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兄と

2016年06月28日

 へこりと at 13:09 | Comments(0)
水無月 7

6歳はなれた兄がいる。
16年ぶりに長野へ帰省してきたのだった。
子供のときからピアノを弾いていた。
中学校では、合唱部で伴奏を受け持っていた。
高校に入ると友だちとバンドを組んで、
井上陽水や吉田拓郎のコピーをしたり、
自作の曲で、ヤマハのコンテストに出たりしていた。
だんだん素行がよろしくなくなって、
親に隠れてたばこを吸ったり、
授業をさぼってあやしい店に入り浸っては、
酒の匂いをさせて帰ってくることもあった。
無断で母を保証人にしてサラ金から金を借り、
高価なギターを買ったことがある。
払いが滞って母にばれて、
殺してやるーと、さんざん叩かれたことがあった。
学校に収める授業料を使い込んだこともあり、
毎日のように親といさかいをおこしていた。
東京の音楽大学に進んだときも、
キーボードを買った代金を、母に尻拭いさせていた。
そのくせ授業はさぼってばかりいて、
単位が足りずに、途中でやめてしまったのだった。
そののち、函館出身の知人に誘われて、
ある日突然、津軽海峡を渡ってしまった。
以来35年あまり、
今では函館での暮らしの方が長くなっている。
住み着いて間もない頃は、我のつよい性分が災いして、
世話になった人とぶつかって、
知らない土地での気苦労もあったと聞く。
縁あって知り合った義姉さんと結婚して、
一男一女のお父さんになってからは、
すっかり暮らしぶりも落ち着いて、
やさぐれていた若いころが、
ずいぶんなつかしいことなのだった。
かつて景気のよかったころは、
夜の店をいくつも掛け持ちしてピアノを弾いていた。
地方都市の例にもれず、
函館の繁華街も今は活気がないという。
昼間は生活の糧に、知り合いの営む介護施設で働いて、
夜は高級クラブでシャンソンの弾き語りをしている。
月にいちどは札幌のピアノ教室で教えているといい、
それでもまだ、
好きなピアノをつづけていけるだけありがたいという。
来年で還暦を迎える身だった。
兄も歳をとったなあ。
我が身をたなに上げて、老けた顔を眺めたのだった。

兄と












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