太田南海展へ
2018年10月11日
へこりと at 15:17 | Comments(0)
神無月 3
朝刊をめくっていたら、木彫りの、
3人の女性の写真が目に留まる。
松本市美術館の広告で、
太田南海展をやっているのだった。
ちょいと魅かれて、電車に乗って出かけてみた。
太田南海は明治21年、松本市の中町に生まれ、
16歳のときに、木彫り家の米原雲海のもとに弟子入りをした。
大正7年の、長野市・善光寺の仁王門建立の際には、
師の雲海と共に、仁王像の制作にあたったというから、
ここ門前町にも縁があるのだった。
3人の女性の作品は、「宿命」という。
それぞれ過去と現在と未来を表しているといい、
品の有る、静かなたたずまいが印象的だった。
愛嬌のある表情の、竹取翁や花坂翁や寒山拾得に、
良寛さんの穏やかな雰囲気。
「雪ぞら」という作品は、背を丸めて雪の中を進む
三人の像で、吹きすさぶ雪景色が目に見えるようだった。
「征く春」は、盲目の童子が、鳥のさえずりや花の香りに,
春の気配を楽しんでいる。
和やかな微笑みの姿かたちに、
こちらも、春が待ち遠しい気持ちに成ったのだった。
美術館を出て、女鳥羽川付近へ行くと、
祝日の松本は、観光客でにぎわっている。
四柱神社には、七五三の家族連れの姿が有って、
拝殿の中では、宮司さんが参拝客に、
神妙に祝詞をあげている。
昼どきを過ぎて、飲食店も混んでいて、
有名な蕎麦屋の前には、長い列が出来ていた。
さて、どうしたものかと徘徊していたら、
昼間から開いている焼き鳥屋を見つけた。
のどの渇き具合もちょうどよろしい。
生ビールとレモンサワーで、
焼き鳥と枝豆のランチにしたのだった。

朝刊をめくっていたら、木彫りの、
3人の女性の写真が目に留まる。
松本市美術館の広告で、
太田南海展をやっているのだった。
ちょいと魅かれて、電車に乗って出かけてみた。
太田南海は明治21年、松本市の中町に生まれ、
16歳のときに、木彫り家の米原雲海のもとに弟子入りをした。
大正7年の、長野市・善光寺の仁王門建立の際には、
師の雲海と共に、仁王像の制作にあたったというから、
ここ門前町にも縁があるのだった。
3人の女性の作品は、「宿命」という。
それぞれ過去と現在と未来を表しているといい、
品の有る、静かなたたずまいが印象的だった。
愛嬌のある表情の、竹取翁や花坂翁や寒山拾得に、
良寛さんの穏やかな雰囲気。
「雪ぞら」という作品は、背を丸めて雪の中を進む
三人の像で、吹きすさぶ雪景色が目に見えるようだった。
「征く春」は、盲目の童子が、鳥のさえずりや花の香りに,
春の気配を楽しんでいる。
和やかな微笑みの姿かたちに、
こちらも、春が待ち遠しい気持ちに成ったのだった。
美術館を出て、女鳥羽川付近へ行くと、
祝日の松本は、観光客でにぎわっている。
四柱神社には、七五三の家族連れの姿が有って、
拝殿の中では、宮司さんが参拝客に、
神妙に祝詞をあげている。
昼どきを過ぎて、飲食店も混んでいて、
有名な蕎麦屋の前には、長い列が出来ていた。
さて、どうしたものかと徘徊していたら、
昼間から開いている焼き鳥屋を見つけた。
のどの渇き具合もちょうどよろしい。
生ビールとレモンサワーで、
焼き鳥と枝豆のランチにしたのだった。
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