足もと注意で

へこりと

2011年01月16日 12:23

睦月 九

馴染みの蕎麦屋の奥さんが訪ねてきてくれた。
左手を包帯で包んで首から吊っているから
どうしたのですかとおどろいて尋ねたら
すべってころんで手を打って、
骨にひびが入ってしまったのだという。
包帯の間から見える指も、紫色に腫れて痛々しい。
冬をむかえると、身近なところで
転んでけがをする人がいる。
雪が降り、冷え込んで凍った道ですってんころりん。
体格のいいお寺の奥さんは、
善光寺の石畳ですべって転び、足の骨を折った。
母の知り合いは、両手に荷物を持ったまま
タクシーから下りたとたんすべって転んで、やはり足を折った。
あぶないのは外にいるときだけでなく、
茶の間のこたつ布団に引っかかって転んだり、
広告のチラシを踏んづけてすべって転んだり、
家の中にいても転んでけがをする人もいるから
よくよく気をつけなくてはいけない。
心配なのは人さまのことばかりでなく、
父は若いころ、冬の晩、酔っ払っては凍った道で転んで
けがをしたことがたびたびあって、
その血を引いているのだから
飲みに出る時は、足もと気をつけるようにと思っているのに
酔うとたいてい忘れている。
蕎麦屋さんは、御主人と奥さんと
パートのおばさんで切り盛りしている。
飲み屋の町のわきに折れて、小路を入ったところにある。
濃い目の汁と細めの蕎麦が美味しくて、
酒の品揃え良いのもありがたい。
御主人が蕎麦を打ち、奥さんがビールを注いだり
器を運んだりしている。
ひと月はギブスをはずせないから、
仕事に差し支えのあるのがつらい。
よりによって、転んでけがをしたのが還暦の誕生日の日で
とんだ誕生日プレゼントになったと奥さんがこぼす。
けがをしたら、御主人がずいぶん面倒をみてくれて、
へえっ、こんなやさしいところもあるんだと驚いたという。
やさしそうな顔をしているくせに、ふだんは全然やさしくないのよと
まじめな顔でいうものだから、
御主人の顔を思い出し、なんと答えたらよいものか
返事にこまった。