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お別れをしに

2012年07月12日

 へこりと at 10:57 | Comments(0)
文月 一

叔母が亡くなった。母の腹ちがいの姉で、
その昔、祖父が姉嫁に手を出して生まれた人だった。
建具職人をしていた祖父は当時羽振りがよく、権堂、湯田中、別所温泉、
あちこちで豪遊していたという。
酒は一滴も飲めないくせに、その分色気のほうが盛んだった。
あちこちにお妾さんがいたというから、
その体力気力を、できれば孫にも分けていただきたかったと
うらやましい。
女の人には不自由をしていなかったのに、
同居していた兄嫁に手を出したりするからややこしい。
おばさんを生んだあと、兄嫁は離縁され、嫁いできた祖母がかわりに育ててきた。
血のつながらない親子はなにかとうまくいかないことが多く、
おばさんは十七歳のときに家出をして横浜へ行ってしまったのだった。
横浜ではカフェの女給さんをして生計を立てていたという。
祖父ゆずりの明るくてにぎやかな人柄はたちまち人気者になり、
男の人にもずいぶんもてたという。
立教大学のお金持ちの学生と同棲をしたり、
箱根のおおきな薬屋の息子と割りない仲になったり、
船乗りだったおじさんと知り合って結婚してからは身もおちついて、
ずっと横浜の下町で暮らしていた。
通夜の晩、次から次へとお参りに来られる人の姿がつづく。
近所の方から世話になっていた施設の方。
ずいぶん若い方にも来ていただき、交友関係の広さに思い出す。
たびたび母に電話をよこしては、りんごやおやきや蕎麦を
送ってくれるよう頼んでいた。
そのたびに、そんなにたくさんと思えるほどの数だったから、
日ごろ付き合いのある人に、なにかにつけては
故郷の味をおすそ分けしていたとわかる。
言いたいことをずばずば口にして、細かいことは気にせずに
情にもろくて、人との付き合いが大好きだった。
大きな病気をして体の自由が利かなくなっても、
毎日ドトールコーヒーに出かけては、馴染みの方たちとのひとときを
楽しんでいたという。
去年九十六歳。前の晩まで元気だったのに、
朝、布団の中で息を引きとっていたという。
おばさんらしいさっぱりとした逝きかたとしみじみ思う。

お別れをしに





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