店じまいに

へこりと

2018年01月12日 14:14

睦月 3

早朝、ひさしぶりに柳町通りを散歩していたら、
まっさらにされたばかりの空き地が目についた。
はて、なにがあったっけ?眺めながら、
眼鏡屋のビルがあったと思い出す。
国産の高級な眼鏡を売っていると聞いていた。
昨今、ちまたにあふれている
安い店に押されたかと、想像しながら過ぎた。
見慣れた景色の中で、
ときどきこうした移り変わりがある。
善光寺門前で、
長らく営んでいた蕎麦屋が店じまいをした。
仲見世のいちばん上のかど店で、
立地は良かったのに、味が良ろしくなかった。
ウルトラ一等地で、
ウルトラ不味い蕎麦を出していたのだった。
パソコンで口コミを覗けば、
とろろそばを頼んだら、
鼻水みたいなとろろしか入っていなかったとか、
蕎麦がぶつぶつ切れてつかめないとか、
天ぷら蕎麦は、ぬるくて少なくてまずいとか、
皮肉交じりに、
この蕎麦屋を放置している、長野の人の
心の広さに感服すると書いている人もいた。
この頃は、スマホに触れば、店の評価がすぐわかる。
立地の良さだけでは、
やっていけないご時世なのだった。
古くからの土産物屋が並ぶ仲見世も、
どこの観光地でも見かける、
大きな資本の店がぽつぽつ現れている。
近ごろ新聞やニュースでは、
景気は上向いているというものの、
善光寺門前に、そんな気配はまったくない。
土産を買う人が少なくなって、
営む御主人がたに会えば、
売れないよー、顔をしかめてこぼすばかりだった。
年老いて、続けていくのも難儀になって、
大きいところに貸して、
家賃でまかなってとなってしまうのかもしれない。
閉店した蕎麦屋のあとは、建物はそのままに、
地元の大きな土産物屋が蕎麦屋をやるといい、
さかんに内装を直している。
10年もして、本物のじいさんになる頃は
どうなっているのかなあと眺めているのだった。