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四十九日の法要を。

2025年02月18日

 へこりと at 13:24 | Comments(2)

如月 4

二月になって寒さ厳しい日が続いている。
持病の腰痛も相まって、外出する気にもならず、
いつものように、仕事を終えた夕方にふらふら
飲み屋に行く気も起きないのだった。
この冬は雪の降る日が少なくて、ありがたいと
思っていたら、二月最初の週末に強い寒波がやってきて、
長野市街地もこの冬一番の雪降りとなった。
そのさなか、年末に亡くなった母の四十九日の法要を
行ったのだった。函館に暮らす兄夫婦と、札幌に暮らす
姪っ子と、東京に暮らす甥っ子夫婦、ひっそりと
身内だけで集まって執り行った。大雪のおかげで
新幹線のダイヤが乱れ、みんなやっとの思いで長野に
たどり着いた。
姪っ子に会うのは、成人式を迎えるとき以来だったから、
九年ぶりのことだった。その間に結婚をして、子供を三人
産んで、お母さんになった。このたびは小学校一年生の
長男も連れてきた。
守る身を授かったその顔つきには、母親の強さが垣間見られる
ようになり、たくましくなったのおと感心した。
翌日、位牌と遺影とお骨を持って、菩提寺の寛慶寺の門をくぐった。
本堂で御住職にお経をあげてもらい、お墓に行って、納骨をした。
母がいなくなれば、空き家になっている実家もいずれ
処分をすることになる。実家に行ってみんなで記念撮影をした。
夕方、法要の締めのお斎に「割烹 きたざわ」へうかがった。
この店の御主人は、以前小布施町に在る料理屋、「鈴花」の
板長をしていた。生前、母がこのかたの料理が好きで、よく
「鈴花」へ足を運んでいたのだった。御主人が独立して
長野市街地にご自身の店を出してから、二度ほど母を連れてきた
ことがある。こんな近くに来てくれて嬉しいと喜んでいたのに、
ほどなくコロナ禍になってしまった。入居していた施設が
外出禁止になってしまい、以来、母を連れてこれなかったのが、
悔やまれることだった。
翌日、帰るみんなを駅で見送って、夕方ひと風呂浴びてから、
兄の土産の、北海道の地酒の国稀で晩酌をした。
これで一周忌まで一区切り。ほっと一息ついたのだった。

冬夕べ四十九日の献杯を。

四十九日の法要を。





この記事へのコメント
私も経験しましたが、
たぶん怒濤の2ヶ月間だったでしょう。
しばらくは、ゆっくりお母さんを偲んでください。
Posted by 上穂悠生上穂悠生 at 2025年02月19日 21:04
ほんと、いろんな後始末に追われた
二か月でした。
四十九日が済んでほっとしてます。
Posted by へこりとへこりと at 2025年02月21日 15:46
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