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風通しの好い気持ちで

2024年03月19日

 へこりと at 11:20  | Comments(0)

弥生 4

自営で客商売をしている。
お客さんのほとんどが年配のかたで、長らく世話に
なっているかたもいてありがたい。
ところが毎年、体調を崩して亡くなったり、
自活が難しくなって介護施設に入られたりする
かたが幾人かいらっしゃる。加えてコロナ禍に
なり、すっかり来なくなった遠方のかたもいる。
昔に比べると、ずいぶん売り上げが落ちているの
だった。この先も、この傾向が変わらないのは
明らかだった。
売り上げを伸ばす攻め手を考えればよいものを、
元来ものぐさの身は、そんな気も起きない。
働いてはいるものの、半分隠居気分で毎日を過ごして
いるのだった。
日々の出費でいちばん大きいのは、なんといっても
飲み屋に落とす金だった。
お客さんが福沢諭吉さんを置いていけば、すんなりと、
今宵の飲み屋へ気持ちが飛んでいく。
カウンターの端に落ちついて、まずはビールで口を
湿らせて。一品二品の肴で旨い日本酒なんぞを酌んだ
翌朝、財布の中を覗いてみれば、どれだけ飲んだんだ
とあきれるくらい減っている。
毎年この時期になると確定申告をして、税務署に税金を
納めている。
一年間の売り上げを計算するたびに、よくこの程度の
稼ぎで、あんなに飲み屋詣でができたことと感心している
ありさまだった。
金が貯まらぬのも無理からぬことだった。
近ごろは、限られた店しか足を運ばなくなっている。
飲み屋もコロナ禍で売り上げが減ったり、
食材の値上げがあったり、皆さんご苦労をされている。
か細い飲み代は、できるだけ思い入れのあるお馴染みさんに
落としたいのだった。
日々の暮らしの中で、これまで義理絡みや、こちらからの
気遣いの付き合いを長年抱えてしまっていた。
そのおかげで、屈託を抱えたり、不愉快な思いをしたり
することが何度かあった。
気にしなければよいものの、そこまで度量の広い柄では
ない。
この際、無用な義理や気遣いは持たぬことと、今年さっぱりと
縁を切らせていただいた。
あれこれいろいろ手を付けたり気を散らしたりせず、
日々の思いを簡素にして、風通しの好い気持ちで毎日を
過ごしたいものだった。

飲み屋へと日銭つかんで春の宵。


  


松本市美術館まで

2024年03月08日

 へこりと at 08:13  | Comments(0)

弥生 3

松本市美術館へ出かけた。
須藤康花さんという、夭折した画家の作品展を開催
しているのだった。
会場の入口に遺影が飾ってあった。
意志のつよそうな目をした、きれいなかただった。
幼いころ、重い病気にかかり、ほとんど学校へ行けず、
入退院を繰り返していたという。そのさなか、絵を
描くことが好きで、大きな公募展で入賞を果たして
いる。十四歳のときに母親を亡くし、自身の闘病も
あり、死ぬことが身近になる中、自殺を考え、遺書を
書いたものの、絵画への思いがとどまらせ、その後も
たくさんの作品を制作した。会場には、幼少の頃から
成長する過程に合わせて、年代別に作品が展示して
あった。死と向きあう自身の内面を描いた作品は、
緻密で闇の中の光を感じさせ、まるで生と死の
つながりを深く静かに伝えてくるようだった。
作品の合間に、いくつもの詩も展示されていて、
目を背けず、自身の病と死と向き合って描きつづけて
いたことが察せられた。進学した多摩美術大学では
銅版画を専攻した。モノクロの作品は、どれも黒い影
の部分が多く、それがかすかな光の存在を
引き立てて、そのかすかな光に、限られた
生への思いが感じられたのだった。
三十歳で亡くなるまでに千点の作品を残したという。
残された作品は父親の正親さんが保管して、2012年
に、松本市に康花美術館を開館した。
美術館の協力のもと貴重な作品の数々に触れることが
でき、好い時間を頂けた。
会場を出ると、館内の別の会場で、地元の
エクセラン高校の美術科の作品展が開かれている。
ちょいと拝見するかと会場に入ったら、おしゃれな制服
の子供たちが迎えてくれた。
油彩画に水彩画に立体物、子供たちの個性が反映された
作品が並んでいる。
三年生の卒業制作テーマは、「泥中に咲く僕ら」で、
十人の作品が展示されていた。「泥中」は、楽しかった
事、辛かった事、もがいてきた三年間の積み重ね。
「咲く僕ら」はその経験から作品が咲くという意味と
いう。須藤康花さんの死と向き合った作品を観て、
明るく健気な子供たちの作品を観たら、なんとも胸が
切なくなった。将来有るこの子たちが、これからも
素敵な作品を作っていけますように。

春の空光かすかな生を往き。


  


松本の居酒屋で

2024年03月05日

 へこりと at 07:55  | Comments(4)

弥生 2

夕方、仕事を早めに終いにして松本へ出かけた。
長野駅まで来ると三連休の中日、駅の構内が
観光客でごった返している。特急しなので五十分、
氷結とハイボールを飲みながら、薄暮の景色を眺めて行く。
久しぶりの松本の夜、東横インにチェックインを済ませ
たら、目当ての店に向かったのだった。
毎週BS11で、太田和彦の居酒屋百選を観ている。
毎回全国のあちこちに旅をしては、いろんな居酒屋を
紹介している。以前、友だちと会津若松へ旅行をした
折りに、太田さんが紹介していた籠太という店に行った。
郷土料理の旨い、接客の温かな好い店だった。
つい先だって、太田さんの故郷の松本の「深酒」という
居酒屋を紹介していた。寡黙そうなご夫婦が営んでいて、
店も小ぎれいな雰囲気を醸し出している。パソコンで
検索してみたら、ホームページが引っ掛かった。
品書きを見ると、日本酒の専門店のようで、申しわけ
程度にクラフトビールが一種類。焼酎もワインも
ウイスキーも見当たらない。
そして、日本酒を飲まないかたの入店はお断りとある。
任せてくれ。最低でも四合は杯を重ねますよとうなづいて、
二軒目、三軒目の入店はお断りとある。承知です。
きっちり素面で速やかに伺いますとうなづいて、
そのあとに、泥酔したかた、常識のないかたの入店は
お断りとあって、ちょっとひるんだ。泥酔して常識に
欠けて、さんざん人さまに迷惑をかけた過去を思い出し、
気を引き締めて予約をぽちっとしたのだった。
ホテルを出て、女鳥羽川の千歳橋を渡ったら、四柱神社
を抜けた先に在った。扉を開けたら、カウンターも
テーブルも客でいっぱいで、二階にも客席があり、
後から入ってきた客が案内されていた。
すごい盛況ぶりに驚いた。県内外、日本酒の品ぞろえが
すごい。
まずはお通しの茶わん蒸しで、秋田の鳥海山を利く。
刺身の三点盛りと、箸休めに、ひたし豆と菜の花の
昆布締めを頼んで、山形のばくれんと若乃井と、宮城の
萩の鶴と秋田の春霞と、東北の味を楽しんだ。
女将さんと話をすればいたってきさくなかたで、店に
入る前の緊張感はどこへやら、楽しく酔わせていただ
いた。ご主人と奥さんにお礼を述べて、締めは焼き鳥で
ハイボールかな。ホテル近くの末喜商店さんにお邪魔を
したことだった。

東北の酒松本で春の暮れ。


  


上田の地酒に

2024年03月01日

 へこりと at 09:04  | Comments(2)
弥生 1

毎日日本酒を酌んでいる。
料理雑誌dantyuの三月号は日本酒の
特集と決まっている。
今回は「王道の日本酒」と銘打って、
数々の銘柄が紹介されていた。
十四代、新政、獺祭、秋鹿、大七、などの
全国に名を馳せた銘柄に、これから王道に
乗るであろう、新進気鋭の銘柄などが百本以上
紹介されていた。
特集の始めに、お蔵さんや酒屋さんなど精通
したかたがたに、王道の日本酒とはどんな酒
ですかと問うている。
常に向上していく酒とか、テロワールを表現して
いる酒とか、過去の歴史から育ってきた酒とか、
飲み手が語れるような特徴のある酒とか、
どんな料理にも合う酒とか、それぞれいろいろに
答えている。その中に、日常に寄り添い、家で
寝っ転がって飲める酒と答えている酒屋さんが
いて、我が意と同じですと頷いた。
気楽に買えて、飲み疲れしない酒がなによりと、
懐ぐあいの寒い身は、晩酌でそんな酒ばかりを
酌んでいるのだった。
また、二十代、三十代の若いかたがたに王道の
銘柄を問うているページがあって、黒龍、群馬泉、
義侠に廣戸川などの銘酒をあげている。
今の日本酒好きの若い子は、すんなり旨い味に
手が届くから、好いご時世になったことと
喜ばしい。こちらがその歳の頃には、まだ地酒を
扱う酒屋も少なく、情報もたやすく手に入らな
かったから、あちこち探し回ったものだった。
若いかたに、おおいに旨い酒を広めていただきたい。
今回嬉しいことに、長野県上田市で信州亀齢を
醸す岡崎酒造さんが紹介されていた。
宿場町の面影を残す柳町に在るお蔵さんで、跡取り
娘さんが杜氏を務め、旦那さんと二人三脚で造りを
している。
娘さんが杜氏になったばかりの頃はあまり
旨くなかった。それでいて、値段が高めの設定で、
なにかの折りに酌むたびに、なんだかなあの気分に
なっていた。すすんで買って飲みたい味にはほど
遠かったのだった。それから何年か経って、朝刊の
1ページに目が留まった。関東信越酒類鑑評会で、
亀齢が最優秀賞を取ったと載っていたのだった。
思わず、うそでしょ!と声をあげてしまい、
信じられなかった。
しばらくして、馴染みの飲み屋で利いてみたら、
以前の味はどこへやら、瑞々しいきれいな味に
驚いてしまった。
亀齢を扱う飲み屋も増えて、今ではその人気
ぶりに、すっかり入手困難な銘柄となっている。
酒質の向上の陰には、ご夫婦の随分な苦労と、
応援するかたがたの支えがあったと後ほど
知った次第だった。
こちらの知らないご苦労のおかげで、いつでも
旨き味に酔っていられる。お蔵さんにはまことに
感謝しかないことだった。

春浅し酒はちょっぴり温めて。



  


観光列車ろくもんへ

2024年02月27日

 へこりと at 08:59  | Comments(0)

如月 7

土曜日、午前の仕事を終えて長野駅へ向かった。
しなの鉄道の観光列車、ろくもんに乗ったのだった。
ろくもんはふだん、長野と軽井沢の間を走っている。
ろくもんの名称は、しなの鉄道の本社のある上田
ゆかりの武将、真田家の家紋の六文銭から名付けられた。
友だちが客室乗務員をしている縁で、これまでに
何回か乗らせてもらっている。旨い料理と長野の地酒を
味わいながら沿線の景色を眺めるのは、のんびりと
好いひとときだった。
冬の雪景色がきれいなこの時期、長野から雪深い
信濃町まで、北信濃雪見酒列車を運行する。
駅ビルで菓子と地酒を買って改札を抜けて待っていると、
赤色のろくもんがホームに入ってきた。
乗務員の女の子の勇ましいほら貝の音色を合図に、
落ちついた木のぬくもりの車内に入って、
友だちとあいさつを交わしながら、差し入れの菓子と
酒を渡した。
この日の料理は、沿線の飯綱町に在るレストラン、
サンクゼールのシェフが提供してくれる。合わせる酒は、
佐久の花と亀の海と勢正宗と三種類。
この冬、長野はまったく雪の降らない日が続いた。
出発して見覚えのある沿線の景色を眺めていても、市街地に
雪が見当たらない。豊野を過ぎて飯綱町の辺りから、
ようやく解け残った雪が見えたのだった。
料理をつまみに酒を酌み、友だちを眺めていれば、
相変わらず好い笑顔でお客さんに言葉をかけていて、
お客さんもにこにこ嬉しそうに返している。
この日のお客さんは、ほぼリピーターのかたたちばかりと
いう。
料理も長野の地酒もさることながら、また会いたいと
思える親しさが、再び乗りたい気分にさせてくれると
わかるのだった。
信濃町の黒姫駅に着いて眺めれば、雪深いはずの地に、
雪が少ない。車内では音楽家お二人のチェロとフルート
の演奏が始まった。爽やかな音色を聴きながら、
春の気配を感じながらの雪見酒と相成った。
黒姫駅から折り返して長野駅へ。
旨い料理と酒の旅、ちょっぴりの贅沢は、毎年の
恒例行事にしますと決めたことだった。

春めくやろくもんゆるゆる酔いの旅。


  


親の気持ちが

2024年02月23日

 へこりと at 08:31  | Comments(0)

如月 6

二か月にいちど、暮らしの手帖を定期購読している。
今のようにインターネットのなかった昔、衣食住に
関する貴重な情報源として、多くの女性に支持されて
いた雑誌だった。
今でも余計な広告は載せず、暮らしに関わるいろいろな
記事が丁寧に載っている。
特集の中に、毎回全国の本屋の店員さんが、ひとつの
テーマに添ってお薦めの本を紹介する頁が有る。
このたびは手紙にまつわるお薦めの本ということで、
谷川史子さんという漫画家の「手紙」という作品を
紹介しているかたがいた。
主人公の素子は、引越しをしたばかりの部屋に届いた
前の住人あての、母からの手紙をうっかり読んで
しまう。つい出来心で、息子のふりをして返事を出した
ところ返信が来て、見知らぬお母さんとの文通が
始まった。一方、実の母親といえば毎日電話をかけて
きて、小言を言ったりいらぬ世話を焼いたりで、素子も
うんざりしていた。そんな中、優しそうなお母さんとの
文通に気持ちが癒されるのだった。
そんなあらすじを読んだら、興味がわいた。
アマゾンを開いて新品を買おうとしたら、値段が
五千円を超えていてぶったまげた。2009年の作品で、
十五年の月日が経っている。プレミアム価格になっちゃ
ったのか、コミック一冊に、さすがにその値段は出せない。
バリューブックスという店で、中古の品を見つけてぽちっ
とした。
四十頁ほどの短編で、温かな気持ちになる好い作品だった。
漫画を読んでうるっときたのは、海街diary以来だった。
二月の初日、介護施設に暮らす母と面会をした。
面会日は、月曜日と木曜日で時間は十五分ほど。
施設では以前コロナの集団感染が出ているから、
相変わらず面会に規制がかかっているのだった。
職員さんに車いすを押されて来た母に会うと、嬉しそうな
笑顔を見せる。会うたびに決まって、体に気をつけるんだよ、
飲み過ぎないようにと、何度も何度も言ってくる。
子供が元気でいることがなによりなのだと、
老いた親の気持ちが伝わってきて、しみじみとありがたい
のだった。
上田市のぼろいマンションに別宅を持っていて、いちど
前の住人あてのはがきが届いたことがある。市役所からの
お金の督促状だった。もうここには住んでいませんよ。
ひと言添えて、速やかに送り返したのだった。

春きざす母との遠出もうなくて。


  


外仕事のかたがたに

2024年02月20日

 へこりと at 08:54  | Comments(0)

如月 5

一月の中旬、作業着姿のかたが訪ねて来た。
自宅兼仕事場の玄関を出て、路地を右手に行くと、
氏神さんの伊勢社が在る。その手前に四メートル
ほどの橋があり、このたび建て替え工事を行うと、
挨拶に来たのだった。
伊勢社の階段のわきに町の駐車場があって、車が
七、八台停めてある。毎日車の出入りがあり、
老朽化した橋が崩れぬうちに新しくするのだった。
ずいぶん以前から、橋の傷みは問題になっていた。
市道だから、長野市に建て替えをお願いしておいた
ところ、ようやくの工事と相成った。
一月の下旬から工事が始まって、毎日作業着姿の
おじさんたちが作業に取り掛かっている。
連日賑やかな重機の音が響いているのだった。
ふだん、屋内で仕事をしている。夏の酷暑の日も涼しい
冷房の中で、冬の厳寒の日も温かな暖房の中で仕事を
して、暇なときは、本を読んだりパソコンを開いて
ユーチューブを観たり、楽な一日を過ごしている。
今の仕事に就く前に、二年ほど会社勤めをしていたことが
ある。雑貨の卸問屋で働いていて、毎日四トントラックに
洗剤やらトイレットペーパーやら荷物をたくさん詰め込んで、
長野市内や、周辺の町や村の商店やスーパーに品物を卸して
いた。大きなトラックの運転に不慣れな頃、事故を起こしたり、
山道で脱輪して助けを求めたり、しくじりを何度かしていた。
月にいちど新潟の津南町に行くことがあり、豪雪の中で
車がスリップして死ぬんじゃないかと怖い思いをしたことも
あった。短い間とはいえ、外で働く大変さを経験している。
季節や天気を問わず、毎日野外で汗水流しているかたがたを
見ると、ほんとにえらいなあと思ってしまうのだった。
早朝、新聞を届けてくれるお兄さんに、バイクに乗って
手紙を届けてくれる郵便屋さんに、いつも明るいヤクルト
レディさんに、
注文した品物を速やかに届けてくれるクロネコさんに
飛脚さんに、毎週食材を届けてくれる生協のお兄さんと、
日々、外仕事のかたがたに助けられている。
連日、能登の被災地の様子をテレビで流している。
がれきを片付けたり、安否不明のかたを探したり、
寒い中、もくもくと被災者のために働いているかたがたの
姿を見ていると、深々と頭を下げたい気持ちになるの
だった。

立春の路地や重機の賑やかに。



  


パーフェクトデイズを

2024年02月16日

 へこりと at 08:47  | Comments(4)

如月 4

夕方、権堂アーケードの映画館、長野ロキシーに
出かけた。
役所広司主演の「PERFECT DAYS」を観たのだった。
役所広司演じる平山は、古いアパートに暮らし、
日々、公共トイレの清掃員として働いている。
早朝、近所のかたの掃除する竹ぼうきの音で目を
覚まし、顔を洗って、育てているちいさな草木たちに
霧吹きで水をやる。仕事着に着替えて玄関を出たら、
アパートの前の自販機で缶コーヒーを買って、車に
乗って仕事に向かうのだった。
あちこちのトイレをまわり、丁寧に磨き上げ、
お昼には、いつもの神社の境内で昼食を食べる。
仕事が終わると銭湯で汗を流し、地下街の
大衆飲み屋で一杯やる。ときどき、馴染みの
女将さんの小料理屋で酒を飲むときがある。
頻繁に伺わないのは、好意を押し付けぬように
気を使っているのだった。
部屋の掃除は、濡らした新聞紙を畳に撒いて、ほうきで
埃を取っている。洗濯物はコインランドリーまで運んで
洗っている。昼食時、古いフィルムのカメラで木々の
木漏れ日の写真を撮り、写真屋で現像してもらう。
古本屋で、一冊百円の文庫本を毎回一冊だけ買って
読んでいる。車の中で聴くのは、カセットテープに
録音した、昔の洋楽だった。
夜空にスカイツリーの輝きが映える町で、
およそ今どきの快適さとは縁遠い暮らしをしているの
だった。
変わりばえのない日常の中で、朝の空を見上げて
微笑んだり、銭湯で会うおじいさんや、
おなじく神社で昼食をとるOLさんなど、見知らぬ
かたにお辞儀をしたり、ときどき出会うホームレスの
おじさんに優しいまなざしを向けたりしている。
そのしぐさに、穏やかな気持ちで日々を過ごしている
のが伝わってくる。
それでもときには小さな波風があり、職場の後輩の
悩みごとに振り回されたり、長らく疎遠になっている
妹の娘が家出をして訪ねて来る。
娘を迎えに来た妹と、久しぶりの再会をする。
運転手付きの高級車で現れた妹から、かつては平山も
お金に恵まれた暮らしをしていたと察しがつく。
どんな経緯でトイレの清掃員になり、古いアパートで
質素に暮らしているのか、その心情に思いが向いた。
別れ際、妹を抱きしめる姿や、微笑みながらも顔を
ゆがめそうになる一瞬に、今の暮らしを選びながら、
過去への思いが胸をかすめるときがあるとうかがえた。
今の暮らしと、取り返せない、あるいは捨て去った、
過去の暮らしに思いの行く、静かな作品だった。

過ぎし日や数多悔い有り春の月。


  


冬さなかに

2024年02月09日

 へこりと at 10:03  | Comments(0)

如月 3

この冬、長野市街地は雪が少ない。先日久しぶりに
終日雪降りの日があったものの、日中の気温が高いのか、
翌日の午後にはほとんど消えていた。朝晩の冷え込みは
きつく、昼間も風のつよい日は、寒さがけっこうこたえる
ものの、雪がなければ雪かきの手間も省けてありがたい
ことだった。そうはいっても、日々写真を撮っているから、
白く清々しい景色を撮れないのは、寂しくもあるのだった。
仕事を終えた夕方、介護施設に暮らす母に
菓子を届けようと思い立った。
リモコンで車のドアを開けようとピッと
したら反応がない。いやな予感を抱えつつドアを開け、
エンジンをかけようと鍵を回したら、案の定、うんとも
すんとも言わない。
バッテリーが上がってしまったのだった。
車を持っているものの、ほとんど乗ることがない。
六キロ離れた母の介護施設に行くときに使うくらいで、
月にいちどか二度のことだった。
寒い中ずっとエンジンを回さなかったから、お釈迦に
なってしまったか。
それにしても、一年前に新品に交換したばかりだった。
いくら寒いと言っても上がるかなあ。
いぶかしながら、バッテリーの充電をお願いしようと、
世話になっている自動車屋に電話をかけた。
自動車屋の旦那さんにその旨を伝えたところ、
思いがけない答えが返ってきた。
今どきの、アイドリングストップ機能が付いている
車のバッテリーは、充電が出来ないというのだった。
まるごと変えるしかないと言われ、とほほの気分の、
月末の手痛い出費になってしまった。
翌日、早速交換に訪ねてきていただいた。
取りつけてもらいエンジンをかけたところ、
なぜかハザードランプが点滅し始めた。
どうやらどこかで点けたときに、そのまま消すのを
忘れていたらしい。
母を訪ねて行ったのはひと月前のこと。
ずっと点けたままだった。
そりゃあバッテリーも上がるわな・・・
おのれのあほさ加減にあきれてしまった。
旦那さんに、長らく乗らないときは、バッテリーの
コードをねじを緩めて外しておいた方がいいと
教わった。
バッテリー代、原価におまけしとくよと言われ、
長い付き合いに感謝したのだった。

ミライース寒波に負けて息切れて。


  


店じまいに

2024年02月06日

 へこりと at 08:34  | Comments(0)
如月 2

夕方、権堂アーケードの立ち飲み屋、
コンドウで、バターコーンをつまみにハイボールを
飲んでいたら、
ご主人が、桂林閉めちゃいましたねという。
えっ、そうなのと驚いたのだった。
アーケードのわきに在る中華料理屋で、
長年世話になっていたのだった。
飲み屋で酔っ払った帰りに立ち寄っては、
餃子をつまみにビールを飲んだり、ラーメンや
焼きそばを腹に収めていた。
つるつる頭の気さくな旦那さんが営んでいて、
店がひまなときはカウンターをはさんで
ビールを酌み合っていた。
以前も体調を崩して、しばらく休業していた
ときがあった。
いきなりの閉店に、旦那さんのことが気がかりに
なってしまった。コンドウを出て、店の前に行ったら、
シャッターが下ろされて、テナント募集の看板が
置いてあった。それから一週間後の朝、朝刊の
お悔み欄に旦那さんの名前が載っていたのだった。
なにがあったのか・・・享年七十一歳。
早すぎる死に、胸が切なくなってしまった。
子供の頃は、自宅の在るこの町や、四方の隣町は
どこもいろんな店で賑わっていた。
高齢化だったり体調を崩されたり、はたまたお客が
減って売り上げが望めなくなったり、だんだんと
店じまいの知らせを聞くことが増えている。
毎晩酒を酌んでいる。その昔、権堂アーケードの東側、
西鶴賀に在った焼き鳥屋へよく通っていた。
背の高い男前の旦那さんが営んでいて、ときどき
ひとり娘のあいちゃんが、カウンターで宿題をしていて、
かわいいのおと眺めたこともあった。
旦那さんが御実家の事情で店をたたんでから二十五年。
今でも店の在った場所を通り過ぎると、楽しく飲んでいた
若いときを思い出す。世話になっている馴染みの店が
いくつか有る。こちらが昇天するまで商いを続けて
もらいたいと、よくよく願っているのだった。
年明け初めて、豆腐とお酒のまほろばさんにおじゃました。
馬刺しをつまみに福島の大七の燗酒を酌んでいたら、
女将のあゆみさんが、一月一日に入籍しましたという。
おおっ、そうなの!おめでとうございます!
お相手のご主人とは、何度かこの店でお会いしている。
お二人のめでたい知らせに、こちらも気分が明るくなった。
さて、祝いの品はなににしようか。思案した次第だった。

入籍の知らせめでたや冬ぬくし。


  


一月の終わりに

2024年02月02日

 へこりと at 08:53  | Comments(0)

如月 1

毎日、仕事を終えた夕方、町をひとまわり
ノルディックウォーキングをしている。
ここ最近の冷え込みの厳しさに負けて、しばらく
さぼっていた。一月さいごの休日、朝の冷え込みが
穏やかだったので、ジャージに着替えてコートを着て
歩きに出た。
善光寺の西側、横沢町から箱清水から上松へ、車の
通らない旧道を抜けていく。
湯谷団地の坂道を上がって行ったら、久しぶりの
運動に、太ももが張って腰が痛くなってくる。
さぼったつけが,ちゃんと体に出てくるのだった。
坂を上がって下りた先に、曹洞宗の古刹の昌禅寺が
在る。爽やかな初夏の新緑や、鮮やかな秋の紅葉の頃、
写真を撮りに何度か足を運んでいる。
冬に雪が積もると、白く清潔な景色がまた好くて、
この冬も撮ろうと思っていたのに、長野の町は、
先日ちょっと降っただけだった。
立ち寄ってみたら、案の定、境内に申しわけ程度に
残っていてさびしい。
帰り道、すき家に寄ったら、年配のおじいさんたちが、
カウンターに並んで座っている。チェーン店の牛丼屋で、
背中丸めてご飯を食べているさまは、眺めていると,
なんとも哀愁が漂っている。
しょぼい我が身も交ぜてもらい、ビールを飲みながら
牛カレーを頂戴した。自宅に戻って着替えたら、近所の
銀行でお金の相談ごとをする。これでもう本日の予定は
すべて終了。
さて、蕎麦屋の昼酒にはまだ間がある。銀行の隣の
うみなつ珈琲におじゃまして時間をつぶすことにした。
こちらの店は二年前の六月に開店した。
開店したばかりの頃は、ときどき足を運んでいたのに、
昨年はいちども訪ねていなかった。店に入ったら
ご主人が顔を覚えていてくれて、恐縮してしまった。
酸味のある薫り高いコーヒーを味わったのだった。
馴染みの和菓子屋、喜世栄に寄って、
女将さんお薦めの菓子を包んでもらい、今年初めての、
かんだたの暖簾をくぐる。
ご主人に菓子を渡しながら、遅ればせながらの新年の
挨拶をして、カウンターに落ちついた。休日になれば、
蕎麦屋の昼酒、飲み屋の夜酒、変わりばえなく酔っ払って
いる。変わりのない暮らしがありがたいと
思い知らされた一月が、あっという間に終わるのだった。

哀惜の思い一月能登の海。


  


元気な店で

2024年01月30日

 へこりと at 09:13  | Comments(0)

睦月 6

昨年の秋に花粉症にかかった。
春の花粉にはもうずいぶん長くやられて
いるけれど、秋の花粉にやられたのは初めての
ことだった。しかも師走に入ってからも暖かな日が
続いていたせいか、いつまでも収まらず、鼻をぐずぐず
させていた。年が明けた一月、さらに輪をかけて、
目がかゆくなり鼻水が止まらない。
これはもう春の花粉が舞っていると察しがついた。
おかげで日に何度も目薬をさして、鼻をかんでいる。
この頃は薬を飲んでも以前ほど効かないときもあり、
歳と共に抵抗力が落ちているのを実感している
ありさまだった。
おまけに昨年ひいた風邪の余韻で、いまだに咳が出ていた。
コロナやインフルエンザが流行っているさなか、
飲み屋に出かけてゴホゴホしたら、まわりのお客も
気にする。飲み屋通いも控えていたのだった。
一月半ばを過ぎて、ようやく治まってきた次第だった。
仕事を終えた夕方、新幹線に乗って上田へ出かけた。
上田の町が好きで月に何度か出かけている。
駅を出て、別宅に荷物を置いて、寿司屋の萬寿に
おじゃました。親子で営んでいるこの店は、いつ来ても
くつろいだひとときが過ごせるのだった。
お通しの、菜の花と数の子のお浸しで黒ラベルを酌んで、
白海老のから揚げで長野市の地酒、十九を酌んで、
なまこ酢で木曽の九郎右衛門を酌んで、握りをつまみに
上田の亀齢を酌んでいたら、旦那さんに、塩田屋は行かれた
ことがありますかと尋ねられた。
上田駅のそばにある蕎麦屋で、ご主人は塩田屋のお母さんと
知り合いとのことだった。
塩田屋、しょっちゅうおじゃましています。お母さんも
娘さんと一緒に元気に働いていますと伝えた。
翌朝、東宝シネマ上田でゴールデンカムイを観たあとに、
蕎麦屋の昼酒に塩田屋におじゃました。
遅ればせながらの新年のあいさつを交わし、お母さんに、
萬寿の旦那さんのことを伝えたら、旦那さんは
若かりし頃、塩田屋のそばの寿司屋で修業をしていたとの
ことで、その時からの知り合いだというのだった。
萬寿の旦那さんは、確か今年御年八十二歳。
塩田屋のお母さんも同じ歳くらいだから、もう六十年ほどの
顔見知りとうかがえた。元気なお年寄りが現役で頑張っている
姿を眺めていると、こちらも元気をもらえることと、
それぞれの店におじゃまするたびに感じていることだった。

寿司屋酒蕎麦屋酒にて春を待ち。


  


洋裁屋さんの世話になり

2024年01月26日

 へこりと at 09:30  | Comments(0)

睦月 5

このところ、衣類は通販で買っている。あれこれ
探していれば、いろんな店があるもので、
目に留まり、好さげではないですかと思ったら、
ぽちっとしているのだった。
いちど、踊る大捜査線の青島コートを注文したら、
ネットの広告とはうらはらなまがい物が届いたことが
ある。我慢して着ようかと思ったものの、
なんとも気持ちがすっきりせずに、いちども着ない
まま処分して、あらためて正規の商品を購入した。
以来、買い物をするときは、よくよく慎重に選んで
いる。質の良いTシャツやトレーナーを手頃な価格で
売っていたり、ひとつひとつ手づくりの草木染めの
シャツやパンツを売っていたり、春秋用の薄手の
コートに、冬用の厚手のコートの、値段のわりに
見栄えの良い品を扱っている店を見つけては利用
させていただいている。
昨年の秋の終わりに、黒いコートを購入した。
なによりありがたかったのは、蕎麦屋や飲み屋に着て
行くと、けっこう店のかたに、おしゃれですねと
褒めていただけることだった。
男やもめのしょぼいおっさんは、褒められるたびに
好い買い物をしたと喜んでいる。
ところがひとつ困ったことが出た。ボタンの縫い付けが
甘かったのか、何度かはめたりはずしたりをしていたら、
糸がほつれて取れそうになってしまったのだった。
母の使っていた裁縫箱があるものの、昔から裁縫は
やったためしがない。子供の時の家庭科の宿題も、毎回
母に頼んでいた。ぞうきんや鍋敷き、あんまり
きれいに縫ってあるから、先生も母の手を借りたのは
お見通しだった。
さて、どうしたものかと思案をしたらひらめいた。
毎日ノルディックウォーキングをしている。その日の気分で
南北東西コースを決めて歩いている。
北のコースを歩いて行くときに、
長野高校の正門の前を過ぎていった先に、
洋裁屋が在ったのだった。
入口に「hicao お直しリメイク」と描かれた小さな看板が
出ていて、いつも通り過ぎるときに眺めていた。
パソコンを開いて検索したら、ホームページが引っ掛かった。
営んでいる女性は、洋裁教室を開いていたり、自身で作った
洋服を販売しているかたで、素敵な作品がアップされている。
メールを打って、ボタンの縫い付けをお願いしたら、
快く引き受けていただいて、
その日の夕方、コートを持っておじゃました。
せっかくのご縁、ボタンの縫い付けだけで終わらせるのは
もったいない。色は黒、生地は綿か綿麻で。
上着とパンツを作ってもらうことにした。
出来上がりは春のはじめくらいかなあ。
今から楽しみなことだった。

新しき衣拵えこの春を。.


  


北向観音へ

2024年01月23日

 へこりと at 10:04  | Comments(0)

睦月 4

成人の日の祝日、上田の別所温泉に出かけた。
今年も北向観音へ足を運んだのだった。
別所線に乗りこむと、おなじくお参りに向かうかたが
たくさん乗っている。
冬枯れの塩田平を眺めながら30分揺られて行くと、
着物に袴姿のかわいい女の子がふたり、出迎えてくれた。
沿線の上田女子短期大学の学生さんが駅長を務めている
のだった。
駅を出て坂道を上がって行くと、先々に細いしめ縄が
ぶら下がっている。正月の余韻を感じながら、急な階段を下りて
参道を行って、階段を上がって観音堂にたどり着く。
境内の両脇に福飴と焼き栗の屋台が出ていて、お兄さんと
おじさんがお客を呼んでいた。
観音堂の内陣には、お祓いをお願いしたかたがずらっと
並んで座っている。じきにご住職が現れておごそかな読経が
響きはじめた。
上田の町が平和でありますように。手を合わせてお祈りした。
長野市の善光寺門前に住んでいる。来世の御利益を
頂ける善光寺と、現世の御利益を頂ける北向観音と、
今年も両詣りを果たせて好かったことだった。
お詣りを済ませたら、階段下の蕎麦屋、だるま家におじゃました。
以前初めておじゃまをしたときに、店を営むご主人夫婦の
感じが好かったのが印象に残っていた。小上がりの端っこの
座卓に落ちついて、ビールの栓を抜く。
この日は若い女の子がお運びをしていた。ご主人夫婦のお孫さん
かな。参拝を済ませたお客がたて続けに入ってきて、
お茶を出したり注文を聞いたり、はきはきと好く動いている。
長芋の千切りとつくねを二本つまみにして、ビールのあとに
塩田平の地酒、月吉野の燗酒をゆるゆると。
角の立ったもりで締めた。
会計のときにご主人に挨拶をしたら、この子が良く働いてくれて
助かるんですよと、隣の女の子を褒める。
お孫さんですかと尋ねたら、バイトの学生さんで、
沿線の長野大学に通っているという。
釣銭の小銭はこの子のバイト代に回してくださいと渡したら、
ありがとうございますと、にこにこ頭をさげられた。
ひと風呂浴びて帰ろうと、坂道を下って、駅のそばの
あいそめの湯へ行ったら、ここにも入り口に、長いしめ縄が
飾ってあった。地元のおじさんたちに混ざって、今年の
上田の初湯となったのだった。

初観音蕎麦屋の娘きびきびと。


  


八日堂縁日へ。

2024年01月19日

 へこりと at 08:23  | Comments(0)

睦月 3

一月七日、上田へ出かけた。毎年
七日、八日と信濃国分寺で八日堂縁日が開かれて
いるのだった。何年も前から足を運びたいと
思っていたのに、なかなか都合がつかなかった。
ようやく念願叶った次第だった。
信濃国分寺のすぐ近くに、御実家の在る友だちがいる。
初めての縁日を案内してもらうことにした。
夕方の早い時間にうかがうと、国道沿いの国分寺公園に、
たくさんの車が入って来る。
国道を渡って仁王門を抜けて参道へ行くと、
両脇にずらっとテキ屋の屋台が並び、前が見えぬほど
参拝客でひしめき合っている。
チョコバナナやべっ甲飴や団子を売る店が在り、
ドラえもん焼きの屋台の前には長い行列が出来ていた。
そんなに人気なの?と覗いたら、ちいさなドラえもんの
人形焼きだった。
十円パンの屋台の前を通ったら、十円パンなのに
¥600の貼り紙があって、頭の中が???となった。
焼きそばや唐揚げやたこ焼きの匂いの漂う中、
中学生くらいの男の子たちが、肩を並べて焼きそばを
ほおばっている。
ぞろぞろと本堂までたどり着いて、上田の町が平和で
ありますように。よくよくお詣りをした。
八日堂縁日では、蘇民将来符というお守りが授与される。
蘇民将来という慈悲深い人にあやかってのお守りで、
昔より農閑期の農民が六角形に木を彫って作り、
寺の住職によって文字と絵柄が描かれ、
御祈祷をしてから縁日に並ぶという。
六角の面にはそれぞれ、蘇民、将来、子孫、人也、
大福、長者の文字が書かれている。
大小いろんな大きさがあって、友だち曰く、
初めて買うときはいちばん小さいのを買って、
毎年来るたびにひとつずつ大きいのを買い足してゆく
のが習わしとのことだった。
そうはいっても、また来年来られるとは限らない。
ちょいと悩んで、中くらいのを買わせていただいた。
参道を戻って行くと、まだまだぞくぞくと参拝客が
やってくる。
おじいちゃんおばあちゃんに、冬休み中の子供たちに、
小さな子を連れた家族連れに、
地元のかたに愛されている縁日の風情を眺めていたら、
気持ちが和やかになった。
友だちの御実家におじゃまして、縁日の余韻をつまみに
酌みあったのだった。

縁日の余韻肴に年酒かな。


  


愚息と一献

2024年01月16日

 へこりと at 10:11  | Comments(4)

睦月 2

結婚を二度しくじっている。
一度目の結婚生活のときに、当時の連れ合いとの
間に一男一女を授かった。
離婚をしてからずっと音信不通だったのに、
養育費をすべて払い終わってしばらくしたら、
会いに来てくれたのだった。
それからごくごくたまに顔を合わせては、
酌み交わすようになっている。
先日息子から久しぶりに電話がかかってきた。
じつは彼女が出来たという。紹介したいから、
明日会ってもらいたいというのだった。
会うのは、昨年の春に息子の行きつけの
中華料理屋で酌み交わして以来だった。あのときは
もう女はいいです。疲れましたなどと年寄りみたいな
ことを言っていて、欲がないのおと、あきれたものだった。
若いのだから、恋愛にまだまだ身を費やして頂きたい。
翌朝、連れてきた彼女にお会いしたら、
透き通るように肌の白い、二重の目元が涼やかな、
剛力彩芽似のとてもきれいな子だった。
まじですか・・・おまけに二十一歳といい、愚息より
十四歳も若いではないか・・・
忘年会もかねて宴をやろうと相成って、
日を置いて件の中華料理屋で待ち合わせをした。
先に着いてやっこでビールを飲んでいたら、若い男の子が
入ってきて、カウンターで一杯やり始めた。
店の女将さんが、あちらりょーたくんのお父さんよと
こちらを紹介してくれる。息子の飲み仲間のかただった。
挨拶を交わしたら、りょーたさんには、いつも優しくして
頂いてますという。へえ、あいつ優しいんだと、ちょっと
驚いた。
程なく息子たちもやって来て、乾杯をした。一番搾りを
飲みながら、息子のどこが好きなの?と尋ねたら、
真っ直ぐ瞳をむけてきて、
りょーたは私に対しても友だちに対してもちゃんと愛情を
向けてくれるという。
間違ったことはちゃんと指摘してくれて、悩み事を抱えれば、
自分のことのように心配をしてくれるという。
今までそんな人には会ったことがなかったといい、
父親の知らない一面を教えていただいた。
二十歳過ぎの身で、息子の柄をきちんと見てるのは、
育ってくる過程で、いろいろあったのかと察しがついた。
尋ねたら、子供の頃から両親の狭間に立って、歳以上の
苦労をしていた。
息子は、毎朝三時半に仕事で埼玉まで出かけているという。
二十代の頃、ちょっと脇に外れた暮らしをしていて、
元の連れ合いに心配をかけていた。
体のあちこちに癌が見つかったときに、必死の形相で、私に
なにかあったら、子供たちをお願いしますと訪ねて来た。
大丈夫だよ心配しなくても。
真面目に働いて、まわりのみんなにも慕われている。
父親よりも、よほどしっかりしているのだった。

慕われて愚息照れてる冬の夜。


  


艶やかな歌声を

2024年01月12日

 へこりと at 07:42  | Comments(0)

睦月 1

仕事の合間にパソコンを開いて、SNSを覗いている。
ユーチューブで玉置浩二やハラミちゃんを聴いたり、
この時期に好さげな衣類を探したり、写真を撮るのが
好きなので、贔屓にしている写真家のブログを読んだり
している。大門美奈さんという写真家が好きで、
以前このかたのブログを読んでいたら、ペンタックスから
発売された、モノクロ専用のカメラについて書いていた。
こちらの気持ちを惑わすような、まことに味のある文章で、
すでにカメラを5台持っているというのに、
ペンタックスのホームページを開いて、商品情報を
しげしげと眺めてしまった。おおいにそそられたものの、
値段がなかなかで、苦笑いを浮かべてあきらめたのだった。
長年地元の信濃毎日新聞を購読している。ところが
その新聞社もネット配信を始めていた。
毎朝、朝刊の一字一句をくまなく読むわけではないし、
もう購読しなくてもよいのではないかと思い始めていた。
じつは15年ほど前にも購読をやめようとしたことがある。
そのときは営業所の所長さんに、私の歩合が下がっちゃ
うんで、勘弁してくださいと泣きつかれて購読をつづけて
いた。
昨年の11月に購読の停止を申し出たところ、このたびは
すんなり了解されて、12月から朝刊の配達が止んだ。
それから二週間ほどした夕方、ノルディックウォーキング
を終えて自宅に戻ってきたら、近くでうろうろしていた
背広姿の白髪の男性に、
みやいりさんですか?私、信濃毎日新聞の者ですと、
声をかけられた。ここのところ、新聞の売り上げが
かなり落ちていまして。申しわけないのですが、
また来月から朝刊の購読をお願いできませんかと
頭を下げられたのだった。
この寒空の中、年配のかたにわざわざ訪ねてこられると、
なんとも断りづらいなあ。
結局、ふたたびの付き合いとなったのだった。
無用な義理は持たぬこととは思っていても、情に
ほだされてしまうのだった。
この正月、親しいかたから例年のように年賀状が届いた。
そのうちの一枚、女性の友だちのはがきに、
「花束を、ひとつ」EMI。音楽配信サイトで配信中!と
小さく添えられていた。もともと音楽に馴染みの有る
かただった。
へ~っ、えみさん、こんなことやってるんだあと驚いて、
パソコンを開いてダウンロードしてみたら、
爽やかな元気の出るメロディーと歌詞が好い。
早速、いつの間にこんな活躍を!素晴らしい!
ラインを送ったことだった。
毎朝聴いて、明るく一日を過ごしたい。

曲綴る声艶やかに六日かな。

https://www.youtube.com/watch?v=5JUIfXy2jxk  


今年の終わりに

2023年12月28日

 へこりと at 08:55  | Comments(2)

師走 8

久しぶりに風邪を引いた。
いつもなら解熱剤を飲んで早めに寝れば、
翌朝には治っているのに、
このたびは微熱が下がらず咳もひどく、
ずるずると一週間も引きずってしまった。
おまけに翌週の日曜日から金曜日まで、
ずっと忘年会が入っていた。一年間世話になった
かたや、久しぶりの友との一献は、
外すわけにいかない。一日づつなんとかこなして
いたら、気がついたら体調も元に戻っていた。
咳きこんでいると喉が乾燥して、おかげで
ビールがことのほか旨かった。がんがん飲んで
いたのが、好い薬になったのかもしれない。
今年は、ずるずると抱えていた屈託にけりがついて、
好いひと区切りの年になった。
馴染みの店で馴染んだ銘柄を、独りで酌んだり
いつもの仲間と酌み交わしたり。この一年も、
和やかな酒のひとときに癒された。
波風立たぬ変わり映えのない毎日が、なにより
いちばんありがたいことと、この歳になると
しみじみ胸に染み入って来る。
来年も旨い酒を酌みながらそんな日々を送りたい。
つつましく、無用な義理を持たず、親しい人に
気持ちを尽くして暮らしていく。
年の瀬に、あらためて思ったことだった。
今年最後の忘年会は、帰省してくる同級生たちと。
久しぶりの笑顔に会えて今年の締めになる。
大晦日には、友だちの暮らす草津温泉まで。
上等の熱~い湯で身を清め、さっぱりと新年を
迎えたい。
一年間、だらしのないヨッパの戯言に付き合って
いただき、ありがとうございました。
みなさんが、穏やかに辰の年を迎えられますよう
願っております。

杯重ねあっという間や年の果て。


  


休日の上田で

2023年12月26日

 へこりと at 10:01  | Comments(2)

師走 7

上田市立美術館に出かけた。
全国の美術系の大学で版画を学んでいる
学生たちの、作品展が開かれているのだった。
受付で、いちばん気に入った作品を記して投票箱に
入れてくださいと用紙を渡された。
会場には、各大学別に作品が並んでいる。
じっくり拝見しながら行くと、
思わず足を止めて見入った作品に、拝見したあとに、
気になってもういちど後戻りしてみた作品もあり、
作者の作品への意図を推し量ることはできない
けれど、それぞれの感性の奥行きの深さが伝わって
きた。どの作品にもそれぞれの個性があって
子供たちの力量のすごさに、ほとほと感心したの
だった。気持ちに留まったいくつかの作品の
中から、札幌大谷大学の佐藤寧音さんの、
「一様に間を見る」を選ばせていただいた。
雨の景色を彩った作品で、観ていると、作者の心根の
静けさが伝わってきた。
美術館をあとにして、買い物客で賑わう上田アリオの
中を抜けて、久しぶりに駅前の東都庵にお邪魔した。
女将さんと若女将さんに迎えられ、茸のおろし和えで
黒ラベルを飲めば、若い子の好い作品の余韻に、
清々と旨いのだった。
さつま揚げをつまみに地酒の和田龍を二合。
角が立った新蕎麦で締めた。
店を出て通りを歩いて行くと、広い空が厚い雲に
覆われている。通り沿いのコエダ時計店は、CDも
扱っているのか。いつも演歌歌手のポスターが店先に
飾ってある。この日は伍代夏子の「時の川」と
三山ひろしの「北海港節」と山内惠介の「THE BEST
24singles」だった。
桂旅館から上田高校の前を抜けて城跡公園に行くと、
冬枯れの公園に人影が少ない。真田神社でお参りを
すれば、社務所のお姉さんたちも暇を持て余していた。
時間つぶしに、再び上田アリオの映画館へ行き、
「ゴジラ‐1,0」の迫力ある映像におののいて外へ
出れば、アリオの入口に青いイルミネーションが
きれいに輝いていた。さて、今宵の一献は馴染みの
寿司屋の萬寿さんで。いそいそと出かけたら、
あいにく貸し切りの貼り紙があってふられた。
それではと踵を返して、久しぶりの花壱さんの暖簾を
くぐったのだった。

個々豊か若き摺師や冬の虹。


  


年の瀬に

2023年12月22日

 へこりと at 07:56  | Comments(0)

師走 6

出かけるときに、いつもカメラをぶら下げている。
晴天や曇天のときはじっくり構えてファインダーを
覗けるやつを。雨や雪の日は、濡らさぬように
カバンに収まる小さいやつを。
飲み屋に出かけた翌朝カメラを覗くと、撮った覚えの
ない写真が何枚も写っていることがある。
酔っ払って撮っているからピンボケの写真もあって、
電池の無駄遣いをしているのだった。
以前、仕事場の玄関先の掃除をしていたら、隣の家の
ご主人に、夕べは遅い時間にたくさん写真を撮って
いたねえと声をかけられた。
へっ?ぜんぜん記憶にないぞ。カメラを覗いて
確かめたら、目の前の神社の階段の写真ばかり
十枚ほど撮っていた。
おれは一体なにをしたかったんだと、まったく訳が
わからないのだった。
酩酊してどこかにカメラを置き忘れぬよう、
それだけ気をつけたいことだった。カメラを使い始めて
十年になる。撮りためた写真は、パソコンに落として
インスタグラムやフェイスブックにアップしている。
遠方に暮らす友だちに手紙を出すことがあり、
近所のコンビニのコピー機で、写真をプリント
して添えている。最近コピー機の性能が良くなって、
ずいぶんきれいにプリントしてくれるからありがたい。
この頃は、撮りためた写真をプリントして、仕事場に
ぺたぺた貼っている。
毎年暮れになると、手描きのカレンダーを作って親しい
かたに差し上げている。その年に撮った写真の中から
十二枚を選んで、それを描いて日付を入れて、
人数分をコピーして仕上げている。
子供の頃から絵を描くのが好きだったせいか、
ものぐさな性格なのに、気がついたら三十年も
続いていた。
今年もそろそろ作りはじめるかと思い始め、ふと
思いつく。絵を描くよりも、撮った写真をそのまま
貼りつけてコピーすればいいんではないか。
カレンダーの大きさがちょうど2L判の写真が収まる
サイズなのも都合が良かった。
ひと月ごとに十二枚。写真を貼って日付けを入れて、
コンビニに持ち込んでコピーした。
絵を描く手間がなくなって、ずいぶん楽なカレンダー
作りになったのだった。

年の瀬や自作の暦君にまた。