。あらためて謝りたく
なった。
不動産屋によると、家屋はつぶして更地にして売りに出すと
いう。思い出の詰まった家屋に、お世話になりましたと
頭を下げたのだった。

処分事少し寂しや夏に入る。





  


かっこいい爺に。

2025年05月02日

 へこりと at 08:00  | Comments(2)

皐月 1

権堂アーケードの松竹相生座へ、
「アンジーのバーで会いましょう」を観に行った。
ある町に、アンジーという名の老婆がやってくる。
朽ち果てたぼろ家を借りて、リフォームしてバーを開くの
だった。素性のわからぬアンジーと接するうちに、
町のかたがたも明るい刺激を受けていく物語だった。
アンジーを演じたのは草笛光子さん。御年九十一歳に
なられる。
赤いドレスに赤い帽子。銀髪をなびかせた颯爽とした姿は、
歳を感じさせずなんともかっこいい。
観終えて元気をもらったことだった。
先だって実家で、亡くなった母の遺品を片付けて
いたら、仏壇の引き出しから古びた封書が出てきた。
覗いてみたら、母方の祖父母と叔父の戒名と亡くなった
日付が書いてあった。信心深い母だったから、
それぞれの命日にお経を唱えていたのかもしれない。
祖父は宮大工をしていて、羽振りが良かったという。
恰幅が良くて、上等の着物や洋服を着こなして女性に
モテていた。
酒が一滴も飲めぬのに、なにしろ女好きだった。
湯田中や戸倉上山田の温泉街に繰り出しては芸者遊びに
精を出していた。祖父に惚れた芸者さんもいて、
若い頃はお妾さんを三人囲っていた。
晩年は、そのうちの一人と善光寺の裏手に居を構え、
亡くなるまで暮らしていた。そんな祖父に対して、祖母は
文句の一つも言わなかったというから、今の時代なら
考えられないことだった。
祖父は七十四歳のときに胃がんで亡くなった。
今ほど医療が進んでいなかったから、苦しんで苦しんで
逝ったという。
祖母をさんざん悲しませたから罰が当たったんだと、母が
言っていたのを覚えている。
祖父が逝った後、一緒に暮らしていたお妾さんは、祖父の
有り金掻っさらって行方をくらましてしまった。
母がずいぶん憤慨していたっけ。
おしゃれだった祖父の娘らしく、母も若いときから衣服や
着物や宝石に金をかけていた。母が亡くなった後、
たくさんの衣類を身内や知人に差し上げたものの、
高級だけどあまりに柄が派手すぎて、誰も着こなせない
服もあり、いまだ自宅に残してある。祖父と母を見習って
かっこいいじじいになりたいものだった。

祖父ほどの甲斐性もなく夏衣。