痛い思いで
文月 九
顔をぶつけた。
飲み屋からの帰り道、
コンビニでカップラーメンを買った。
お湯を注いで三分。
舞っている間に眠りこけて、
椅子から転げ落ちたのだった。
以前もおなじことをした覚えがあるから、
つくづく学習能力がない。
翌朝、腫れた顔で、
すっかりふやけたラーメンを見れば、
さめざめと悲しい。
このごろ怪我や病気をするたびに、
治りがおそいと感じている。
歳のせいもあることながら、
日ごろの食生活がいけないと、
栄養にくわしいかたに言われ思い当たる。
家での食事といえば、
出来合いのものばかり買って食べている。
家庭を持っていたときは、
ときどき料理もやっていた。
醤油やみりんや塩も、
取り寄せの良いものを使っていたから、
袋を開けて、皿に盛って出来上がりの、
手抜きの今の暮らしにくらべると
他人ごとの気分になる。
定期購読しているクロワッサンに、
料理の特集が載っていれば、
そのたび本棚に並べていたのに、
いつだったか、さっぱり片づけてしまった。
野菜を煮たり魚を焼いたり、
面倒くさがり屋に出来たのも、
食べてくれる人がいたからだった。
人さまと暮らすということは、
体のためにも好いことと、よくよくわかる。
体だけでなく、
気持ちも盛り上がらない日も多いかなと、
感じるときもある。
手抜きの毎日を我が身にほどこしていると、
身にも気にもそれ相応の反応が出る。
すこし、暮らしのむきを変えなきゃと気づいたのは、
おそすぎるくらいのことだった。
ぶつけた顔の目のふちが、
一日経って青あざになった。
みっともないから、めがねをかけてごまかしている。
訪ねてきたかたに、
めがね、似合いますね。
ぼんやりした顔に、めりはりがついていいですと、
うれしくない褒め言葉をいただいてしまった。